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日本語単語の派生体系の文法ってありませんか
以下のようなことを説明する日本語文法理論があるのかどうか、成書・HP・論文など教えて下さい。 ●「焼く」「焼ける」「焼き」は大抵の文法では別の単語とされるようですが、(「焼く」と「役」は違う、というのと同じ意味で)別と考えるのは変じゃないか。例えばアラビア語文法では、基本動詞に対し派生形の動詞9種と幾つかの名詞があり、綴りと意味の変化は規則的です。日本語にも類似の体系/規則性があるような気がするんです。 「焼く,切る,茹でる,聞く,泣く,重んじる」を例にしてみますと、 (花子はXXを)焼く,切る,茹でる,聞く,泣かす,重んじる (花子はXXを)焼ける,切れる,茹でられる,聞ける,泣かせられる,-[可能] (太郎は花子にXXを)焼かせる,切らせる,茹でさせる,聞かせる,泣かさせる,重んじさせる[使役] (太郎は、花子に命じてXXを)焼かせられる,切らせられる,茹でさせられる,聞かせられる,泣かさせられる,重んじさせられる[使役することが可能] (太郎は、花子に命じてXXを)焼かせれる,切らせれる,茹でさせれる,聞かせれる,泣かさせれる,重んじさせれる(XXが)焼ける,切れる,茹だる,聞こえる,泣く,- (XXは)焼ける,切れる,茹でられる,聞ける,泣ける,- [可能] (太郎はXXに)焼けさせる,切れさせる,茹だらせる,-,泣かせる[自発を誘導する] (XXが太郎に)焼かれる,切られる,茹でられる,聞かれる,泣かされる,重んじられる[受動] (花子にとって、XXに)焼かれる,切られる,茹でられる,聞かされる/聞かれる,泣かれる/泣かされる,-(のは辛い)[受け身のような...] 名詞: -, 切れ(が良い), 茹で(が足りない), 聞こえ(が悪い),-,- 焼き(が回る), 切り(が良い), -, -,泣き(が入る),- (生)焼け, -,(釜)茹で,-, -,-,- (串)焼き, (缶)切り, -, (又)聞き,(男)泣き,- 焼け(具合),切れ(味),茹で(具合),-,-,- 焼き(魚),切り(口),茹だり(具合),聞き(齧り),泣き(ぼくろ),- などなど。
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- punchan_jp
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「走り・たがる」と「ありがた・がる」は構造がまったく違うと思 います。そもそも、「ありがた」の「た」は形容詞の一部ですし、 全体として何かをしたいという意味はありませんよね。「ありが」 と「た」を切りはなすことなんてできないんです。 それから、「たがる」だけ助動詞で、ほががそうじゃないというの は、「たがる」だけでは意味のある言葉になっていないという説明 で納得できませんか?「たがる」(あるいは「たい」)というのは、 他の動詞に接続することではじめて、何かをしたいという意味をそ の動詞に与えます。「みる」とか「すぎる」とか「だす」はそれ自 体でも自立した意味を持っている単語として使うことができます。 もちろん、他の動詞に続けて使う場合には、本来の意味が非常にう すれて助動詞「的」になってしまうので、研究者によっては助動詞 扱いする人もあるかもしれません。その意味では、単語や品詞の概 念が研究者間で完全に一致しているとは限りません。しかし、日本 語に限らず、英語でも本来は過去分詞なのにほとんど形容詞的にし か使われないものとか少なくないので、しかたないことだと思いま す。単語は派生しつつ時間とともに徐々に意味とかも変わっていく わけですから。
- bob
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>「(走り)たがる」が助動詞なら「(走り)だす」「(走り)すぎる]「(走って)みる」はなんで違うの? 後者群は(補助)動詞です。単に助動詞である前に動詞なので助動詞でないということです。逆に「たがる」は動詞から繋がる活用単語なのに動詞でないので助動詞、と考えた方がいいかも知れません。 ちなみに「走って」は「走り+て」の促音便で本来は2単語です。 >「走り・たがる」「ありがた・がる」「うれし・がる」 「ありがたがる」は形容詞から規則的に派生した一単語の動詞なので「ありがた・がる」とは切れないはずです。「うれしがる」も同様です。 >単語は何処で切るんだろ。いっそ全部派生形と考えられないの? 単語の区切りは、意味を持つ最小単位まで分割することで決まります。日本語の場合その最小単位が仮名一文字(特に助詞など)のものが多数あるためやや紛らわしくなっています。 例えば「勝てます」と「咲いてます」は共に「ます」の前に「て」がきています。しかし前者は「勝て+ます」で動詞「勝つ」の活用部分で、「勝つ」がタ行動詞なのでたまたま「て」が現れただけです。一方で後者は「咲き+て+ます」で助詞になります。もし前者に同様の意味の助詞「て」を入れると「勝ち+て+ます」→「勝ってます」となります。 当然助詞「て」が入ることで文の意味は変化しているので、これを動詞に含めるのは無理があります。無理に入れると動詞の活用の種類が一気に増えてしまいます。 結局、単語分割は語幹と活用部と助詞を見分けるのがキーポイントになると言えそうです。 単語分割とその品詞分類ができれば日本語も十分規則的なはずです。 >「品詞が違うから別単語」というところが、単語の概念を疑いたくなる原因でして。 品詞は単語を分類するカテゴリーなので、「品詞が違うから別単語」を疑うと論理的に破たんします。 私が中学生の時(10年前、ふつうの市立中学でした)は教科書や資料集にこういったことがきっちりまとまってたし授業でも教えられたけど、今は載っていないのかな? ただ、言葉は生きているので、現代文法を厳密に定めようとするのはある意味で無意味です。例えば「ら抜き言葉」は数十年もすれば文法に取り込まれることは十分あり得ます。可能と受け身・尊敬を区別できるので必ずしも必然性がないわけではないんですよね。 そういった意味で、現代文法を考えるのなら古典文法も考えた方がいいでしょう。 古典文法から見ると「走りたがる」→「走り(走る:動詞)+たく(たし:助動詞)+ある(動詞)」、「ありがたがる」→「ありがたく(ありがたし:形容詞)+ある(動詞)」といった類推ができるようになります。現代語とは若干意味が変わったり品詞の分類がかわったりすることがありますが、語幹部が判定しやすくなります。
お礼
極めて詳細なご回答をありがとうございます。 じつは一応、学校文法は知った上での確信犯的懐疑論なのです。文法に則って区切ることができるけれども明らかに日本語ではない、という例文が幾らでも作れますし、一方、生成文法で全部解決する訳でもなく、実際に人工知能では巨大な辞書を頼りにしていますが、これでは余りに知恵がないように思えるので... 「品詞が違うから無関係な別単語」が文法上のテーゼではない言語も沢山存在しますし、何より事実としての意味的関連は無視できません。また品詞の概念が果たして単語より基本的かどうかも疑しく思っています。 仰るとおり、どうやら古語と現代語を突き合わせつつ、実地に我流文法を構成してみるしかないのかな、と思います。本当にありがとうございました。
- punchan_jp
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bobさんのいうように、ここに挙げられている例の大部分は、自動 詞と他動詞と連用形の体言用法ということでまとめられるんではな いでしょうか?もっとも、日本語の文法体系については、ものすご く分厚い本を見かけて、立ち読みさえあきらめたことがあるので、 そう簡単なものでもないのかもしれませんが。^^; それにしても、例えば最後の例は、単語と括弧内のかかりかたがそ れぞれ全然違うようにみえますが、同列に挙げるのは無理がありま せんか?
補足
全然違うけれど、やっぱり同じ概念・同じ言葉から派生した表現ですよね。そこんとこなんです、もうすこしすっきりした説明体系がないかなと思うのは。 さほど分厚くない本を幾つか見たんですが、単語(どこで切るか)については、あんまり書いてなかったので。ものすごく分厚いのだったら書いてあるでしょうか? 「走り・たがる」「ありがた・がる」「うれし・がる」の言ってる雰囲気は同じに思えるのに、「た」 がどっちに付くか違う、なんていうのが納得できず...
- bob
- ベストアンサー率50% (52/103)
「焼く」と「焼ける」を別単語にするのは自動詞と他動詞の違いによるものだと思いますが... 動詞の連用形語幹(かな?)が名詞に出来るのは一般的な規則だと思います。当然規則的な派生でしょう。辞書に載ってるのは特に良く使われるものだけということでは。 「焼く」と「焼き(名詞)」は品詞が違うので当然別単語でしょう。(少なくとも日本語では)派生と活用は違うということでは?
補足
素早い回答ありがとうございます。 同じ語幹から自動詞と他動詞が派生し、それぞれから名詞 (焼け・焼き)ができるということですね。なるほど。 質問の字数制限で説明不足でしたが、もともと助動詞(?)というのが納得行かず.... 考えるほど、品詞の概念、いや何処までが単語なのかも分からなくなっちゃいまして... 「(走り)たがる」が助動詞なら「(走り)だす」「(走り)すぎる]「(走って)みる」はなんで違うの?単語は何処で切るんだろ。いっそ全部派生形と考えられないの? ... という発想で出た質問です。「品詞が違うから別単語」というところが、単語の概念を疑いたくなる原因でして。
お礼
皆さんのご指導のおかげで、ポイントが絞れてきました。一度閉めて、整理して出直します。ありがとうございました。
補足
詳細な解説を本当にありがとうございます。どうも旨く表現出来なくて申し訳ありません。 どんな日本語文法にも助動詞という概念は(バリエーションこそあれ)やっぱり含まれ、派生体系の概念はない、ということでしょうか。 ●「がる」と「たがる」は本当に別のものなのだろうか?「がる」=感情を表現するさまを表す、と考えれば同じにも思える。しかし別と考えないと「走り・た・がる」では「た」が余ってしまう....でも「走り・たい」「走り・やすい」と考えると、「たがる」の「た」は「たい」の「た」と同じでは?... などなど。どこまでがどの単語の一部なのか、どう区切るべきか、いわゆる普通の文法をいったん度外視したところで悩んでいるんです。 ●「みる」は「見てみる」「出てみる」、「だす」は「出だす」「見だす」のように、自立した動詞の「見る」「出す」とは明らかに違う機能を担っているように思われます。これが「助動詞的になっている」ということですね。例を集めてみようと思います。