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王権神授説について

中世において、上記のような考え方がなぜはやったのか疑問です。わが国における、天皇制教育における洗脳とは同一でないような気がします。なぜなら、中世都市の研究によれば、このような市民の神に関する意識が出てくるのが不思議のような気がするのですが。

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  • kequ
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回答No.2

No.1 です。難しい質問ですね・・  そもそも民衆の意識というものが、史学で取り上げられ始めたのが、近年の ことですからね。それについては、ご自分で、そういった本を読んで研究される と良いと思います。 あくまで私の推測ですが、一般の民衆は、王権神授説や王位の正当性なんて、 どうでも良かったと思いますよ。そんなこと言って、自分達が覆せるわけでもないし、 為政者がいる(変わる)ということ以外、小難しい議論には興味はなかったと思います。 また、王の側も、王権神授説で押さえつけようとしたのは、民衆よりもむしろ 教会と封建領主・貴族といった有力者ですからね。 それと、当時の民衆の信仰していたキリスト教なんかも怪しいですしね。 そう言われてしまえば「そうなのか」と思ってしまう人々が大半だったのでは ないでしょうか(英国国教会の一連の騒動とかみてると)。

その他の回答 (1)

  • kequ
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回答No.1

「中世」って、どこの地域の中世でしょうかね? ヨーロッパの場合、王権神授説が流行るのは近世(ルネサンス・宗教改革 あたりから、産業革命・市民革命の前夜まで)ですね。絶対王政と対になって 出てくる概念です。 中世にも、教皇に王位を認めてもらうみたいな形で近いものはありますけど、 近世の王権神授説というのは、これに対するある種の対抗政策なわけで、 ローマ・カトリック介入を許さず、それ無しでの王権の自律性を主張する 論拠となったわけです。 だから一つは、カトリック勢力を、少なくとも俗権内部において無用にするため。 もう一つは、王権の正当性を宗教的側面からも援護させて、下の人間を 抗いがたくするため。

honsitu
質問者

補足

ありがとうございました。 ところで、民衆の意識はどのようなものだったのでしょうか。キリスト教は信じられているとはいえ、絶対王政になってからの王権の正当性は、どのように浸透して言ったのでしょうか。 あるいは、都市と農村ではどのような意識の違いがあったのでしょうか。 この場合の中世とは、西欧の場合で、お答えの範囲です。