太平洋戦争の緒戦から、数々の海戦を生き延びて、
戦後は台湾に行って生涯を全うしたんでしたか。
有名なフネです。
生き延びた理由…、運が良かったと言ってしまえばそれまでですかね。
タマが急所(構造上の急所とか、あるいは艦橋など指揮命令系統中枢、
もしくは弾火薬庫など)に当たらなかったのは大きいと思います。
しかも、ソロモン海戦、ガダルカナル海戦、レイテ沖海戦、
信濃・大和護衛など、太平洋戦争中の主な海戦に必ず名を連ねている
わけです(終戦直前には機雷すら踏んでいる)から、
これはなんとも不思議なことです。
とはいえ、空母「信濃」のように助かるはずのものが失われたケースも
ありますから、その裏返しで助かるはずのものを助け抜いた、
という考え方もできます。すなわち、
(1)歴代艦長の操艦技術が優れていた。
(2)歴代乗組員の応急処置能力が高かった。
(3)館内の意思疎通が図れていた。
(4)士気が高かった。
ということでしょうね。特に(4)は、歴代艦長に人を得たことも
ありますが、「不沈」の名が高まるにつれ、乗組員にも
適度な自身と緊張感が備わったのではないかと考えられますね。
なお、
> 「雪風」の船内はピカピカ
という話ですが、これは戦後引揚船として活躍した後、戦利品として
中華民国に引き渡される際、最後の乗組員たちが一点の曇りも無いよう
館内を磨きあげて引き渡したというエピソードのことでは無いでしょうか。
これは、伊藤正徳氏の「連合艦隊の栄光」中の
第七章「世界一の幸運艦・雪風」~第九章「不眠不休の大活躍」
の最後に書かれています。