中国や韓国の工芸品趣味でいびつな形のものがあるか?
日本の工芸品の器などには、きれいに成形されていないいびつな形、一分変色、歪んだように見えるものを趣があるとして鑑賞する傾向があるし、作家もそうした嗜好を志向して作品を作る人々もいます。
日本でも、通常の日用の食器は磁器や漆器ではシンメトリーなものがほとんどだと思うのですが、趣味的な陶器では変形したのをあえて好むようにも思えます。
日本は中国や朝鮮、その他の国々から文化を導入し、日本風にして用いる傾向があるのはわかるのですが、中国や朝鮮(韓国)などでも、趣味人は変形した器、色が均一に出せなかった感じの作品を好み高く評価、愛蔵するというようなことはあったのでしょうか。
もしも、そうした傾向があった場合には、いつ頃の時代、どのような作品がその例であるというようなものをお教えください。
中国には昔から老荘思想や無為自然、無作為風を愛好する傾向があったようなので、なにか美術工芸関係でそうしたもの、あるいは詩論や思想の吐露などで、形の整ったものよりも自然さが勝っているものの方が価値があると積極的に言葉で説明しているものがあれば、それをお教えください。
淮南子や荘子の中には「富貴や繁栄に拘るな」という感覚での記載があるように思うのですが、曲がったもの歪んだもの変色したものが,そうでないものよりも良いというような積極的表現があるのでれば、その箇所を教えていただければ幸いです。
漢詩の中には、弧やわびしいもの、衰えや失意状態を歌い鑑賞しているものがどの時代でも多くあるようですが、詩というスタイルなので、こっちの方が良いのだという明言はないように思うのですが、積極推奨するというような表現のものがあれば、お教えください。
補足
原文を研究or読破なさった方の解釈レスを望んでいます。