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性善説と性悪説、どちらを信じますか?
ある本に、性悪説に沿って物事を考えたほうが、 はるかに人間関係はうまくいくと書かれていました。 皆様は、人間関係において性悪説を信じて行動していますか。 それとも性善説を信じておられますか。 どなたか教えて頂ければ幸いです。 よろしくお願いします。
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まず前提として 性善説の立場は「人は悪いことはしない」 といっているわけではありませんが そのあたりの理解はよろしいでしょうか どちらの説に立っても人は「悪いことをするもの」ですので それに対する備えは必要でしょう 期待し信頼している場合に裏切られた場合の方が ダメージは大きいものですので
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- nabayosh
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善とか悪とかいったものは後から判断される後天的なものであるから、先天的な「性」が善であるか悪であるかを問うのはナンセンスだと私は思っていますので、どちらにも与しません。 善とみなされる可能性も悪とみなされる可能性も両方兼備した、黒白分ちがたい性を持っています、万物は。
お礼
なるほど、ご回答ありがとうございます。
- adaypajimy
- ベストアンサー率20% (201/964)
基本的に人は性善だと思います。もうすこし穿って考えるならば、経営ということを考える場合は似たような意味で、性弱説という言葉が用いられます。私は人間をとらえる時に、性善説を前提にして性弱説を用います。 日本人は組織的な善を追及するあまり、組織的な悪を犯してしまうことがあります。基本的に善人なのだと思いますが、その持ちうる弱さ(性弱)を見れば仕方が無いことです。上に命令されたら、賞味期限を改ざんして見てみぬふりをするのは悪というより、人の弱さです。 借金をして返せず逃げてしまったのは性悪だったからではなく、性弱だからです。ヤクザにつかまれて涙を流して誠意を示さず逃げること…これは悪ではなくて、人間は金に汚いと断定するのも少し筋違い。ただ弱かったということ。基本的には善なのですが、弱く脆く悪に至りやすい。それを抑制するための仕組みを作るのが、経営者や政治家(法律家)の役目なのではないかと思います。
お礼
性弱説という説を初めて知りました。 今度詳しく調べてみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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性善悪入り混じるかのこの世にいて、本来の性善を見、経験し、生きることができると確信し、精進しております。 人は弱気が、弱さがものをいっているかの如き現状だけで判断するものではないと存じます。 性善も性悪も、一定の何から考えてのことが、常人の場合あって、本当の性善でも性悪でもない、ものですから、向上していく過程、加工していく過程の状況でしかない。一時のあり方に過ぎない。 それだけのことではないでしょうか。 私は性善を確信し続けたいと存じます。事実と現状がどうかというのはあまり結論には近づけないなのではないですか。
お礼
なるほど。長い目で見れば、善でも悪でもなく、一時のあり方に過ぎないということなのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。
- raphael7
- ベストアンサー率35% (11/31)
性悪説です。 理由は以下の通り、 (1)経済を考えるのであれば、物質を生み出し消費させる。このプロセスには大きな人間の貪欲が含まれているという事。 (2)性を考えるのであれば、欲というものに刺激され行動するという事。この欲というものは、即ち、釈迦の説いた「毒」そのものであり、その毒の由来は肉体その物であり、悪魔の干渉である。 (3)人間を考えるのであれば、悪意を抑制する理性があるという事。理性とは初期の頃は悪意にかかる小さなゴマのようなものでしかない。悪意を覆い尽くすには悟りを得ること。 今言える事はこれだけ。
お礼
ご回答ありがとうございます。
頭を真っ白にして何も考えない状態になれる特技があります。 自らの心の状態について心理学的解釈や哲学的解釈で探求しています。 悪意およびマイナス思考は欲望を回避する抗体ワクチンのようなものです。 悪は努力しなくても普遍的共感を呼びます。 そのために人間関係はうまく行くのでしょうがもう古臭い人生経験のような気がします。 欲望回避の達人たる私は悪意を必要としません。 したがって人間の本質は善です。
お礼
なるほど。ご回答ありがとうございます。
- phusike
- ベストアンサー率38% (29/76)
個人的には性悪説ですね。 しかし、よく誤解されていますが、 性善説と性悪説って、実は言っている中身はそれほど変わらないのですよ。 性悪説は、「人間の性は『悪』だから、後天的努力によって矯正せねばならない」と説き、 性善説は、「人間の性は『善』だが、放っておくと悪に染まるので、そうならないよう努力しなければならない」と説くだけの話です。
お礼
性悪説と性善説は似通った説だったのですね。 ご回答ありがとうございます。
- masaki_end
- ベストアンサー率33% (1/3)
私は性悪説が正しいと思っています。(今までの方が仰られているように正しい正しくないとう問いは無意味だとは思いますが、どっちか選べと言われればということでw) 人間の本性は悪である、この解釈によると思うんですよね。善と悪とは何かを考えるといいのではないかと思います。 独自解釈ですが、例えば、子供で考えるとわかりやすいのかなぁと思います。生まれたばかりの子供です。 行動だけ見れば、彼らの行動は悪です。ところかまわず用を足すし、欲求を基本的には抑えません。普通の社会人がそれをしたら悪ですが、子供の場合、私たちはそれを悪とは見ません。だって、仕方ないですからねw そして、彼らに対してしつけ・教育を行います。また、子供自身も他人との交流の中で、自然に社会のルール(善)というのを学んでいきます。 そういう意味で、私が性悪説が正しいと思うのです。 人間も群れて生活するという動物ですから、元々社会生活に適応した能力を持っている(要は善を持っている)とも言えなくはないとは思うのですがね。 独自解釈ですみませんが、どうでしょう^^
お礼
なるほど…ご回答ありがとうございます。
- shanka
- ベストアンサー率20% (1/5)
善悪どちらもあっての人間だと思います。 ただ究極的なことを言えば人は善だと思います。 理由は、生まれたばかりの赤ちゃん、小さい子供はみんな善だからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
性善説は悪事を為す原因についての孟子の見解(説)で、 性悪説は悪事を為す根拠についての荀子の見解に過ぎません。 つまり、どちらも宗教ではなくもちろん、信仰の対象でも無いのでどちらかを信じて行動することはありえません。 どちらかを信じても行動に影響しませんので。 構造計算書偽造問題のとき、 「世の中は性善説で成り立っているから疑わなかった。」 と述べている関係者がいましたが、ご承知の通り世の中は性善説で成り立ってはいません。 性善説で成り立っているのならば、 「人はみな悪事を為すから誰も信用できない。」 と言うことになります。 「世の中は信用取引で成り立っているから・・・」の誤用でしょう。
お礼
なるほど…ご回答ありがとうございます。
- neuro
- ベストアンサー率43% (167/384)
二者択一は難しいと思います。 どちらもバランスの問題ではないでしょうか。自分の経験からしますと、失敗の許されない仕事など、他人を当てにしてはいけないので、最悪の事態を想定しながら物事を計画・遂行します。相手に悪意があるなしに関わらず、他人と自分を切り離した見方で付き合うということでしょう。一方で、付き合いの範囲内において、信用できる人はとことん信用するようにもします。こちらがある程度善意で接すれば、そうとうひねくれた人間で無い限り、相手もこちらを信じてくれるはずです。もちろん「お互い様」という寛容の心を互いに持っていることが前提ですが。 仏様ではないので殺されてまで相手に寛容になる必要はありませんが、いつも相手を疑って生きている人は他人からも信用されないと思います。
お礼
なるほど… ご回答ありがとうございます。
お礼
どちらの説にたっても人間は悪いことをするものですね… ご回答ありがとうございます。