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小説の行空け

私は今小説を書いています。 文章中に一行空けて書く場合があるのですが、 私は、時間の経過があった場合や (朝から、夜。次の日など) 場所の転換 (内から外、またその逆) の場合に行を空けています。 ただそうすると 読みやすくてわかり易いとは思うのですが、 少し余白の多いようにも見えます。 他の方の小説を読んでも ほとんど行空けをしない方もいらっしゃれば、 行空けをよく利用している方もいます。 そこで質問なのですが 小説の行空けはどういう時に使うのがいいのでしょうか? またあまり使いすぎるのはよくないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

質問者様の仰る、場面転換ごとの行空けというのは、妥当な気がします。 いわゆる「大段落」ごとに行を空けて、段落の区切りを明示しているわけですよね。 読者に親切な書き方だと思いますが。 ただ、その場面転換があまりにも目まぐるしい場合、全体として「余白が多い」という印象になってしまうかもしれません。 そうでなく、場面ごとの書き込みがしっかりしていて、1大段落の長さも適当なのであれば、良いと思います。 パッと見た目に「空白」が非常に多いと、散文というよりは、詩のような印象を受けることがあるかもしれません。 書き手によっては、1文ごとに改行して行頭を下げ、1文=1形式段落のように扱う人もいるようです。 このような書き方では、縦書きにした場合、原稿の下部がスカスカに空いてしまい、内容の希薄な印象は免れないと思います。 ですが、最近のエンタテインメント一辺倒の文芸シーンの傾向から言うと、このような「下半分真っ白」みたいな行の埋め方は、読みやすい、取っ付きやすい、ラクに読める、サラサラ読んで結構ページが進む、などの理由から、むしろ好まれる場合が多いように感じます。 今時は、ギッチリと字の埋まったテキストははやらず、スカスカでもパッと見た感じに紙面が明るい印象を与える、空白の多いテキストのほうが主流なのかな、と思いますので、行空けの多用もあながち悪いことだとはいえないのではないでしょうか(私個人はあまり好きではないですが^^;)。

ski3032
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >最近のエンタテインメント一辺倒の文芸シーンの傾向から言うと…… その通りかもしれませんね。 時代の流れでしょうか? 確かに昔読んでいた小説は空白が少なく 最近のは、空白が多い印象があります

その他の回答 (3)

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.4

「時間の経過があった場合や (朝から、夜。次の日など) 場所の転換 (内から外、またその逆) の場合に行を空けています。」 これが正しいかはまったくのケースバイケースです。 「謎のハガキがまた届いた。  翌日も届いた。  次の日は来なかった。  しかし次は10枚来た!」 この場合日が変わっているからと言って空行を入れたら 緊迫感が失われます。 小説の完成品としてどのような印象を狙うかで変わります。 したがって一本の小説内で統一すると決めるのは かならずしも正しくありません。 淡々としたシーンと緊迫した描写がひとつの作品の中に ある場合も多いからです。 見易さわかりやすさが優先されるとは限らないし 見づらいことを効果的な演出とする場合も あります。

ski3032
質問者

補足

ありがとうございます。 つい小説内での統一を図ろうとしていました。 本の内容・流れも考えて 余白をいれたいと思います。

noname#54559
noname#54559
回答No.3

こういうのは書き手の好みでしかありません。 あるいは、書き手のスタイルです。 余白が多いのは、最近の読者にとってはその方が読みやすいからでしょう。欧米の読者は段落が長いものを好むようで、翻訳はみな長いです。今の日本の作家でも長い段落を書く人はいますが、それはその作家のスタイルです。

ski3032
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり最近は余白が多い方が好まれているようですね。 翻訳は確かに長いですね。 正直少し読みづらいぐらいに

回答No.2

1番の者です。 すみません、追加です。 一般出版物において、「下半分真っ白」の1文改行のスタイルが好まれているのは、世知辛い話、原稿料の関係かもしれませんね。 詰めて書けば原稿用紙換算で400字詰め1枚に収まるものを、1文ごとに改行すれば原稿用紙3枚は余裕で埋まるわけですから、原稿料は3倍。 これは使わない手はない、ということかな、と・・・ 辛辣な見方でしょうか。

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