• ベストアンサー

仏陀とキルケゴールでは人生のプロセスにおける快楽主義について考えどのように違うのでしょうか?

仏陀とキルケゴールでは人生のプロセスにおける快楽主義について考えどのように違うのでしょうか? 御回答よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

仏陀とキルケゴールでは人生のプロセスにおける快楽主義は、質問者さんの「ソクラテスVSエピクロスの問答」と同じですね。 仏陀、釈尊もゴータマ・シッタダの時代は妻帯をしラーフラという男児をもうけています。当時のインドでは跡継ぎを残せば出家してもよいというしきたりがあったからですね。釈尊ははっきり明言していますね快楽におぼれた生活の中にも自分を痛めつける苦行の中にも真の悟りはないとね。これが苦楽の中道ですね。つまり快楽主義も自虐主義もそれにとらわれるとだめといってるんですね。すべてを否定してるわけじゃないんですね。 一方、キルケゴールはどうでしょう。キリスト教的罪悪思想が刷り込まれた人生だったんでしょう。結婚などは罪悪だったんでしょうねでも好きな人はいるという自虐を快楽とするしかないという人生かな。これは苦を快楽とするものですね。立場は違えどもエピクロスとおなじでしょう。仏陀もソクラテスも彼ら(エピクロス、キルケゴール)には同じことを言うでしょうね。無知の知とね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A