こんにちは
補足読ませてもらいました。なかなか結論がむずかしいですね。
では、さらに踏み込んだ話をさせてもらいます。今回のお題は音の感覚ということですが、「感覚」という言葉ありますが、まだこの言葉事態はっきりしたものではない気がします。五感というものがありますが、目、耳、鼻、舌、皮膚に分れますが、刺激物がこれらにはたらきかけるわけですが、しかし、それぞれの器官は大脳とつながっておるわけであって、それぞれの器官に処理機能はついておらず、あくまでセンサーの役割ですね。つまり、耳から入った音楽は、大脳という情報処理で認知するという手順になる(細かく言えばもっとあるかもしれないけど)。認知する、つまり知覚ですか。じゃあ感覚は?といわれると大変困ります。そこで、今回のお題の音楽の認知というものと、感覚が密接な関係があるとともに、重要な鍵となるのかな、なんて思ってみました。
大脳の情報処理機関には、前頭前野、運動野、視覚野、聴覚野、言語野、感覚野に分れますが、ここからは、またぼくの憶測になります(毎度すんませんな)。まず音楽というものを、スペースシャトルのようなものと想定してください。想定できましたか?では、ある音楽を聴いて、「いいメロディーや」と思ったときの場合、その音楽が耳に刺激を与えてからどういうふうに大脳処理場に送られるか、メロディーがいいということは、その音楽シャトルから言語という部分が切り離され、言語は言語野に向かいます(単体で)次に、リズムを刻むドラムやベースも切り離されて、これらは聴覚野に向かいます。そして残ったメロディー機は、感覚野にいくのではないのかな、と考えてみました。なぜなら聴覚野に向かってしまうとメロディーではなくなってしまうような気がするからです。まあ一つの考えかたとしてくださいな。つっこむべきところは、多々あるとおもいますが。このくらいで勘弁してくださいな。
補足
そうですね言葉にだすと「好き」とか「格好よい」 とか「この曲すげーくるよね」とかになるものが、 脳言語と一緒とはかぎらないですよね。回答を頂くたびに自分の説明が不完全だと気づかされます。 newggiさんのおっしゃるとおり、人によってある物への反応として脳内で快感物質、不快感物質がでる基準というのはどのように作られるのかということです。 三番目のの回答への補足と関連させると、子供が生まれて から初めて音楽を聞いたときに、それまで何も聴いたことがなかったとして、すでに脳に快感、不快感の反応が でるのでしょうか?例えば音だけに限って言えば、人間にとって心地良い音悪い音というのはある程度共通に設定されているのですかね?何人かの子供に初めてヘビメタをきかせるとして嬉しがる子供と嫌がるこどもにわかれるのでしょうか?