昔昔、ヨーロッパ諸国は、ローマ帝国の思想に大きく影響を受けています。
ということで、ローマ帝国の皇帝はローマ市民及び元老院の承認?の下に成立していました。皇帝は良かれ悪かれ、ローマ市民や元老院の方を向いていなければなりませんでした。皇帝ネロはローマ市民や元老院の信任をを失い、皇帝として存在できなくなり、結局は死を選択せざるおえなくなりました。
西洋の王と市民(国民?)の関係は、そのようなもの(契約行為の当事者同士のようなもの?)でした。国家は市民と皇帝の財産でした。
ところが、王権神授説という王にとって大変都合のよい考え方が出てきました。これは神と王の契約であり、市民は契約には出てきません。神との契約は絶対であり、市民の信任の有無は問題なくなりました。国家は王のものになり、市民も王の私物になりました。
「朕は国家なり。」#1さんと同じく、この言葉に濃縮されていると思います。
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回答ありがとうございました。