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歴史教育はどうあるべきか。

タイトルの通り、「歴史教育はどうあるべきか」となります。 私自身は、XXXX年に○○が何をした、などという事を丸暗記させる真に意味の無い事をさせるのは非常に時間の無駄だと思っております。 まるで、教科書の何ページの何文字目に何という文字が書いてあるよ、と回答してテストの点を貰っているようなものではないですか。 こんなものでは、身に付ける知識・教養として社会に出てから全く意味が無い。 それよりも、人はこうしたらこう動く、それは過去の○○年の事例と○○年の事例がある。 我々は同じ愚行を繰り返すかもしれないが、これから形づくる社会の為、教訓となる前例を知っておいても良いのでは、というスタイルが良いのではないか、と個人的に考えております。 以上を踏まえて質問したいのですが、 ・この考え方は誤っているでしょうか?   暗記が良いのだ、と言う方が多くいらっしゃるのですが、暗記の効用があれば教えて頂きたく(皮肉ではありません)。  今現在の日本が、このような歴史教育で回っているので、私の方が間違っているのかも知れない・・・との疑念も晴れません。 ・また歴史教育はこうすべきだ、という意見があれば、どのような方向でも構いませんので、ご意見下さい。  例えば実用性を重んじるのであれば近代以降に重点を移すべきだ、とか、  そもそも歴史教育の最終目標はこうであって・・・、とか、  あるいは、大学の入学試験を目標に勉強がなされるので・・・とかですね。 このままで良いなんて事は決してないと思いますので、これから取るべき選択をご教示頂ければ幸いです。 宜しくお願い致します。

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  • nomori
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回答No.7

歴史教育はひじょうに難しい側面を持っています。それについては他の方々も言及されてますよね。日本の場合、国側が歴史について真剣に取り組んでいないというのが大きな原因になります。最近やっとアイヌを先住民として認めよう…なんて法案が出された国です。はっきり言って、歴史認識に関しては相当遅れています。でもそれも一方では敗戦をふまえると仕方ないとも言えます。国が歴史学に首を突っ込んだらどうなるか、は過去の筆禍事件などを思い浮かべても容易に想像つくでしょう。ドイツでは、戦争からこんなに経った現代でさえ、ナチスに言及すると罪にただされる場合さえあります。ですが日本では「東条万歳!」なんて言っても、直接的には罰されないわけです。この良い部分と悪い部分、どちらに比重を置くかはとても難しいです。だから国は触れたくないんじゃないでしょうか…。踏み込むと危険なのが、歴史学であり、歴史教育なのです。 ・この考え方は誤っているでしょうか?  考え方は人それぞれで、あっている・間違っているなんてことはありません。それこそ○×をもらうテストじゃないんです。ご自身がそう考えるならそれでいいでしょう。  暗記が良いのだ、と言う方が多くいらっしゃるのですが、暗記の効用があれば教えて頂きたく(皮肉ではありません)。 基本的用語は暗記してもらわねば意味がありません。私は近世文学を専攻してますが、教授から「江戸初期から末期までの元号とそれに照らし合わせる西暦をきちんと覚えておくように」という指導を受けています。いったい何が客観的にいつ起こったのか、を考える上で、教授の指導はもっともだと思いますし、それもできないのに研究をするのはお門違いだと思います。第一、歴史に限らず他の教科でも、たとえば、(a-b)(a+b)=a*a-b*bすら覚えていない中学生に因数分解を解かせられますか? そういう問題です。  今現在の日本が、このような歴史教育で回っているので、私の方が間違っているのかも知れない・・・との疑念も晴れません。 他の方も仰ってますが、別に、そんな歴史教育では回っていません。大学入試をごらんになったことがありますか?程度があがればあがるほど、基本的に論述です。センター試験だって、年号はほとんど訊きません。そして、考え方に合っている・間違っているはそもそもおかしいんです。 ・また歴史教育はこうすべきだ、という意見があれば、どのような方向でも構いませんので、ご意見下さい。 個人的に申し上げれば、小学校三年生から英語を学ばせるよりも歴史教育を徹底させた方がきちんとした「国際人」は育つと思いますね。英語をしゃべるなんて別段幼少期からはじめずとも可能です。それよりも、英語だけしゃべれてほかに何も知らない無知な日本人が海外に出て行って、他国の人に「君の国では~」と質問されたときに珍回答をされるのが一番恥ずかしいです。ただ、それは日本に限ったことではなく、日本人の私より自国を知らない外国人も多数存在しますから、多分、どこの国も歴史教育には頭を悩ませていることと思います。 ちなみに、No.6さんの考え方で歴史学を捉えているのは、有名所だと早大文学部の日本史学科ですね。現代から過去にさかのぼっていく方式で歴史を捉えていく方法です。(具体的な名前は忘れましたが…) 早大出身者の歴史学者はみなさんこの方法をとられていたかと思いますよ。

その他の回答 (15)

  • chaff
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回答No.5

高校生の頃は歴史は得意でした。 質問者さんは、「歴史は暗記科目だ」といった捉え方をされているようですが、私は暗記科目と捉えたことはありませんでした。 確かに「西暦xxxx年」なんて問題は出ますが、まともな大学入試では年号の問題なんてほとんど出題されません。(出ても全体の3%以下くらいでしょう) 年号なんて覚えていなくても試験全体から見れば大勢に影響なんてありません。(だから私は年号を覚えようとしたこともなければ、当然暗記に苦労したこともありません) むしろ入試で問われるのは小論文(例えば「セーヴル条約が結ばれるまでの経緯とその後地域にに与えた影響について6行で説明せよ」など、暗記よりも歴史全体の流れを説明させる事が多いように思えます。 ですから、日本の歴史教育は昔から質問者さんの意見とほぼ同じゴールを目指していたと言えます。 そこで.... >・この考え方は誤っているでしょうか? 間違っているも何も、わが国の歴史教育はその通りを目指しています >・また歴史教育はこうすべきだ、という意見があれば.... #1さんがおっしゃるとおり、歴史は見る人の立場や状況によって捉え方が違います(当然です)。一つの出来事に対しても、政府などの組織が100あれば100通りの捉え方があるといえます。 日本のお隣の国々が「正しい歴史認識を...」なんて言ってくるのは、それぞれの国での「正しい」歴史認識であって、わが国での「正しい」歴史認識ではありません。歴史に万人が納得できる正解なんてありません。そして、これでいいのです。当然です。 最近は、お隣の国やわが国も含めてこのあたりを理解していない人が多いような気がします。今後の歴史教育では、このあたりの最も基本的な原理をまず初めに教えてもらいたいものです。

noname#77472
noname#77472
回答No.4

筋肉は、限界異常の負荷をかけてはじめて増強します。 サボった体はもう「駄目な体」なんです。 筋肉は付きますが、心肺能力はもう身に付ける事は出来ません。 若い頃サボったツケは甚大です。 脳も同様でして、 記憶能力を中年で身に付る事は出来ません。 ましてや、積み重ねが大事な物を途中で放棄すれば先が見えています。 100を出題し、96点の壁を持つ人間がいます。 ほんの少し 「記憶できない」 「脳から記憶が跳ぶ」 「見直しできない」 「計算が間違える」 彼らは言えば気がつき回答を出してきます。 75点ですと、オメー、5合ぐらい飲んで記憶でもふっとんだのか? と、疑問に思えます。 >人はこうしたらこう動く 動くはずがない。 思い通りに動いたら全員が億万長者です。 学業こそ不要な物です。 社会は社会で勉強する物です。 学校で勉強する物ではありません。 また、 学生は社会は知らないだろうから「俺が教えてやるよ」 答えはノーです。 誰もが必ず知る事を教える必要性は皆無です。

  • migimonza
  • ベストアンサー率26% (44/166)
回答No.3

人はこうしたらこう動く、それは過去の○○年の事例と○○年の事例がある。 我々は同じ愚行を繰り返すかもしれないが、これから形づくる社会の為、教訓となる前例を知っておいても良いのでは とのお考えはそのとおりだと思います。 しかし、暗記の効用は、無視できない効用があると思います。 事件と、事件の前後関係、関係する人物が誰だったかを、一々 図書や辞書を紐解かないでも瞬時に判断できるからです。 算数の九九で言えば、2桁の九九を暗記するインドと、1桁だけの 九九を暗記する日本と、九九は暗記せず表を見ればよいとする アメリカと、どちらが効果的か、ITテクノロジーに現れています。 全く観点が異なるのですが、歴史教育は、公教育で教える必要が無い、 と思います。 代わりに私塾で教えたり学んだりするのが良いと思っています。 理由は特定の歴史観に捉われたり、政治に利用されたりするからです。 公教育では、大学に入ってから歴史の原書を読めるように国語教育に 力を注いで欲しいものだと思っています。

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.2

大筋でおっしゃる通りな気がします。 ただ、正確な年は別にして、大体の出来事の順序とか、言葉は覚えておいてほしいですね。 そうじゃないと、大学に入って、社会科学を勉強するのに支障が出ます。 民主主義とか、法律、国際関係、経済の概念は、西欧から輸入されたものです。世界史の知識がないと、理解できないんです。 また、日本やアジアについても、西欧とどう違ったのかとか、概念や制度の輸入の過程でどんな問題が起こったのか、理解するためにも、とりあえず、歴史の概要は知っておく必要があります。 日本人なので、日本の歴史を勉強するのは当然なのですが、それは中学で十分やればいいような気がします。高校では世界史を必修とすべきだと思っています。もちろん、近代や現代史に重点を置くべきです。 その上で、中国やアジア各国の歴史も、もっと詳しくやるべきです。そうじゃないと、中国人などが嘘を言っても、本当かどうか判断できませんよね。その意味で、日本人は歴史に疎すぎる気がします。 小泉首相も、ワンフレーズではなく滔々と演説して、中国の政治家に説教を垂れるくらいの教養があれば、中国も黙らずを得ず、日中関係も違った展開をしたでしょう。 もっと高度な勉強を目指せば、言葉や年代はおのずと頭に入ります。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.1

>・この考え方は誤っているでしょうか? 私も、MargnalSeaさんの考えに近い感想を持っている者です。 暗記の効能は分りませんが、少なくとも「歴史教育」というのは、国家による「思想教育」とスレスレです。 それを知って「暗記科目」になっちゃってるとは思いませんが、ただの「仮説」にすぎないモノを、あたかも「真実だ!」と教え込まれることは、非常に危険だろうと憂慮しております。 >また歴史教育はこうすべきだ、という意見があれば、どのような方向でも構いませんので、ご意見下さい。 歴史というのは、そもそも自然科学や数学など、万人が受け入れられる「真実(法則)」を見つけるのが難しい(というよりほぼ不可能)な学問なのです。 これは、歴史の特性として仕方ないことなんです。 歴史学というのは、基本的に誰かが書き残した文章記録から、「過去にあった出来事」を明らかにしようという学問なんです。 しかし、この「誰かが書き残した」というのがくせ者で、「誰かが書き残した=真実そのもの」とは限らないからです。 さらに、この「誰かが書き残した文章から、過去に○○という出来事があった」と解釈する人が居ます(これが主に歴史学者です) これを分かりやすく言うと 1・誰かが書いたのだから、その時点で書いた人の主観が入る。(一次史料) 2・そして、その情報を読んだ人(研究者)の主観が入る。(二次史料) 3・最後に、その研究者の論文を読んだ人の主観が入る。(私) 「真実(出来事)→一次史料→二次史料→私」、という風に情報が加工されていくことになるんです。 言い換えると、この順番でそれを書いた人・読んだ人の「主観」が入る。 私は真実を知りたい、と望みます。 そうすると、「私→二次史料→一次史料→真実」、と遡ることになる。 もちろん、「私→一次史料→真実」、とする事も出来ます。 しかし、「私→真実」、という風には出来ないんです。(それをするには、現在進行形=今、まさに起こってることしか無理) となると、どこまで一次史料や二次史料が真実を語っているかを見極める必要が出てくる。 その為には、第二、第三の一次史料・二次史料を参考に、それらの相違や正誤を精査していく事で、情報を真実に近づけていきます。 この過程で、考古学・古文書学・社会学・金石文学・民俗学etc,,,と歴史補助学と言われる学問の助けも借りて行われます。 こうして、出来るだけ「客観的」になるように努力がなされるのです。 はたして、これ(客観化すること)は可能なのか?という問いが何度も発せられ論争されています。 これは主に「歴史哲学」と言われる分野なのですが、悲しいかな日本ではあまりはやりません。 つまり、歴史というのは「人間の主観」が入る余地が大きく、それ故に(「歴史教科書問題」に代表されるような)問題が多々起きる事になります。 「人間の主観が入る余地が大きい」というのは、同じ真実を語る場合でも、その人の「社会的・思想的・政治的な価値観」が(意識的であれ、無意識的であれ)入り、その結果余「歪曲・無視・捏造・偽造・誤謬etc,,,」が行われます。 なので、「社会的・思想的・政治的な価値観」に相違があるばあいに論争が起きることになります。 また、政治家や思想家、漫画家、作家、ジャーナリストなど、社会的影響力が大きいにも拘わらず、歴史学の訓練を受けたことのない人が発言した場合、それは「歴史の問題」ではなく「政治や思想の問題」にすり替わることが多いとも言えます。 本来の「歴史教育」というのは、こうした「政治や思想の問題」に歴史が利用され、それによって私たち個々人が欺されないようにするために成されなければならないと思っています。 そして、これは昨今の情報化社会を生き抜くためのキーワードである「情報リテラシー」教育に通じるモノがあります。 この「情報リテラシー」というのは溢れる情報の中から「正しい情報をくみ取り、必要な形で活用する」能力の事だからです。 「歴史」にもこの情報リテラシーが重要な学問であり、逆に言えば「情報リテラシー」を磨くよい教材でもあります。 幸い日本は「歴史教科書」意外にも多くの歴史関連書籍が出版されています。 多くの情報から、自分たちが真実だと思う事を見つけ出す能力を磨く。 それこそが、本当に役に立つ「歴史教育」だと思います。 以上長々失礼しました。 参考になれば幸いです。

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