• 締切済み

人生って !?

今年、49歳になります。 negativeな質問ではありません。 生きるって何ですか?何の為に生きるのだろう?? この年になり、改めて考えています。 人間って何んの為に生まれて、何故、死んで行くのでしょうか? 私は、俗に言う、天寿を全うしたいと考えております。 今年になり、金銭的に余裕ができ、特に不自由なく毎日を生きております。 只、何故か虚しさを感じます、何故!生まれたのか?何故、生きるのか? 正直、わかりません。  すみません、恥ずかしながら教えを賜りたく質問いたします。 お願い致します。

みんなの回答

回答No.28

再びの、回答になります。私の場合、14歳の時に、ふっと、死ぬ事 が、恐ろしいという、そういう感情になりまして。その事が、四六時 中、頭から、離れなくなった、経験が有ります。 その苦しみの中で、18年間、生きて来ました。生き難い想いが、長く 続きました。正に『一切皆苦』というものでした。 その経験から、得たものが有ります。「人生苦」というものも、「精神 疾患」というものも。『皆同じもの』という事でした。 私の場合は、心が、一つの事に、捉われた、状態。『神経症』の中の 「離任症」というものでした。死ぬ事を『意識』してしまい、そのこと ばかりを、考えてしまいます。心が、休まる暇が、ありませんでした。 だから、と言いますか、「見性」した時は『心身脱落』という事が、よ く、分かりました。体中に、力を、入れて生きてきた事が。肩から、力 が、すーっと、抜けてゆくのが、判りました。 それから、28年、経とうとしています。今、インターネットで『悩み や、苦しみや』貴方の言うような、『疑問』を、抱えている人達の、心 は、良く判ります。どうすれば、疑問が『解消』するのかも、判ります。 ただ、月を指差しても。人が、どう受け止めるのかは、はなはだ、疑問 ですが。そこで、貴方に答えます。 貴方の疑問は、もう一人の、貴方が、貴方の「自我」に、疑問を、抱か せています。貴方には、わかりにくいと、思います。その、もう一人の 『自分』に出会う事が「見性」したと言う事です。 そして、人間苦とか、精神疾患、というものは、もう一人の「自分」 と、意見とか、考え方が、「対立と矛盾を」起こしている事です。 もう一人の自分は「全てが、備わっている、完璧な、存在です」 その「存在が」人間が、誤った認識で、生きてゆこうとする時に、「自 我意識」に「圧迫」を、加えています。是が、「罪悪感や、生き難さ や、むなしさ等の」圧力です。 今の、世界中の『精神科医』も、その、根本のところを、理解していな いように、見えます。ただ、薬を出している、だけのようにみえます。 貴方の、疑問を、解く鍵は、「禅」の中に在ります。鈴木大拙博士の、 書いたものを、読んでみてください。博士は25歳で、「見性」を体験 しています。その、書き方も、的を得た書き方になっています。 貴方は、自分で『疑問を抱きました』。貴方に質問です『誰が、貴方 に、その疑問を、抱かせたのでしょうか?』 貴方の問いの中に、もう既に、答えは、用意されています。それは、あ なた自身で、答える事です。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.27

是々非々は共に非なり。 

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.26

愛媛県伊予市に福岡正信さんが住んでいらっしゃいます。みかんと米、麦、野菜を自然農法でつくっています。日本では、あまり知られていませんが、世界では、砂漠に種を蒔く老人で有名をとおりこしています。 人間は、自然の一部であり、自然の恵みをいただいて生きてきました。だから、自然を壊さないように、自然が与えてくれるもので生きていく。現在、砂漠になっているところも、昔、小麦が現在くらいたくさんとれたのです。地下水をくみあげて、小麦を作りつづけて、塩が地表にたまって、作物ができなくなって砂漠になったそうです。 人間は、土からうまれて、土へかえる。生きている間は、自然がめぐんでくれるのです。聖書に、「何を食べ、何を着ようか悩まなくてもよい」と書いてあるではありませんか。是非、お近くの農家をたずねて、稲作、米つくりをおはじめください。福岡さんは、田植えをしないそうです。じかまき、草取りもしない、肥料もまかない、刈り取るだけだそうです。それでも、まわりの田んぼと変わらないくらい収穫できるそうです。農薬、化学肥料がなかった時代の農業かもしれません。田んぼの土がふっくらしているそうです。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.25

もっと単純明快な回答がありました。 それは、自分の夢の実現に向けて一歩、一歩、歩むこと。 できるだけ多くの、志を同じくする人々と共に歩めれば、最高ですね! 皆が自分の夢の実現に向けて、互いに生かし合うこと。それが、人生。

noname#80116
noname#80116
回答No.24

 Q:生きるって何ですか?  A:生きたいという身体の動きです。  Q:何の為に生きるのだろう??   A:自分で決めた目的のために生きます。  Q:人間って何んの為に生まれて、何故、死んで行くのでしょうか?  A:生まれて来たかったからです。《何故、死んで行くのか》は 分かりません。分からないということが 分かっています。  Q:只、何故か虚しさを感じます。  A:たぶん 自分の目的を持っても 虚しさを感じると思います。そのくらいで ちょうどいいのだとは 思いませんか。  もし むしろそれ以上の《虚しさを感じる》ということでしたら それは 新たな展望を開くための悩みなんじゃないですか。このあたりの将来設計でいいやという妥協をなさらないのだとすれば 長引くかも知れません。  応答が 途中で切れたかたちになりましたが 以上のようなことではないでしょうか。ただし  《〈何故、死んで行くのか〉は 分かりません》。 の一点については 申しわけありません。わたしの心も澄みません。

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

回答No.23

貴方の疑問は、貴方の「命そのものの意思」からの問いかけです。貴方 には、判り難いのですが、貴方の知らない(本当は知っている)、もう 一人の貴方がいます。貴方は、その事に気が付こうとしています。 それは、貴方の中で「永遠」「愛」というものに、憧れを抱かせていま す。貴方がその事をはっきりと、自覚できたなら。貴方は「永遠の命」 を手に入れた事になります。日本、或いは、東洋流でいうならば。生死 の問題を超越した事になります。貴方の「命そのものの意思」とは。神で あり、仏です。判り難いですが「人間の頭は、半分は、宗教で出来てい ます。」 その事が、体得できた時は、お釈迦様の悟りを、説明できているはずです。そして、疑問が全て氷解しています。人生はなんだろう?とは言わなくなります。自分とは、自分以上でもなく、以下でもなく。全てが備わっていた事に気が付きます。自然法爾と言う事です。

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

  • czc
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.22

以前に別の質問に投稿した内容を書き直したものです。 物質を形成している原子のことから話を始めると、とてつもなく長い前置きになるので、地球上で最初に誕生した単細胞生物(いろんな分子の結合体である物質の集合体)のところから話します。 物質の集合体である単細胞生物(あるいは多細胞生物かもしれません)はある時期、何かの拍子でいままでとは違う物質を取り込むか、または、自ら持っていた物質の分子構造が変わったことによって、自らを細胞分裂させ、自分と同じ遺伝子を持つ生物がつくれるようになりました。その単細胞生物は別に意思をもっていたわけではなく、ただ、ある分子同士が偶然に接触し化学反応を起こしただけです。その生物は、延々と細胞分裂を繰り返すようになりました。 それから数年後か、数億年後かわかりませんが、そのうち今度は、ある単細胞生物は少しだけ分子構造の違っている単細胞生物(この生物もある拍子に分子構造が変わってしまっていた)に出会い、どういうわけか融合し、そして、少しだけ違う遺伝子を持つ単細胞生物をつくりだしてしまったのです。その第三の単細胞生物は自らも分裂することができるし、他の単細胞生物と融合してまた別の遺伝子を持つ単細胞生物を生み出すようになったわけです。 そして、ある組み合わせよって生まれた単細胞生物は、他の単細胞生物と融合(交尾)し、少しだけ違う遺伝子をもつ単細胞生物を生み出すプログラミング遺伝子持つことになってしまったのです。 この子孫生産遺伝子を持った単細胞生物は、その後、融合(交尾)や化学反応(突然変異)を繰り返してあたらしい遺伝子をもつ生物を産み出し、そして、その時の自然環境に適応した遺伝子をもつ生物だけが残り、適応できなかった遺伝子をもつ生物は消えていきました。 環境適応能力に優れた遺伝子をもった生物は、何年毎か、何千年毎か分かりませんが、化学反応を起こしながら微生物、植物、昆虫、魚類、哺乳類等のさまざまな形態にと変化していったそうです。 人間も微生物や昆虫も宇宙に存在している原子の集まりである分子からできており、基本的な遺伝子システムは同じ体系だそうです。 人を始め、地球上に生息している生命体は多くの場合、生き延びて、生殖活動を営むことを遺伝子にプログラミングされています。人の複雑な行動も、突き詰めていくと、生き延びて、生殖活動が継続できるかを基本原理としています。 自分が生きていくためあるいは子孫継承に有効な事象になったときには快楽が伝わるようなプログラミングになっているようです。たとえば、食事、仕事が順調、貯畜、恋愛、結婚、子孫誕生等。そして、また次の快楽物質が伝達されるような事象を求め、貪欲に行動を取り続けるような仕組みになっているようです。 反対に自分が生きていくため、あるいは子孫継承が困難な事象になりそうな時には苦悩物質が伝達され、有効な事象になるような解決策を考えるようになっているようです。 現状や過去の失敗体験など多くの要素を考慮しながら、脳はフル稼働して解決策を立てようとします。ところが、人生経験を積めば積むほど、いろんな困難や障害が思い起こされ、解決案が浮かんでこない状況になります。 そのうち、その解決案が自分には、実現不可能と判断した場合は、別の案を立てることもできますが、人によってはその案が、自分にとって最重要課題の場合はなかなかあきらめることができません。脳のフル稼働状態が長時間続き、脳はオーバーヒート状態になり、思考することを制御するようになります。なにもやる気がおきなくなる無気力状態になるようです。 私は専門家ではないので、証明はできません。あくまで聞きかじりです。 参考として聞き流してください。

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.21

「私達は(こなれ、余りにも一般化し過ぎた感があるが故に!)生まれたとの言回しを用いていますが、厳密には愛によって結ばれた(?)夫婦が子を儲ける選択をし、愛の営みをした結果、その人生が開始される」のです。 これに対して通常は事故死、病死の形態で人生の幕が否応無く、何れ下ります。過去に遡っても故泉重千代翁の120才が最高齢ですから、その中身ではなく、長さとの切口からなら120(+α)年以下がその期間と言えましょう。 さて、中身に眼を向けるなら教育を終え、就労等の形態で社会と関り始め、宗教上の事情等がある神父や個人的信念等が無い限り、"子を儲け、育て・・を人生の中核に据える方もおられるでしょう。 又、実子を儲けないで、経営者や政治家として、社会と関る形式を選択する例もあります。(元ソニー社長の大賀典雄氏等) その他人生と言うか生き方(生き様)は人口と同数だけのパターンがあっても、一切不思議はないのですし、中には挫折を乗越えて今を構築された方もあるでしょう。 逆に"中には自らの信条等に沿って、自殺してしまう三島由紀夫、川端康成の両作家の如き、末路もある"にはあります。 (だからと言って、自殺がベストだとは私は一切思いませんし、質問者さん等にお勧めもしません。私が指摘したいのは"自殺"を選んで実行した人物が有名無名や国内外を問わず、いたし、(2008年5/29)現時点以後もいるであろうとの点のみです。 その他にも"幾らでもバターンが有り得るのが人生"とも括れますが、"質問者さんは虚しさが許容限度以内に収まっている"からこそ、ここの[教えて!goo]で"人生って!?"と訊かれいるのではないでしょうか?

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.20

「人生の目的や理由」を問う前に、「人生の目的や目標は自分で自由に決められる」という人間ならではの「固有の特長」に注目すべきではないかと思います。 動物には、熊という「種」、象という「種」、狐という「種」がありますが、人間の場合は、人間が「種」なのではなく、我々一人ひとりがそれぞれ別の「種」なのではないかと私は思います。人間のAさんとBさんの違いは、熊Aと熊Bの違いに相当するのではなく、熊「種」と象「種」の違い、あるいは、それ以上に大きな違いに相当するのではないかと思います。だから、一人の人がこの世からいなくなることは、動物の「種」が丸々なくなることに相当する大事件なのだと思います。 何故、そのようなことが起こるのかというと、あるいは、そのようなことが可能なのかというと、それは、人は同じ環境に置かれても、そこに何を見、何を感じ、何ができ、その結果、何をするかは、一人ひとり皆違うという特性を備えているからだと思います。動物なら、同じ環境におかれたら、皆同じように反応し行動します。 このことは、何を意味しているのかというと、人間は予め目的や機能を設定された自動機械ではないということです。人類には歴史があります。動物には歴史がありません。何故なのでしょう? 根底にあるのは、次の2つのことだと思います。 「私はあなたと違う」 「昨日の私は、今日の私とは違う」 この2つが、人間存在の最も根源的な特徴ではないかと私は思っています。この2つが歴史を創り動かしていると思います。 歴史は個人の側からはどのようなものとして存在しているのでしょうか? それは、「問題」あるいは「課題」として存在しているのだと思います。 我々は日々人生を生きていて、何も欲望せず、何も期待せず、何も夢を見ず、何も不満を持たず、何も苦にならない。などと言うことはあり得るでしょうか? 人生は、何か深刻な「問題」、あるいは、深刻とは言えないけれど何とかしなければならない「問題」、あるいは、大きな夢と期待を実現するための「課題」に常に直面しているのではないでしょうか? それらを何んとか解決しようと模索し、苦労し、成功すれば喜び、失敗すれば、悲しむというようなことを続けているように思います。そのような一人ひとりの営みを総合したところに「歴史」が生まれるのだと思います。 何故なら、「私とあなたは違う」ため、私とあなたが抱える問題や課題が違うからであり、「昨日の私と今日の私は違う」ため、昨日と今日で、私の問題や課題も違うからです。その結果、こことあそこで違いが生まれ、昨日と今日とで違いが生まれるからです。 このことは、良いとか悪いとかの次元の話ではなく、人生の事実のように私には思えます。 この事実は何を意味するかというと、人間は「今、ここでの問題や課題」を日々解決していくように「創られている」ということです。「今、ここで」と言っても、「刹那的に狭視野的に」と言うことではありません。何故なら「今、ここで」の問題は常に「歴史的な背景と世界的(社会的)な状況」との繋がりの中で発生しているからです。ただ、一人ひとりの個人は、その「歴史的な背景と世界的(社会的)な状況」が生み出す問題や課題を直接解決できるわけではなく、現実的には、「今、ここに」自分に現れたものの解決を通してしか参加できないからです。 問題や課題が、「今、ここに」どのような姿で現れて来るのか、それは、一人ひとり違います。そのことにこそ、一人ひとりの存在意義があるのだと思います。「歴史的な背景と世界的(社会的)な状況」との繋がりの中で、「今、ここに」現れてくる自分固有の「問題や課題」の解決こそが人生の目的であり、目標ではないかと私は思います。正確に言うと、そのように人間というものが創られていると思います。 「歴史は繰り返さない」と私は思います。人生が一回きりであると同様、歴史も一回きりだと思います。歴史は刻々変化し、世界も刻々変化します。私も刻々変化します。その結果、私に現れる「問題と課題」も刻々変化します。ですから、人生の目的や目標は柔軟であるべきだと思います。大切なことは、刻々変化する「今、ここに」の状況を常に新鮮な目で見なおす感性の柔軟性を維持することだと思います。 自分が死ぬまでにこれだけのことをやっておきたいという目標を持つことは、素晴らしいことだと思います。でも、それに固執することは、人生をぎこちないものにしてしまいます。常に、新しい状況を見据えて仕切りなおすことも大切と思います。

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

  • dogendd
  • ベストアンサー率15% (2/13)
回答No.19

もしかして、こういう質問て、うつとか、ネガティブにならないと、 わからないのかもしれません。 虚しいとはどういう状態なのでしょうか。 釈迦もかなりネガティブになっていたとか。

taku5934
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

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