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(ユダヤの慣習)子を認知する方法は?
関根正雄訳、ヨブ記 第3章 第12節 何の故に膝があってわたしを受け、 乳房があってわたしは吸ったのか。 注釈には、『「膝」は認知するための父の膝か』とあります。この記述からすると、訳者は当時のユダヤ民族には父親が子を認知するに際して何らかの慣習があったことを薄々にもせよ承知しているものと推測されます。というのは、何の予備知識もなければ、ここでいう膝は母親の膝だと受け取るのが自然で、わざわざ父親の膝を連想することはないと思われます。ということは、訳者以外にも当時のユダヤ民族の父親が子を認知するに際して、どんな慣習があったか承知している方がいるであろうことを暗示しています。 どんな慣習があったか、ご存知の方は居られませんか。この質問の本質は宗教ではありませんが、といって何処で訊いても厄介もの扱いでしょう。こちらで、お世話になってみます。 よろしくお願いします。
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お礼
ご紹介のサイトは何かと有効そうです。 どの辺からが重箱の隅になるか、人によって違うでしょう。それに隅を軽視するも重視するも勝手そうです。 21日(金)の夜間まで待って新たに特段の寄稿がないときは締め切る事にします。 有り難うございました。