- 締切済み
漢文について
暇つぶしに漢文の勉強をしている者ですが、 高校の国語などで勉強する漢文の読み下し方法は、なぜ現代の中国語ではできないのでしょうか。 それができる、できないという時代の区切りは一体いつなのでしょうか。(たとえば、清の時代はできて、中華民国の時代はできないとか) もし現代中国語でも可能なら、その有効な方法が書かれてある情報(書物など)を教えていただけると、うれしいです。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Big-Baby
- ベストアンサー率58% (277/475)
訓読法とは面白い解釈法だと思います。語順を変え、助詞、助動詞を補うだけで日本語に変えることができるのですから。言語学的には確かに漢文も外国語のひとつなのですが、中国語をはじめ他のいかなる言語も同じように語順を変えるだけで日本語にはなりえません。漢文に於いてこのような訓読が可能なのは、漢文の語彙体系が日本語の語彙体系と一致する、より正確に言えば、日本語の語彙体系が漢文の語彙体系を含んでいるからです。中国語の語彙体系と日本の語彙体系は共通部分も多いものの一致しません。そのままでは日本人には理解できない無数の語彙が存在します。日本語、漢文で天体の月は「月」でいいのですが中国語では「月亮」と言わなければなりません。顔の口も日本語、漢文では「口」でいいのですが、中国語では「嘴」になります。やさしい文を取りあげてみましょう。 我去東京 という文があれば、これに順番をつけて、我(1)去(3)東京(2)として、順番通り漢字を追ってくださいと言えば、漢文をまったく理解できない人でも日本人なら誰でも「我東京を去る」という意味だと理解することができます。ところが、同じ、この文は中国語であれば「私は東京へ行く」という意味になります。これほどチョー簡単な文章でありながら中国語の学習無くしては正しく意味が取れないのです。 また、中国語では漢文になかった多くの新しい文法機能が出現しています。a mountainなら中国語では「一座山」といいますが、これを「一座の山」と訳していったい誰がただしく理解できるでしょうか?意味がよくわからない直訳などまったく意味がありません。細かいアスペクトなどもうまい訓読方法などないでしょう。一例を挙げます。「彼はまもなく戻ってくる」は、中国語で次のように言います。 他要回来了 これをいったいどうやって訓読できるでしょうか?訓読可能とおっしゃる方は是非挑戦していただきたいものです。たしかに、中国語も漢文と同じ構文を取ることがあり、その場合だけは同じように訓読可能ですが、それ以外はたいへんに無理があります。He watches televisionを中国語で言えば、 他看電視 となり、これは「他、電視を看る」と一応訓読できますが、この進行形の文をどうやって訓読できるでしょう? 他在看電視(彼はテレビを見ている) 漢文と中国語の違いについては前に解答したことがあるのでご参照ください。 http://okwave.jp/qa2364671.html 漢文は中国の古典だけでなく、清末まで公文書、新聞、書籍等で広く使われていました。よく知られているように官吏になるためには科挙の試験に合格しなければならず、中国の官吏になったものは誰でも漢文が自由に書けたのです。かっては日本の文人たちも漢文を自由に操ることができました。鴎外の晩年の頃の日記などすべて漢文で書かれています。漱石の漢文による紀行文 木屑録(ぼくせつろく)なんかは有名ですね。漢文といえば、中国の古典だけではなく日本人もすぐれて作品をたくさん残しているのでこちらの方も親しんで頂きたいものです。次のサイトなんか日本漢文の入門サイトとしてはすぐれています。 http://homepage2.nifty.com/kanbun/
- tatsuoh
- ベストアンサー率33% (5/15)
具体的には説明してありませんが、大雑把には説明したつもりです。よろしかったら、ご覧ください。 http://blog.livedoor.jp/tatsuoh2006/
お礼
参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
われわれが学校などで読むいわゆる漢文は、一定の法則を意識して書かれた文章語、かなり人工的なものです。口語のように自然発生的なものではなく、気ままな省略などもありません。そのため経年による変化も少なく、日本式の独特な読み方でも、古代の文章からかなり後の年代の文章にまで対応出でき、おおよその意味が取れるのです。 古い文章でも水滸伝なんかは当時の口語をかなり含んでいるので、訓読法だと十分にニュアンスが伝えられない、と読んだことがあります。 訓読法は変化の少ない純粋な文章語に有効な読み方のようです。別の言い方をすると、文章語を読むために編み出された読み方です。口語表現に対応するためのものではありません。(論語なんかは「語録」ですから口語ぽい印象をうけますが、すでに当時としての口語ではないそうです) 残念ながら、中国の文章語がどのように変化していったのか、現代中国の文章語がいかなるものなのか、皆目わかりませんので、私にはご質問の根本部分には答えられません。文字どおりの「参考意見」でした。 ちなみに、「訓読の定着が、日本語に書くかたちをもたらした」といいます。日本語の文章としての祖形が訓読にあるのなら、国語で扱うのも当然という気がします。
お礼
口語と文章語の違い、さらには 日本語のジャンルとして扱うということなど、 よくわかりました。 ありがとうございました。
- kumagerasu
- ベストアンサー率63% (288/451)
こんにちは。現代中国語といわゆる漢文は語彙は異なりますが、文法的な構造がことなるわけではないので、現代中国語を漢文ふうに読み下そうとして不可能なわけではありません。 我在北京看電影(=私は北京で映画を見る) という現代中国語は、 我は北京に在って(あって)、電影(=映画)を看る とか 我、北京に在りて、電影を看る などと読み下すことは可能です。 ではなぜ、現代中国語をこのように読み下しにしないのか、といえば、現代中国語は外国語として学習されているからです。そして外国語の学習方法として、返り点を付けたりした漢文式の読み下しの方法は邪道だからです。英語だってドイツ語だって返り点をつけて勉強したら先生に怒られます。 というわけで、現代中国語を漢文式に読み下そうとすればできなくはないが、そのやり方を書いた書物などはおそらくないでしょう、というのがお答えになると思います。 ちなみに、ではなぜ漢文では外国語学習としては邪道な読み下しで勉強するのかと言えば、日本人が伝統的にその方法で中国の古文を読んできたからで、まさに漢文の勉強というのは日本の伝統文化を学んでいるからだと思います。 これについては下記Q&AのNo.4もあわせてお読みください。 http://okwave.jp/qa3305095.html
お礼
なるほど現代文でも可能ですよね。 でも、それをすると、外国語の学習が成り立ちませんものね。 逆に古典でこれをすると、国語として成立しませんね。 こんな解釈でよろしいでしょうか。 それと過去にもありましたね。探し切れなくて、教えていただきありがとうございました。 いずれにせよ、ご回答いただきありがとうございました。
- booboox
- ベストアンサー率32% (176/538)
http://www.tansou.com/kansi_no_sekai.html 漢文には、漢詩があり、この詩は、古体詩、近代詩などに、分かれています。時代により、音が、違いますので、読み下し方も、違います。 また、現代中国語は、口語体になり、また、漢字も、カンタイ文字ができ、昔のような、漢詩の決まりは、守られなくなったようです。 日本語でも、時代によって、変遷するように、中国語も変遷しているのだと、思います。詳しくは、漢文に詳しい方が、回答されると思いますが。
お礼
口語体だから、読み下し文ができないということは理解できました。 日本の古文も現代文や現代の口語とは全く違いますものね。 何はともかく早速ご回答いただきありがとうございました。
お礼
誠に詳しいご説明を頂きまして、 ありがとうございました。