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重い刑罰を科せられる犯罪を犯さなければ、何をしても良い?
宜しくお願いします。 (カテ違いでしたらスミマセン) 下記に記述するのはA君とB君の主張の概要です。 双方の主張に優劣や誤謬、矛盾、問題点等はありますか? あれば、わかりやすく解説して下さい。 A君の主張 重い刑罰を科せられる犯罪を犯さなければ、人間は何をしても良い。 人に嘘をついても良い。約束を破っても良い。騙しても良い。迷惑をかけても良い。正当な根拠無く他者を侮辱しても否定しても良い。 まして礼儀正しく謙虚にしなきゃいけない理由なんて何も無い。 軽い刑罰を科せられたって大して痛くも無いし、現在の日本では私的制裁は認められないのだから、 重い刑罰を科せられる犯罪に該当しない行為を否定する理由は何も無い。 このような考え方が悪いと言うなら、その理由を教えてもらいたい。 B君の主張 公的または私的な制裁を加えられないから何をしても良いだなんて、とんでもない話だ。 そんなのチンピラかバカの生き方だ。 法的にも裁けず、私的制裁も認められないからこそ、まともな人間なら、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きるものだ。 A君がどのような生き方をしようと構わないが、僕はそんな惨めな生き方には興味が無い。 A君の主張 なぜ、まともな人間は、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きるんだ? 惨めなのはB君の方だ。 ※特に解説してもらいたい箇所。 ・A君の「このような考え方が悪いと言うなら、その理由を教えてもらいたい」に対する回答。 ・B君の「まともな人間なら、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きる」の理由。 ご回答お待ちしてます。
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primeapeです。A11.12 >もし宜しければ伺いたいのですが、「B君の主張に問題は無い」と言うことで宜しいでしょうか? Bくんは社会に出る前の気構えとしてとてもいい感じです。 人称を「僕」というとお似合いでしょう。 がらっぱちな言い方なら「僕ちゃん」は一見軽蔑ですがそんな下積み生活はものともしないでしょう。 >B君の「まともな人間なら、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きる」の理由。 そうすると自分も気持ち良いからです。 やさしいBくんです。 >A君とB君が問題にしている『法と倫理の考え方』について、 実践あるのみです。 つまづきも経験の1つです。 世の中に出て人のやさしさに触れると社会は支えあう調和の心で成り立っている事を憶えます。 大人になることは何もかも自分自身については自分の意志で決められることです。 これは気持ち良いですよ、その点は甘やかされてすごしたAくんです。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
自分の人生は、やり直しが利かないものと思います。その意味で、自分が、良いのなら、他人がとやかく、言うものではない気がします。本当に本人が、やりたい事であれば、「好きにしてもらう」他にありません。当然その結果が、付いて回ります。「因果をくらませない」と言う事を、早く勉強した方が良いと思います。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
A11です。 仮にロケット団のように悪を貫くことそのものを目標としましょう。 快楽殺人犯が目標となる変質者ですが、そんな大それたことをしなくても電車の中で痴漢行為を働けば全く同種の快感に満足できます。軽犯罪ですから十分せこいです。 B君はやめさせるのではなくこのようにそそのかせばいいのです。 自己紹介となりますが私は頭を真っ白にして何も考えない状態になれます。 たぶん偉いお坊さんに聞いてもこのような犯罪幇助を勧めると思います。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。 もし宜しければ伺いたいのですが、「B君の主張に問題は無い」と言うことで宜しいでしょうか? また、A君とB君が問題にしている『法と倫理の考え方』について、 primeapeさんは、どのような考え方が好ましいと考えているのか、教えて頂けたらと思います。 宜しくお願いします。ご回答お待ちしてます。
A君にはその言動の通りに実践できるか試してもらえばいいんですよ。 その行いには動機が必要としますが、たとえばお金などを目標にしては悪党というよりは欲張りになることを意味します。 欲の不快さの中に幸福があるというマゾヒストならそれも良いでしょう。 仮にお金を目標にしましょうか、そのために悪を実践すると行いがセコければセコイほど社会から除外されて目標とは裏腹に儲からなくなります。 B君はすぐさま止めるのではなく、むしろそそのかした上で「そら見ろ」と、やめるきっかけを与えてあげればいいんです。 そうしなければB君の主張はA君に伝わらないでしょう。 そうすると話し合いの平行線が終わってお互いの主張に納得できると思います。 友達なら悪巧みにも付き合ってあげるモンです。 私にはむしろどうやれば本当の悪党になれるかどうかがナゾです。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
- masa2211
- ベストアンサー率43% (178/411)
本論から外れますが、明らかにB君が間違っている点があります。 ※本質的には関係ない箇所です。 >B君の主張 >公的または私的な制裁を加えられないから何をしても良い A君はそう言っていません。もっと過激です。 >公的な制裁を加えられる場合でも、それがたいしたことなければ(=罰を受ける覚悟があるなら) 実行してかまわない。 で、一般に、刑罰とは、その罪を犯すことを躊躇する程度の罰を与える、 という原則がありますが、人の価値観はいろいろだから、 ・刑罰覚悟の上で罪を犯してもよい。 というのがA君の言っている意味だとすれば、確かに、これを妨げることはできないでしょう。 ※ちなみに、 >正当な根拠無く他者を侮辱、否定 の場合、刑法では最大で懲役3年。(名誉毀損。侮辱だけでなく何か具体的なことまで言ったたとして。) >騙す。 の場合、刑法では最大で懲役10年。(詐欺。) プラス、どちらの場合も、民法により損害賠償(金銭+謝罪)が付加されます。 で、懲役10年を、重い罰でなく軽い罰と言うんだ?そうなの?(人の価値観はいろいろと言った手前、これは認めます。) さて、A君の問題点ですが、 要するに、「懲役10年までの罪については私はいつでもやる用意がある」 と言っています。 これって、まわりの人が皆A君と同じ考えでいる場合、A君は破綻します。 たとえば、購買拒否。 A君は買い物できない。かといって、畑で何か作って飢えをしのごうとしても、全て盗まれる。 というか、畑そのものの権利を騙し取られてしまう。 ここまで覚悟があるなら、A君の生き方をどうぞ。 ------------------- 別解。 「囚人のジレンマ」を多人数かつ長期間行ったとしてゲーム理論でシミュレートした場合。 A君:常に裏切り。 B君:しっぺ返し戦略。 これって、最終的にはB君が有利です。(B君が複数いる場合に限る。) A君どうし:利得は少ない。 A君対B君:1回目はA君が暴利をあげる。2回目以降はB君も裏切るのでA君どおしと同じ。 B君対B君:それなりの利得がある。 であるので、B君と同じ考えのかたがある程度いる場合、B君は、それなりに繁栄します。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。 ご指摘の箇所も訂正させて頂きます。 もし宜しければ伺いたいのですが、A君とB君が問題にしている『法と倫理の考え方』について、 masa2211さんは、どのような考え方が好ましいとお考えですか? 宜しくお願いします。ご回答お待ちしてます。
補足
この場を借りて補足させて下さい。 B君の主張 「公的または私的な制裁を加えられないから何をしても良いだなんて、とんでもない話だ。」 の部分を下記に訂正させて頂きます。 「重い制裁を加えられないから何をしても良いだなんて、とんでもない話だ。」 ご回答お待ちしてます。
A君の主張に 次のような内容をつけ加えると 話がおもしろいでしょう。 ・・・ただし うまくやるのだぞ。自分では悪いことはやらない。 出来る限り 自分の手は汚すな。 もし悪事がばれたら 決定的な証拠が出るまで 絶対に 非を認め るな。もし万が一 自分では手を汚していないにもかかわらず 悪事 の責任をまぬかれない状態に追い込まれたなら すなおに認めるの だ。あとは これまた 素直に刑に服しなさい。 ミソギが終われば また 同じことを繰り返してもよいだろう。さ らに 上手にやれるようになっているだろう。 なお 味方は 多く作ったほうがいい。ただし ただしだ 絶対に その人間を信じるな。信頼していると見せかけるだけだ。それが 出 来なければ 味方につけるな。 まぁ あとは 自分で 考えてやれ。 B君は さらに世の中を見渡していくように努めるといいでしょう。 つまり この質問は そういう小話だと受け取りました。
お礼
ありがとうござます。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
昔々、白楽天が木の上に座って過ごす変わった禅僧・ちょうか禅師にどうすれば天国にいけるのかと問うたことがあった。 禅師は、 「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」と答えた。 ○諸悪莫作――もろもろの悪をなすことなく ○衆善奉行――もろもろの善をなして ○自浄其意――心は常に清らかにせよ ○是諸仏教――これが諸仏の教えである 白楽天はこれに対してそれくらいのことは三歳児でも知っていることだと言った。ところが禅師は静かに、三歳の小児でもわかることが、よわい八十の老人でも行えぬことだと、言った。 ちょうか禅師の言葉に従えば、 Aさんの生き方はこの世しかないという考えでしょう。でも死後は間違いなく地獄できつい生活がまってますね。 Bさんの生き方は死後は間違いなく天国で暮らせるということでしょうね。 法律というものは多くの者が互いに不自由なく生きるための規約でしかありません。人格の向上には無関係なものですね。 どう生きるかは個々の選択だけど、「無知の知」とか「知らずに犯す罪は知って犯す罪より重い」というのはこの世限りの話では理解不能でしょう。ちょうか禅師の言葉が理解できればわかることでしょうかね。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
- harepanda
- ベストアンサー率30% (760/2474)
法理論には、そこそこ詳しい者です。 原理的に言えば、Aさんの意見が正解に近いです。日本の刑法はドイツの影響を強く受けて構築されており、「罪刑法定主義」と「刑法における拡大解釈の禁止」という原則を持っているからです。つまり、事前に刑法で明確に犯罪であると規定されていない行動については、犯罪として責任を負わされることはないのです。 さらに、法と道徳の分離というのも重要なポイントです。法とは外面的規範で強制力を持つもの。道徳とは内面的規範で強制力を持たないもの。これもドイツ的な原則です。 しかし、Aさんの議論には、無茶や弱点があります。一番の問題点は、刑法では無罪になっても、民法で損害賠償請求を起こされたら負ける可能性が高いことです。民法では刑法とは異なり拡大解釈は禁止されておらず、しかも、誠実ではない契約は無効と考えて良いとされているからです。 Bさんの議論については、法と道徳の分離という日本やドイツの近代法の原理に到達していない古い議論で、そもそも法理論上、間違いだと思います。しかし、現実には、この古い議論が、日本には多いのです。裁判員制度の導入で、「殺人犯には死刑が出て当然」などという古い復讐原理に基づく判決が増えることが、懸念されます。「目には目を、歯には歯を」という復讐原理に基づく法は、ハムラビ法典の時代のものですが、現在でもイスラム刑法などに残っています。それに対し、ドイツの近代法は、復讐原理は復讐の連鎖を生むだけだという思想に基づいており、日本でもこの原理を徹底するべきだと私は考えています。ブッダが、親の因果が子に影響するという負の連鎖を止めなければ涅槃への到達は不可能だと説いたり、キリストが、右のほほを殴られたら左のほほを差し出せと説いたりしたのは、ムハンマドがイスラム教を始めるはるか昔のことです。そんな昔の議論を今になって蒸し返しているようでは、日本は永遠に、真の近代国家にはなれないでしょう。
お礼
質問文の至らなさを補って頂き、ありがとうございます。 法律に関する説明も大変参考になりました。
補足
この場を借りて質問文に補足させて下さい。 A君の考えは「民法的に考えても、大きな損害を被らなければ何をしても良い」と言うものです。 また、harepandaさんのご回答が的確な補足になっておりますので、お手数ですが、そちらも一読願います。 ご回答お待ちしてます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
No.5です。 あ、、、 >A君は欺瞞 という言葉を知っているでしょう。説明できるでしょう。 >でも自分がその欺瞞をやっていると気づけない馬鹿。 B君のことでした。 えっとですね。 B君は元奴隷たちが造った法律で罰せられるから、自分は罰せられ痛い思いをしたくないので、悪いことをしない というのなら、彼は法の奴隷にすぎないんですよ。 マキャベリズムってありますよね。 B君は制裁を恐れ悪いことをしないのなら、彼は悪人なわけです。 ご主人様に鞭打たれなく無いので、悪いことをしないだけ。 いやいや 彼は悪いことも善いこともできるが、悪いことをしないので、善人である? じゃ なんで 法律を持ち出すの? 法律があろうと無かろうと悪はしない、じゃなく法律で裁かれるから悪はしない じゃあ条件付で悪をしないってことでしょ? でもB君は人を不快にさせたり怒らたりせず、礼儀正しく謙虚か? 私はB君の主張を不快だと感じました。 彼は傲慢だと感じました。 映画ドッグビルでも、父親は娘に対して「お前は傲慢だ」と言い、グレースは「私のどこが傲慢なのですか」と はぁ???と思った。 視聴者の私から見てもグレースは傲慢のきわみ。 B君も傲慢のきわみ。 B君は私からすれば吐き気しそうなひど不快な人物です。 じゃ A君を支持する? いえ、グレースのパパも支持しません。 B君よりグレースのパパの方がまだマシです。 グレースのパパは善悪をちゃんと知っているから。
お礼
ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
A君の主張も、B君の主張も真理じゃあない。 と思います。 従って >君の「このような考え方が悪いと言うなら、その理由を教えてもらいたい」に対する回答。 も >B君の「まともな人間なら、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きる」の理由。 にも答えられません。 ここに「上の二つ以外」という選択肢があったら、それにマルをつけます。 >A君の主張 >なぜ、まともな人間は、人を不快にさせたり怒らせたりするような言動を慎み、礼儀正しく謙虚に生きるんだ? >惨めなのはB君の方だ。 <ドッグビル>という映画があるんですね。 ストーリーはグレースって人がドッグビルという町にやってきた。 名前からしてどういう町か連想できると思います。 村の倫理を正そうとするトムは、グレースを利用して、人々に自分の理想を押し付けようとするんですね。 トムはグレースを犯罪者だと思い、その犯罪者の犯した罪を断罪せず、集団に受け入れ、犯罪者も村人も仲良く暮らす という理想国家を作ろうとした。 言葉で言うより村人に実践させて、理解させようって魂胆。 村人が「する必要の無い」仕事をグレースに与えることで、グレースに村での役割を与え、グレースはそれに応えることで、信頼関係を築き、理想国家になるる。 とこのようにトムは考えたんじゃないかと。 確かに村人は自分でできる仕事を自分がせず、グレースに与えたことで、自分は楽になり、余暇ができ、グレースに感謝した。 グレースを黒い服の集団が探しに来たが、村人はグレースを庇って突き出さなかった。 だが、やがて村人はグレースのクビに大きな鎖をつけ、重石をつけ、逃げられないようにして、村の男達はグレースを性の道具として活用し、村の女たちは「仕事がいっっぱいあるんだから さっさとやれ!」とこきつかい、グレースは重りのついた鎖をひっぱりながら「はい ただいま」と必死にその要求に答えたんです。 もう一度 黒い男達がグレースを探しに着て、グレースが鎖でつながれ村人の奴隷になっているのを発見。 黒い男達はギャング。 そのボスはグレースの父親。 そう、トムの勘違いで、グレースは殺人者でも犯罪者でもなかった。 親子ケンカし、父親のやり方に反発したグレースは、父親から逃げていた。 そのグレースを匿ったのが村人たち。 父親は娘を保護すると、「お前は傲慢だ」と言った。 「私のどこが傲慢だというのですか」とグレースは言った。 父親は自分の元に戻るのなら権力を与えると言い、グレースは承諾した。 権力を得てグレースはどうしたかというと、村人全員を虐殺した。 虐殺を終えたグレースに父親は「ここで少し学んだようだな」と言った。 少しだけグレースは学んだが、まだ 自分は正しく、父親が間違いだと思っている。 ドッグビルのテーマは「欺瞞」です。 この監督は3部作を考えており、次の作品が「マンダレイ」 グレースはママの法律により虐待されていた元奴隷たちを救った気でいた。 ママの法律は、元奴隷達が作ったとも知らずに。 マンダレイの最初では、奴隷が鞭打たれている。 マンダレイの最後では、グレースが奴隷に激しく鞭打つ。 そして グレース とんずら。 管理者になると被管理者から嫌われることになる。 自分は嫌われ者を演じたくなく、人から尊敬され、善い人だと思われ、善い人だからと人々は自分に従い、主も従も無く平等で皆が幸せな社会を実現しようとした。 グレースは以前、元奴隷たちに怒りの対処の仕方を教えようとていた。 しかし元奴隷たちは説明されても ちっともわからなかった。 そしてグレースは、怒りの対処法を説明できるが、実践できず、元奴に怒り、殺さんばかりに鞭打った。 グレースの怒りの暴走。 元奴隷たちは、亡き独裁者の後釜、新しい恐怖政治をする独裁者グレースの誕生を喜んだ。 さて、第三部作、自分を義人だと思っているグレース、どんなことをやらかすのでしょうね。 最後のテロップに「お前の映画だよ」と出たら、おもしろいでしょうね。 A君もB君も奴隷。 A君は自分の中で善悪を持っているが、悪へ誘惑される心をコントロールできない。 従って善悪の概念を保持する彼が悪に誘惑され悪をやれば、彼は悪の奴隷。 B君も善悪の概念を持っている。 しかし、不完全なものを絶対だと思い、それを自分のみならず他人にもやれと押し付けているグレースと同じ。 グレースは口では言うことができるが実践できない人だった。 A君は欺瞞 という言葉を知っているでしょう。説明できるでしょう。 でも自分がその欺瞞をやっていると気づけない馬鹿。 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070131/p2 『『ドッグヴィル』と続けて観ると、ここにある図式の反転が起こっていることがわかる。前作でグレースは、手痛いスケープゴートに合ったのちにギャングの父を利用することで、「権力の賢い使い方」を学んだ。しかし、『マンダレイ』では、根本的にそのような「権力」自体が通用しないのだ。権力者が民衆を「管理」しているという図式であれば、グレースの介入はパターナリスティックな論理(より賢い権力的な介入!)で正当化できるかもしれない。但し、「マンダレイ型の自由と平等」のように、成員すべてが「納得したうえであえて」差別的な劇を演じ、互いが互いを、そしてコミュニティを「管理」しているとしたら? この問いは「自由」に対する大きな問いとしてのしかかるだろう。』 グレースのパパはギャングですが、一番賢いってわけですね。
お礼
ありがとうございます。
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お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
補足
この場を借りてお礼をさせて頂きます。 皆様、ありがとうございました。 改めて質問をさせて頂きます。