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結果よりプロセスが大事???

「結果よりプロセスが大切」という人がよくいますが,どのようなプロセスが最善かというのは結局はそのプロセスが良い結果を産み出せたかどうかでしか判断できないので,結果よりプロセスが大事という主張は完全に間違ってはいませんか? 「結果よりプロセスが大切」主義の方に質問です.結果よりも大事と主張するプロセスの判断基準は何ですか?

みんなの回答

  • SI299792
  • ベストアンサー率47% (774/1620)
回答No.10

 確かに、世の中を見ていると、結果を残したプロセスだけか評価されます。失敗したプロセスが評価されるのは、それが成功につながった時だけです。  しかし、プロセスを大事にしておかないと、結果そのものが出ません。もし、プロセスは大事でないといって、失敗結果を破棄してしまえば、その後の成功は無いわけです。そうなると、失敗結果も残しておく必要があり、上に立つ者は、「プロセスが大事」といい続ける必要があります。  世の中、失敗から生まれたものはいくらでもあります。多分成功者は言うでしょう「プロセスを大事にしたから成功した」

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1095)
回答No.9

>そのプロセスが良い結果を産み出せたかどうかでしか判断できない これってプロセスを変更すればより良い結果が得られるかも知れないって経験則ですよね? つまり結果はプロセス次第と言ってるわけですから ご自身でプロセスが大事って言ってるのと変わらないんじゃないですか。

purezza001
質問者

お礼

結果よりプロセスの方が大事だとは言えないですよね。

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1844/3562)
回答No.8

>>結果よりプロセスが大事という主張は完全に間違ってはいませんか  間違っていますね。仰る通りです。  私は「プロセスが大切」主義ですが、それはあくまでより高次の意味での総合的な『結果』を求めての事だったり、継続的に『結果』を残す体制構築を目指しての事です。  また、一部教育目的などで『間違ってもいいから自分でやらせる』とか『自分の頭で考えさせる』という場面はありますが、これとて一定の教育効果やスキルアップという別種の結果を求めているからこそ、です。  なので「短期的な結果よりプロセスが大事」とか「個々の事例の結果よりプロセスが大事」とは言えますが、結果よりも大事なプロセスというものは原則的に存在しないと言えるでしょう。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • fqrhd927
  • ベストアンサー率16% (19/114)
回答No.7

>>結果よりもプロセスが大事という主張は完全に間違って~ 多分間違ってはいないと思います、反対するようで申し訳ありません、 プログラミングで「COM」っていうのがあります。これがちょっと ややわかりにくい感じの概念で、 「COMという物体やら物質、物自体があるわけではない」という もので、 「プログラムのあるやり方でつくる過程(プロセス)という言ってみれば 「手法」そのものがCOMというもので、実際世界のどこを探しても COMというものがあるわけでない、あくまでもやり方、手段、つまりは プロセスをさしていうのだ。」 っていう感じでした、つまりこれで結果というよりもやり方の問題(プロセス) が大切なのだということを教えられてちょっとショックでしたよー?、汗。 結論としてプログラムを作成する手法(プロセス)を選択する際に どうやってそのブログラムをつくるか?を決める、そして実際に プログラムをつくる過程が一番重要なのだ、というものでした。 *深夜に申し訳ございませんでした、では失礼いたします。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.6

「結果よりプロセスが大切」主義ではないですけれども、その結果にも2種類あるように思います。 一つ目は、普通の結果であり、その場合のプロセスには、必ず努力という言葉が絡んできますが、その努力した過程が結果如何に関わらず努力した証として、人間に厚みや経験知を与え大きくしているということ。 そんな意味ではプロセスはとても重要です。 大学受験で死ぬほど勉強したけれども、結果的に落ちてしまったなどという場合には結果は残せていない訳ですが、そこに至るプロセス自体には意味がある、或いは、無意味ではないということであり、結果よりも大切ということではないですね。 もう一つは、個人の努力とは別なところで違う力が働くことによって得られる結果といった場合には、その努力の度合いが計りようがないですから、結論的には結果自体も評価できない場合。 例えば、大学受験で裏で親が手を回すとか、カンニングをしたとか、仕事もそうですが、情報を操作漏洩するとか、事前に違法な根回しをするような場合には、結果として大学に合格し、大きな仕事を受注できたとして、そこに至る経緯、プロセスには個人の努力などとは全く性格の違う要素が絡んでくる。 こうした場合であれば、当然、結果自体は評価されたとしても、反則を使って合格を勝ち取った後ろめたさや、策を弄して手に入れた成果への後悔、自己嫌悪といった正々堂々とは真逆の心境が何処かに芽生えるばかりか、まかり間違って事が発覚したときには結果が台無しになるどころか、処分の対象になり、それこそ、だれからも相手にされなくなるという最悪の事態に陥る可能性もある。 結果が何よりも大切ではあるけれども、そこに至るプロセスが正当なものであるかによっては、結果よりもプロセスに重点が置かれることもあるということでしょうかね。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

回答No.5

No.2です。お礼ありがとうございます。 そうですね、「結果よりもプロセスが大切」というのは(1)いい結果が出せてもダメな場合と(2)いい結果が出せなくてもプロセスが良ければいいという場合があると思います。後者の場合の意味ではプロセスが良ければ次に、あるいは別の分野でいい結果を出せると言う意味が含まれていると思いますよ。私の出した例は(1)ですね。 つまり、あなたは良い結果を生み出せ「た」かどうかでしか判断できないと言われるのですが、良い結果を生み出せ「る」可能性があるプロセスが良いという範疇もあるかと。 「結果よりもプロセスが大切」って遠からず将来の結果を見据えて(含んで)言う言葉だと思うので、そういう文脈で使われると思うので、その主張が完全に間違いというほどではないと思いますが。 言葉だけ抜き出すのでなくどういう文脈で使われるのかが大切では。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.4

ほかの人がやったことをまねする場合と自分で新しいものを作り出す場合の違いを考えてみたらどうでしょう。山登りをたとえに考えるのが楽な感じがします。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.3

同じ一つの山に昇にもいくつか登山口があります。場合によってはヘリコプターで頂上まで行くこともできます。誰も登ったことがない山に登るときに役に立つからでは。

purezza001
質問者

お礼

>誰も登ったことがない山に登るときに役に立つからでは。 役に立つというのは結果を出すのに役に立つということですよね.とすると「結果よりプロセスが大事」という論理にはならないと思います.

purezza001
質問者

補足

>同じ一つの山に昇にもいくつか登山口があります。 >場合によってはヘリコプターで頂上まで行くこともできます。 どのような登り方が良いかというのは,結局は結果(頂上まで登れたかどうか)で判断しますよね.となるとプロセスというのは結果を出すためにあるのであって,結果よりもプロセスが大事という論理は存在しないように思います.

回答No.2

私もよくわかりませんが、判断基準は偶然結果を出したか否かではないかと。 たまたま当てずっぽうあるいは努力もせずに結果を出した場合に「結果よりもプロセスが大事」と言われると思います。 こういう結果では後が続かないからです。 西城秀樹さんは野口五郎さんのリハーサルをよく見ていたそうですが、野口五郎さんは演歌の下積みがあったので基礎ができていたけれど、西城秀樹さんはそれがないままヒットしてしまったということを確か野口五郎さんがいっていたのを記憶しています。その後西城秀樹さんも歌唱力をあげたらしいのです。結局プロセスを後にやっているということなんでしょう。ちなみに私は西城秀樹さんのブルースカイブルー、とても好きです。 今のアイドルも実力を伴わないと非常に苦労するようですね。

purezza001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます. >こういう結果では後が続かないからです。 コンスタントに結果が出せないということですよね.つまり回答者様自身も,プロセスの良しあしを結果で判断されていますよね.ということは結局は結果が全てだということを仰っていますよね.

  • green351
  • ベストアンサー率43% (185/430)
回答No.1

 私は同じ結果が出るなら途中のプロセスは多少間違っていてもいいので、より時間の短かった方が優秀だと思っているのですが、人情浪花節の世界のガラパゴスな企業風土の日本では「プロジェクトX」に出てくるようなストーリー性が求められているのです。 でもさすがに 「結果よりプロセスが大事という主張は完全に間違ってはいませんか?」と言われるとそれは違うと思います。たとえ正答であっても数学の問題で途中の計算式を全部すっ飛ばして書かないで答えだけ書いたのではさすがにまずいと思います。やはり他者を説得する材料として途中の計算式を書いていくプロセスは重要だし必要不可欠だと思います。  多分「やっと出来ました」アピールの問題だと思うのですが、労働生産性の低い日本の現状では仕方がないと思います。だからテレワークで「妖精おじさん」が炙り出されたのだと思います。

purezza001
質問者

お礼

>たとえ正答であっても数学の問題で途中の計算式を全部すっ飛ばして >書かないで答えだけ書いたのではさすがにまずいと思います。 通常,正答だけ書いた解答は正解と見なしませんので,それは結果を残せていないことになります. >やはり他者を説得する材料として途中の計算式を書いていくプロセスは >重要だし必要不可欠だと思います。 でも,もしも結果を残すために計算式が必要ないなら,そのようなプロセスは必要ないですよね.結果を出すための必要条件として「他者を説得する」があると思います. ご回答の内容では,結果よりもプロセスが大事ということにはならないと思います.

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