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アメリカ・日本の宗教意識
こんにちは。 いつもお世話になっています。今、小論のために色々調べていますが・・・・。アメリカ人と日本人の宗教意識について、知りたいです。 日本人は、よく無心教といいますが、大晦日に神社に行ってお参りしたり、京都や奈良のお寺に行って拝んだり、全く神や仏を信じていないわけでもありません。 多くのアメリカの人は、キリスト教を信じていますが、よくお寺を訪れたり、座禅体験をしたりしている人までもいます。 日本人もアメリカ人も宗教についてどう思っているのでしょうか?? 何かご意見でも構いませんので教えてください。もし、何か関連のあるHPなどがあったら是非教えて頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。
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日本の根本はご先祖さまを敬うという思想ですよね。 西洋は神を敬うということで、日本とは違う。 日本には食べ物を神棚に乗せて「仏さんに」としますが、この場合の仏さんとはご先祖様のことですよね。 古代にイスラエル王国というものがありましたよね。 後に北と南に分離しましたが、この北側は山をご神体みたいに考えていた。 日本も山は神が住むところとしていますよね。 春になると神様が山から下りてきて、芽吹かせ、実らせ、秋になるとまた山に帰っていく。 山に向かって「ありがたやー」と感謝していた。 取れた作物の最初を山に感謝として届けたりしていた。 そのうち 山の麓に祠とか社をちょこんと立てるようになり、山に登って取れた作物を捧げず、作った社に捧げるようになった。 まだ この時点では神の偶像を作って崇拝するってことはしていなかったんですね。 後に仏教が伝来してから、神仏を作って拝むようになったと思えます。 でも、神道は神仏を作って祈らない。 つまり神道と仏教は違い、神道は古来の日本の宗教に近いと思えます。 仏教は外来です。 日本は宗教に寛容で、いろんな神様ウエルカムなのですが、ちょっと変化させて取り込んでいったようです。 で、神仏習合が起こり、線引きが曖昧のように思えるのですが、人が死んだとき、弔うのは仏教の方で、神道は穢れの期限を決め、その期間神社に接近することを禁じたんですね。 外国人がお寺で座禅体験をするのは禅体験だと思います。 でも、これも外来のもの。 日本で日本以外の文化を体験しているってわけですね。 大晦日というより、新年におまいりするのは、大晦日までに穢れを清め、リセットがかかったので、清い体で神に会いに行っているって感じだと思います。 大贖罪をして穢れを清め、新年を迎えるというのは、日本独自のものじゃなく、古代ユダヤ教でもそうだった。 確か3月が新年だったんじゃないかと思います。 でも日本は1月1日。 西暦になって新年が1月1日になったが、新年を迎えるという基本概念は変わらない。 じゃあ、神道も結局 ユダヤ教関連か というと、少なくない影響は受けていると思います。 神道が確立する前の土着の神道と、勢力が確立した神道とある。 後者の方がより古代ユダヤ教の影響を受けていると思えるんですね。 ただ、1世紀にイスラエルはローマによって崩壊して世界に散ってしまいましたよね。 でも、もっと前に、北の山をご神体とするイスラエル王国は滅んでいる。 それが長い間、ちょっとずつ移動してきて、やがて日本の土着宗教を取り入れながら、国家神道が形成されたんじゃないかと思うふしもあります。 ということで、じゃあ どれが日本古来の宗教なのか。 わからないです。 古代の日本の歴史は、日本書記とか古事記とかからしかわかりません。 卑弥呼とかは中国の書物から少しはわかりますが。 じゃあ 卑弥呼の宗教が本来の日本の宗教かというと、日本は昔一つじゃあなかった ということを考えなければならない。 大陸から龍の文化などが人とともに移動してきて、出雲神社に発展したと思えます。 で、しめ縄など蛇文化(畑の文化)が残っているし、稲作文化を持つ人たちが大陸からやってきて、天照文化が形成された。 少なくとも二つの思想、文化が日本にある。 で、どんぱちやって、これじゃあ 内乱づくしでいかんということで、天下を統一しようとする武将が現れ、神社も寺もOK ただし、キリスト教は先祖を敬わないから駄目ってことになり、日本人の思想を先祖を敬う=自分自身を大切にする という思想に統一され、、、、、、 ややこしいですね。 そういう歴史を知らない西洋の宗教が、いきなりやってきて日本の国体である神社・仏閣を破壊しちゃったので、武将は宣教師を追放して、日本の弱体化を阻止し、外国勢力からの侵略を防ごうとしたんですね。
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- amaguaeru
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外国語を学ぶことにおける翻訳作業は自国語の厳密な言葉の吟味が始まるきっかけとなるでしょう。 同じような意味で自分の属する宗教を本当に知ろうとしたら他の宗教を知ろうとすることは大切なことだと思います。 モルモン教の人とかも仏教を研究している方もおられるようで キリスト教の教義に近い浄土真宗とかは共通部分も多いと思うのではないでしょうか。 神道がアニミズム的な自然崇拝の哲学としてレベルが低いと言う人がいますが 同じ日本人だとしたらその認識の低さに驚きます。 真の神道の理解は仏教をも内包するものだと言うことが解るでしょう。 また神道を象徴する天皇は 伝統や文化や技術など日本の粋の結晶を結集し文化水準の高さを理解し体現し保持する存在であると思います。 そのことを以って外国からの来賓を迎えようとするのが日本人のもてなしの心であったりするのでしょう。 天皇は神道の精神性としてピラミッド型の頂点に君臨するという質のものではなく 国民の一人ひとりが神なりの道にあって 無心なる手仕事によって産み出された地域の文化技術の粋が集まるところに選ばれるということはその職に従事するものとしての誇りであり、 外延が日本人の心意気、そういうことだけにおいても必要にして十分に尊ぶ存在として認識していたということなのではないでしょうか。 芸術はわかる人に鑑賞してもらうのが最も嬉しいことであるし 心を込めて造った料理はその素材に始まり 口に入るその料理に至るまでのことに思いを馳せ その夫々ことに感謝することのできる人に食べてもらえるのが一番嬉しいことなのです 道元禅師は造りだす心意気というものがあればそれを味わう作法というものもあると典座教訓・赴粥飯法のなかで述べています。 釈尊はさとりへの道だけを説いたと言われ 小乗仏教はそれのみを伝承することに意義を見出し 禅宗は釈尊の教えに直に参入します。 大乗仏教はさとりを起点に苦の発生の原点を看破し人為的に発生する苦は取り除く努力をし大きな船全体で調和していく生を志向します。 大乗仏教は日本の神道と融合し花開いたのです。
お礼
回答を頂きありがとうございます。とても、勉強になります。 実は、私のテーマは、日本の習慣やしきたりについてなのですが、このテーマには宗教への関係が深くあると思った事と、ネイティブの方にに質問された事から、こちらに質問させていただきました。 amaguaeruさんは、どうして >真の神道の理解は仏教をも内包するものだと言うことが解るでしょうまた神道を象徴する天皇は 伝統や化や技術など日本の粋の結晶を結集し文化水準の高さを理解し体現し保持する存在であると思います。 と思われるのですか??よろしければお教えください。よろしくお願いします。
- katyan1234
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厳密に言えば日本もアメリカも同じです 仏教徒と言っても自分の宗派は言えず、開祖も知らない、またクリスマスだ~と言ってケーキを食べてますから諸外国から見れば????です アメリカも教会にまじめに通う人は少なくなったと言う 皆様 HAPPY HOLIDAY! (アメリカじゃいろんな宗教の人がいるのでメリークリスマスとは言わないです) これが常識らしい http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Ivory/7778/events.htm かけなくなってしまった?ごめんなさい
お礼
アメリカでも、教会に通う人が少なくなった人がいるというのは、もっと調べてみる必要がありそうですね!!ありがとうございます。新しいヒントになりました!
- phj
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個人レベルで宗教観を尋ねたら、信心の濃い人もいますし、ほとんど無宗教に近い人もいます。 アメリカと日本の宗教観を比べたとき、最大の違いは国の成り立ちへの宗教の関わりではないかと思います。 私も質問者様も、「国の成り立ちに関する宗教の役割は?」なんて質問されても、頭の中が「???」になってしまいます。日本の成り立ちと宗教のかかわりはもちろん深いものがありますが、それをすぐに答えるなんてことは、ほとんどの日本人が出来ないでしょう。 しかしアメリカ人は違います。 アメリカ人は自分がどの様な出自であれ、ピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてアメリカ合衆国の歴史が始まったことはよく知っています。もちろん、宗教迫害を受けて、(宗教的に)理想の国を作ろうとしてやってきたこともです。(だから自分の信仰を他人に押し付けないのもアメリカ人の特徴です) ですので、宗教に対するスタンスが日本人とアメリカ人は違います。 日本人にとっては、宗教は水や空気と同じです。もちろん、神道的な考え方がそうさせていることも事実ですが、それ以上に日本人にとって宗教は日本の長い歴史の結果と「考えるまでもない」ほど、身近にあるものなのです。 それに対して、アメリカ人はどうしても自分の宗教観を問われがちです。もちろん面と向かって「貴方の宗教は?」と聞かれることは無いでしょうが、イギリス人を祖先にもつ人とイタリア移民では同じキリスト教徒でもプロテスタント・カソリックと違いますし、アジア系の移民なら元々のキリスト教徒だったり、祖先の宗教から改宗したりした人もいるでしょう。 また建国の理念自体が聖書を元にしていますので、自分と聖書との距離によって、国への忠誠が計られるのではないかという不安を持つ人もいるはずですし、現実的に太平洋戦争時の日本人強制収用とか、9.11以後の国内のイスラム教徒への弾圧などの事実もあります。 結局のところ日本人は「なぜ自分がこの宗教なのか?(たとえば葬式のとき)」ということを考える機会は一生のうちにほとんど無く、アメリカ人は「なぜ自分はこの宗教を選択するのか?」と問う機会が(人によってはかなり)あるということです。 アメリカ人は陽気で宗教的制約に縛られていないという点で、ヨーロッパ人と比べて日本人と似ているとよく言われています。(医学やロボットなどの科学での宗教的ハードルが低いということなど) しかしそれは宗教が空気と同じぐらい透明な日本と宗教は自由でなければならないという信念をもつアメリカという間逆の価値観の結果なのです。
お礼
なるほど!! 確かに日本人は、空気などのように、あまり意識せず宗教を取り入れていますね!とても参考になりました。ありがとうございました。
- harepanda
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平均的な日本人の場合、神道と仏教の混合の中で生きています。神道はアニミズム的な自然崇拝の宗教で、哲学としてみれば、レベルの低い宗教です。仏教のほうが、はるかに進んだ哲学であるといえます。たとえば、葬儀の際に清めの塩を使うという習慣がありますが、これは神道のものであり、仏教のものではありません。死をけがれであるととらえる神道の習慣が、生きるものは全て仏であるという考え方のはずである仏教に取り入れられてしまっているのです。特に、遣唐使廃止以前の古いタイプの仏教は、神道や儒教までごちゃ混ぜにしている傾向があり、真言宗の葬儀に行くと、さかきの葉で死者に水を飲ませるなどという、露骨に神道的な行事に出会うことがあります。また、検討廃止以前の仏教は、シルクロードの末端として日本に国際的な情報が入ってきた事情もあり、仏教というよりヒンズー教に近いのではないかと思うときがあります。例えば、真言の場合、仏陀よりもえらい大日如来というわけの分からないキャラクターが登場します。松岡元大臣の葬儀の時は、仏教式の葬儀のはずなのに、TVにはしめ縄が映っていました。わけが分かりません。他方、浄土真宗は本来の仏教の理念に立ち返っているため、清めの塩は使いません。神道と仏教が共存することによる悪影響は、死をけがれと見なす神道と、殺生を嫌う仏教が並存したことによって、革製品の作成や畜殺といった仕事が低層民に押しつけられ、被差別部落の発生につながったことが見逃せないと思います。 アメリカには進化論を信じないキリスト教原理主義者が多数いて、学校で進化論を教えることに反対する訴訟を起こしたりすることがあります。アメリカはもともとがイギリスにいられなくなった清教徒が作った国なので、時折、狂信的なキリスト教徒が出てくるのです。例えば、キリスト教原理主義には空中携挙(Rapture)という教義があって、ハルマゲドンで世界が滅びる時に、敬虔なキリスト教徒のみが神によって空に引き上げられ、永遠の命をえるなどという身勝手な思想があります。ハル・リンゼイの「今は亡き大いなる地球」という本は、この思想の代表作で、1、800万冊も売れたと言います。このサイトあたりが、日本人による、同じ思想の宣伝と言ってよいかと思われます。 http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/
お礼
アドバイスありがとうございます。 また、違った面から宗教を考えられました。HPも参考にさせていただきます!
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんばんは いまカナダに滞在しております こちらのキリスト教会の方に、日本の宗教観をたずねられたら、 このように紹介しています 大多数の日本人は、大陸から来た仏教と日本の神道の2つを信仰していますが、あまり信仰深くはありません。 正月に神道の神社に詣で、結婚式はキリスト教の教会での挙式、葬式は仏式という人が多いです。クリスマスはキリスト生誕祭ではなく、イブにデートをする恋人のイベントとなっています。 クリスマス休暇はありません。 天皇崇拝はすたれましたが、天皇誕生日は国の祝日です。 縁起、迷信、お守りがよく信じられており、 仏壇、仏像、神棚に対して手を合わせるなど、偶像崇拝が多いです。 神への認識の違いから、神をおそれぬところがあります。 ベジタリアンは大変少ないのですが、 仏式の法事のときにベジタリアン食を食べる習慣があります。 日本在住の日本人キリスト教徒は人口の約1%ですが、 毎週日曜日に教会に通うなど、信仰心があつい人が多いです。 日本人は「無宗教」と「宗教心が薄い」ということの違いを取り違えている方が多いということを付け足しておきたいと思います。 「私は無宗教です」と言ってしまうと、 「私は無神論者です」というのとほぼ同じ意味にとらえられます。 全くの無神論者でないのでしたら、「私は仏教徒ですが宗教心は薄い」などと伝える方がよいと思います。 カナダ人クリスチャンに、「日本は天皇崇拝はもうしていないんだよね?でもヒロヒトのお誕生日は祝日なの?」と聞かれました。(昭和天皇の誕生日=みどりの日のことです) カナダ人が昭和天皇の名前を知っているほど、日本の天皇崇拝は強烈な印象があったのか・・・と思い知らされました。
お礼
詳しくありがとうございます。 確かに、天皇崇拝はしていないですが、日本人は祝日に加え、天皇に特別な何かを思っているような気もしますね。
お礼
とても勉強になりました! ありがとうございました。日本人の思想は、いろいろな要素を取り入れながら、変化し続けて来たのですね・・・