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牛や豚を育てて、売るという仕事
牛や豚を育てて、食用のために売るという仕事をしている方に質問です。えさをやり世話をみれば、すこしでも情がわくものではないのでしょうか。 どんな気持ちなのかおしえてください。
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昔の農家は大抵、豚や羊、ヤギ、鶏、アヒル、ウサギなど複数の家畜を飼っていました。 勿論、毎日食べ物をやり、草を食べさせに草地や田畑や川原に連れ出したりして世話をしますから、情がわきます。 鶏など卵を産まなくなると、屠殺して肉にしていました。昔は冷蔵庫がありませんから、ミルクや卵や魚以外の肉を自給自足でしたね。さすが、ヤギ、羊、豚、牛などは、買取にきてもらって、屠殺場で肉にされていました。主に農家以外の町や都会の人の肉になっていたのでしょう。あるいは燻製やハムなどに加工されて。農家は自給自足経済でしたから、お祭りや特別な日に鶏を食肉にした位ですね。昔の僕の家では、豚、ヤギ、羊、鶏、アヒルを飼っていて、小学校の頃、鶏の卵や山羊の乳を動物性の蛋白質の栄養源としていました。豚は育てて太らせて業者に売り渡して農業収入にしていました。羊は羊毛を刈り取って業者に売り渡していました。どこの農家も同じでした。魚の干物や塩漬けなどは行商の業者が売りにきていました。僕の家内の実家は昔牛や馬を買っていたそうです。牛や馬は農耕につかったり、牛は牛乳を搾って売ったり、自家用で飲んだりしていたようです。雄の牛は農耕用か、育てて肉牛として業者が買い取って生きました。塗擦され都会の人の食肉になったと思います。 自給自足と牛乳・山羊乳や卵は農家の蛋白源でした。お米と麦と家畜などが農家の現金収入源でしたね。 勿論、育てた家畜には、情がわきますね。でも業者に売り渡すとまた若い家畜が連れてこられまた育てる事の繰り返しでしたね。 都会や農家でない町の人の蛋白源として屠殺され食べられいたのでしょう。僕や家内の幼児~小学校~中学時代がそうして育ってきました。昔の農家はそういった自給自足の生活をしていましたね。 今は、鶏位が飼われる位でそれも少なくなりました。現金支出が多くなって、農村の若い人は町や都会に出て労働者やサラリーマンになって農村から徐々に出て行くようになって、かっての家畜は、酪農家や牧場での大規模畜舎で飼育されるようになって、今では農村部に家畜は見られなくなってしまいました。いるのは、猫や犬ばかりで、たまに大規模鶏舎をやっている農家がある位です。 昔の思い出となりました。
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- taro1121
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「殺す」のではなく、「お肉」にする。 そう考えています しかし、生き物の命を奪って、糧を得ているのだから それなりに「命」を見つめている人がほとんどだと思います 命を得て、「お肉」になれずに病死・事故死していく生き物のほうが よっぽどかわいそうに感じます 例えば、卵を取る鶏。この仕事の中で、オスのヒナはすべて処分される しかたのないことだと思いますが・・・ 産卵している鶏でも、その群(1万・10万羽といった群れ)の産卵率が 低下すると入れ替え(古い鶏は処分・・・こちらは加工用の食材になる) 「お肉」には命が宿っていると考え、おいしく頂いてください
お礼
なるほど、そういう考えをしていらっしゃるのですね。回答ありがとうございました。
お礼
やはり情ってわくものなんですね。人間って肉をぜったいに食べなきゃならないのでしょうかね。。貴重な思い出を詳しく書いていただき、とても参考になります。ありがとうございました。