寄進地系荘園と神社
「寄進地系荘園」について、次のような説明があります。
(説明)
11世紀から12世紀にかけて、地方豪族が「私領」を中央貴族・寺社などに寄進し、荘園化する動きが全国的に推進された。地方豪族は、国司の手による「私領」の収公を免れるため、中央権門貴族・寺社に「私領」を寄進し、その権威によって「私領」を確保しようとした。これをいわゆる寄進地系荘園という。
以上
要は、「荘園を寄進する」という形をとって、権威あるもの(中央貴族・寺社など)に、国司・国衙から土地を守ってもらおうということだと思うのですが、中央貴族とか、寺院というのは、「なんとなく」分からないでもないのですが、「神社」というのが、私には「権威あるもの」ということと結びつかないのです。
寺院と神社を比較すると、現代でも、例えば、収入にしても、お寺のほうには、葬儀や戒名など、高額ですが、やはり、死後のことなどを考えるとおろそかにできないなぁ……とついつい考えてしまいます。
一方、神社はというと、地鎮祭などでのお祓い料とかお賽銭とかの収入はあるのかも知れませんが、大きな神社は別にしても大したことなさそうだし、粗末に扱うと神罰が当たるということもあるかも知れませんが、どうも「権威あるもの」という印象がありません。私が平安時代の地方の豪族だったとしても、どうも神社に頼ろうという気が起きないのではないかという思いがします。
平安時代において、神社への「荘園の寄進」ということに関して、「その印象は間違っている」とか「いやいやそんなもんじゃない」とか、「神社も十分に権威あるものに該当します」という具体的な事例で、「こんなのがあるよ」というのがあれば教えていただきたいです。