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『去る人日々に疎し』と云うにも関わらず何故ですか?
友人が死んだ時には悲しみが込みあがり、涙がポロポロ出ましたが最近は記憶と共に悲しみも薄らいできました。 親御さんでさえも同様のことを言っておられました。 人間は同じことを行なったり、考えたりすることには飽きてくるものでしょうか? 皮肉にも、それは成長と言う人もおりますが・・・ キリストからブッタまで、世界中の宗教界では恰も「死んだ人のことは忘れた方が良いとか、時々思い出してあげれば仏も喜び、それが供養になる」と 教育指導をしておりますが、私には宗教システムと云うものは 死んだ人はもとよりですが、残された人主体に考えられた様に思えます。 とても寂しがり屋だった友人が、死んだ日より友達が日に日に減っていく様に思えてなりません。 一回忌、三回忌と葬儀時に比べて集まる人が何処でも減っているのが何よりの証左です。 只でも人々は忘れていきますのに、追い討ちをかけるように「たまに思い出してあげれば良い。」とは、仏が望むはずはありません。 「死人に口なし!」コンセプトなのでしょうか? 私は、忘れないための努力をすること、こそが供養と思いますが如何ですか?
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