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忠臣蔵...ネットワ―クがあったなら、、、
ふと、おもうんです。 あの時代にインタ-ネットが配備されていたら、あんなに多くの人がなくならなくてもすんだのではないだろうかと... どこでボタンのかけちがいがあったのだろうかと 相手のおもいがわからずに思い込みが思い込みを呼び人を死へと導く ただ単に人の死に暮れているのではありません。 死から学び取ること多いです。むやみな殺生ではなく生をまっとうするうえでインタ-ネットがあの時代にあったとしたら忠臣蔵の登場人物たちいがみ合わずにもう少し違った形でわかりあうことできたのではないかと... 忠臣蔵に関して、歴史的史実を少しお聞かせいただけないでしょうか?
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- cse_ri2
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>頂いた回答を現代の企業(会社)に当てはめて考えてみま >しょうか? >身分制度を役職・階級(重役・部長・課長・所長・主任...) > >◎身分制度の枠組みを超えられない――直接の交渉は > 実現できない >問題点があるのなら風通しをよくすること考えてみれば >どうでしょうか? 忠臣蔵の件から少し外れますが、江戸時代の歴史のおさらい をします。 江戸幕府の創始者が徳川家康であることは、よくご存じか と思います。 彼が生まれたのは、戦国時代のまっただ中でした。 戦国時代というと下克上の時代です。 身分が低くても実力さえあれば、いくらでものし上がれる、 そんな時代でした。 しかし、家康はそういう風潮が大嫌いだったようです。 むしろ、下克上があるからこそ、世の中に戦争がいつまで たってもなくならないと考えていたように見受けられます。 そういう家康が天下を取った後、彼と彼の子孫がしたこと というのは、下克上が起きないように身分制度をきっちり 固めることでした。 徳川将軍家の地位を確立し、しっかりとした封建的秩序を 整えることで、平和な社会を築こうとしたのです。 ですので、江戸時代は最初から最後まで身分制度の枠組み の中で政治が行われました。 もちろん身分制度がしっかりし過ぎていると、それはそれで、 いろいろな歪みが生じます。 しかし江戸幕府は、最後まで身分制度の垣根を崩すことが できませんでした。身分制度を崩すことは、自己否定その ものの行為であったからです。 No.8で幕末になると、西郷隆盛や桂小五郎が幕府と対等な 交渉をしたと書いていますが、実際には彼らが幕府の要人 と直接話し合いの場を持つことはできませんでした。 幕府と直接話す資格を持つ、藩主や公家を通して幕府とい ろいろな折衝をしていたのです。 そのようなわけで「身分制度の枠組みを越えて」という仮定 の条件を江戸時代にあてはめると、江戸時代ではなくなって しまうという矛盾が生じます。 実際の歴史でも、江戸幕府が崩壊し明治新政府が成立する と、まっさきに「五箇条のご誓文」が宣言されますが、 その内容を読むと、江戸時代の身分制度による政治の弊害 を否定し、それを克服する内容になっていることが明確に わかります。 |一、広く会議を興し、万機公論に決すべし |一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。 |一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、 | 人心をして倦まざらしめんことを要す。 |一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 |一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。 おそらく、忠臣蔵の一件についても、議会があって関係者 が腹を割って話しあえば、平和的決着は十分可能であった と考えられます。 しかし議会政治が成立するには身分制度が否定されなくて はならず、江戸時代で身分制度を否定してしまうと江戸時代 ではなくなってしまうので、このifの歴史の考証はあまり 意味がないなーというのが、正直な感想です。
- cse_ri2
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>過去の出来事から学び取れるものあるとおもうんです。 >いくつかの考えられるケ-スそれを用いてシュミレ-ション >してみる >今後に生かせることあるとおもうんですが、、、 この意見には同意します。 しかし「もし~ならば」が単独ならば問題は少ないのですが、 「もし~ならば」が二重・三重と増えた場合、右肩上がりで シミュレーションのケースが増えます。 例えば条件が一つならば、その条件から導かれる可能性と して2つか3つくらいに絞れますが、条件が二重になった 時に、2の二乗=4・あるいは3の二乗=9とケースが増加 します。 条件が3重の場合は三乗です。 それにつきあいたい人がいるならば構いませんが、私は ご免被りたいということです。ですので、仮定の条件を 一つに絞れば回答しますと記述しています。 >過去に起こったことを今現在の時点で知り得るもので >はないと考えます。 >まったく同じには、わかり得ない >ただ、多大な犠牲が払われたという事実だけは純然と >した事実。 >なぜ?このようなことが起こったのか?という疑問が >うまれます。 忠臣蔵の件については、私なりですが意見を持っています。 ただ江戸時代の歴史と武士の哲学について幅広い基礎知識 が必要ですので、今の段階では書きません。 littlekissさんの今の知識では、事前に説明しなければなら ない内容が多すぎるように感じられるからです。 申し訳ありませんが、この件についてこれ以上は触れません。 悪しからず。
お礼
cse_ri2さん、重ねてお言葉ありがとうございます!(*^^*)/ >条件が3重の場合は三乗です これ、人がいるだけいろんな意見があるということでしょうか? 収拾がつかなくなるとおっしゃられているのかなぁ~ テ-マをあげてそれに則して討議せよということでしょうか? (*^^*)>゛゛゛知識あまりないもので、こうしてお話をうかがえてうれしくおもいます。cse_ri2さんの大事な時間をさいておつきあいいただいたことありがとうございます!感謝です!!おひまなときにでも「忠臣蔵の件」に関するcse_ri2さんの自説をおきかせていただきたいものです。ききたかったなぁ~♪ これまでにお話していただいたものどれも興味わきましたよ!ありがとう!
- cse_ri2
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>「歴史にifはない」というのが私の持論でして、もし >littlekissさんが「もし~ならば」という仮定の話を >今後も続けたいのであれば、以降の回答は遠慮させて >いただきます。 No.9の回答を一部補足&修正します。 仮にifの歴史を検証するにしても、「もし~ならば」が 幾つも組み合わさってしまうとどんな状況にでもなりうる わけで、SFとしては面白いかもしれませんが、その分 現実味が薄くなります。 ですので、条件は一つに絞りこんだ上での仮説の返答は いたしますが、「もし」が複数重なるようでしたら以降 の回答は遠慮します。
お礼
cse_ri2さん、#9につづいて補足のレスありがとうございます。 #9へのお返事をかえす前に少しよろしいでしょうか? (後先になりますがあしからず...) cse_ri2さんのご意見しかと承りました。 承りましたが、少しわたくしの意見もきいていただけますでしょうか? >仮にifの歴史を検証する 何のために? ◎可能性をかんがえる(この場合、ことの是非は問うてはいません) 過去の出来事から学び取れるものあるとおもうんです。 いくつかの考えられるケ-スそれを用いてシュミレ-ションしてみる 今後に生かせることあるとおもうんですが、、、 過去に起こったことを今現在の時点で知り得るものではないと考えます。 まったく同じには、わかり得ない ただ、多大な犠牲が払われたという事実だけは純然とした事実。 なぜ?このようなことが起こったのか?という疑問がうまれます。 しかし、疑問に対しての答えが単に犯人探しで終わってしまうのは 意図するところではありません。 なくなられた方がどのようなお気持ちであったかも知りえるものではありません。 犯人を割り出しその命を奪えばなくなった方に報いえることになるともおもいません。血で血を洗うことから何が生まれましょう?人を殺めたという生まなくてもよい自責の念だけを愛すべきものたちに受け継がせることになりはしないでしょうか?愛するものが苦悩しつづけることをなくなった方は望んでいないのではないでしょうか? それよりも、人の死を生に生かせるこころみを望まれるのではないでしょうか?肉体は滅んでもまたその死によって生かされる命がある。それがなくなった方の死へ報いることになるのではないでしょうか?
- cse_ri2
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「歴史にifはない」というのが私の持論でして、もし littlekissさんが「もし~ならば」という仮定の話を 今後も続けたいのであれば、以降の回答は遠慮させて いただきます。 (インターネットがあればという最初の仮定からして、 ifの歴史を検証したいという意図があるわけですが) >「忠臣蔵」の騒動は解決できない問題とあと付けで >結果だけで答えること疑問です >十分にたる話し合いがあの時代の状況下でできていた >のだろうか? 結論から言うと「できていません」 江戸時代は厳格な身分制度の時代ですので、江戸幕府の 直臣である幕府首脳部と、陪臣にしか過ぎない大石内蔵助 との間で、直接の話し合いはありませんでした。 これは書面のやり取りも含めてのことで、仮にインターネット が存在していたとしても、やはり直接の交渉は実現できな かったでしょう。 それでも、私は大石内蔵助は何とか話し合いで解決しよう と、誠心誠意努力していたと評価しています。 >ある種、交通の便にしてもままならぬ時代。 >意思の疎通がどこまでできていたかと考えますと >十分余りあるほどとれていたとはおもえません。 >身なりをかえ方々に散って暮らしていましたね。 >一同に介して集まって話し合う機会をいくつもって >いたのか?数少ない会合で大石の本意をどれだけの >ものが理解していたことでしょうか? これは赤穂浪士の間での意志疎通がどこまでできていた かの質問ですか? 私は、赤穂浪士の中心である大石内蔵助と江戸幕府の意志 疎通の状況を考察しているので本筋から外れますが、一応 回答します。 大石内蔵助は、自分の本心をすべての仲間に話していません。 これは意図的にしています。 赤穂浪士の中にも幾つかのグループがあって、純粋に主君 の仇討ちを主張するもの、お家再興を目指すもの、自分の 利益のためにくっついている者など、様々な考えを持つ人 たちが集まっていました。 そういう雑多な考えの人たちをまとめるために、大石内蔵助 は実に苦労をしています。 仲間割れもあれば、他藩に仕官して仲間を去る者もいました。 特に一番過激であったのは、堀部安兵衛を中心とする江戸 にいたグループで、仇討ちをなかなか実行しない大石に対して しびれをきらし、自分たちだけで仇討ちを実行しようとす る動きもあったようです。 そういう仲間を一つにまとめるために、大石はあえて自ら の本心を同志にすべて話すことはしませんでした。 金を配ったり、本心を偽った手紙を書いたり、実に政治的 な努力を積み重ねていました。
お礼
cse_ri2さん、#10と#9お返事を返す順番がテレコになりごめんなさい。 >「忠臣蔵」の騒動は解決できない問題とあと付けで >結果だけで答えること疑問です >十分にたる話し合いがあの時代の状況下でできていた >のだろうか? *結論から言うと「できていません」 *江戸時代は厳格な身分制度の時代ですので、江戸幕府の *直臣である幕府首脳部と、陪臣にしか過ぎない大石内蔵助 *との間で、直接の話し合いはありませんでした。 *これは書面のやり取りも含めてのことで、仮にインターネット *が存在していたとしても、やはり直接の交渉は実現できな *かったでしょう。 *それでも、私は大石内蔵助は何とか話し合いで解決しよう *と、誠心誠意努力していたと評価しています。 ↑ 頂いた回答を現代の企業(会社)に当てはめて考えてみましょうか? 身分制度を役職・階級(重役・部長・課長・所長・主任...) ◎身分制度の枠組みを超えられない――直接の交渉は実現できない 問題点があるのなら風通しをよくすること考えてみればどうでしょうか? えっ?トップが動かなければ話にならない? 不良債権処理で各企業改善がもとめられているんですよ。トップが先頭きってやる気おこさないと会社ごとこけちゃいます。公的融資をうけるとしたら、外部機関からの指導もあることでしょう。公的融資は受けるが実質内部改善に着手しないようであれば、外部機関からの指導員に実情を話せるよう窓口を設けてもらうなんてことかんがえられませんかね?さしずめトップと社員の間に外部機関が調停員の役目もされてみては?社内の社員の声を上に吸い上げるシステム大事ではないでしょうか?
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
質問者の方は「インターネット」というツールがあったら という過程で質問していますが、その前提として 「話し合いをきちんとすれば、あのような事件にならずにすんだのでは」 という考えがあるかと思います。 質問者の方に限らず、日本人は話し合いをすればたいていの 問題は解決すると考えていますが、「忠臣蔵」は世の中は 必ずしも話し合いだけでは解決できない問題があるという ことを考えさせるよい題材です。 No.4でも回答していますが、大石内蔵助は最初から仇討ち をしようと考えていたわけではありません。 当初は、浅野家再興を目標として、いろんな伝手をたどって お家再興の運動をしました。 しかしお家再興がなるかどうかは、すべては幕府要人の胸三寸 です。一介の取り潰された藩の田舎家老と独裁政権である 江戸幕府の首脳部との間には、話し合いは成り立ちません でした。 田舎家老の方は一生懸命に嘆願するのですが、幕府の方が 聞く耳をもたなかったわけです。 つまり、話し合いをするにしても、立場に違いがありすぎる と話し合いにすらならないという現実が浮かび上がります。 これが後の幕末の時代になり幕府の力が弱まってくると、 朝廷の権威を借りつつも田舎の藩士(西郷隆盛や桂小五郎など) が幕府と対等に交渉できるようになります。 つまり話し合いをするにしても、相応の実力というものを 身につけなくてはいけないということです。
お礼
cse_ri2さん、たぁ-くさんお話ありがとうございます!(*^^*)/ >質問者の方に限らず、日本人は話し合いをすればたいていの 問題は解決すると考えていますが、「忠臣蔵」は世の中は 必ずしも話し合いだけでは解決できない問題があるという ことを考えさせるよい題材です。 ↑ ちょこっと、異議あり! えへっ、(*^^*)>゛゛゛ >『質問者の方に限らず、日本人は話し合いをすればたいていの 問題は解決すると考えていますが』 ↑ そうでしょうか? 解決しそうにないからさらに話し合いをもとうとするのではないでしょうか? 「忠臣蔵」の騒動は解決できない問題とあと付けで結果だけで答えること疑問です 十分にたる話し合いがあの時代の状況下でできていたのだろうか? ある種、交通の便にしてもままならぬ時代。意思の疎通がどこまでできていたかと考えますと十分余りあるほどとれていたとはおもえません。身なりをかえ方々に散って暮らしていましたね。一同に介して集まって話し合う機会をいくつもっていたのか?数少ない会合で大石の本意をどれだけのものが理解していたことでしょうか? 場づくり、集って話し合う機会。インタ-ネットを有効に活用すれば解決できないとおもわれている事柄が改善されるひとつのとっかかりになればなと、、、
- yaima
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まず、忠臣蔵について。ドラマや歌舞伎などの話は、ほとんど後の人が作り上げた講談がもとになったフィクションです。そのまま史実と思ってはいけません。 浅野が江戸城松の廊下で、刀を抜いた時点で、浅野が悪くなります。 理由の如何にかかわらずです。だから、吉良をえこひいきしたと言う話は違います。「松の廊下で刀を抜く」行為は、重罪でした。 浅野が吉良を切りつけたのは、病気(てんかん?)だったと言う説。 上述の通り、当時の武士ならば、松の廊下での抜刀が犯罪だと理解してたはずなのに、敢て実行したのは何か理由があり、吉良いじめ説は、下で述べるように否定されていることから。 吉良が賄賂を要求したのは当たり前です。あれは賄賂ではなく、技術料や指導料みたいなものです。今、お茶やお花を習う時に、タダで教えろと言う人はいませんよね。それと同じ感覚です。 吉良が、浅野に接待の邪魔(畳を一夜で張り替える話など)をしたのも嘘らしいです。なぜなら、吉良こそが接待役の筆頭であり、接待に不備があれば、吉良自身が幕府から罰せられるので、邪魔をするはずが無い。 四十七士の討ち入りについても、単に主君のあだ討ちではなく、各人色々な思惑があったそうです。浅野家復興、再就職(他家への召抱え)の一環など。 また、吉良と言う人は、地元では今でも善政家だったという評判です。 これに対し、浅野と言う人は、事件前はあまりいい評判は無かったそうです。 ちなみに、討ち入りの12月14日(でしたっけ)というのは、旧暦をそのまま新暦に当てはめたもので、実際は年明け、二月くらいだそうです。確かに、12月の東京に雪が降ることはほとんどないですね。
お礼
yaimaさん、お話を伺えてうれしくおもいます。(*^^*)/ お話おもしろいです~♪ >「松の廊下で刀を抜く」行為は、重罪でした。 ↑ おっと!これいただきです!! 『ネットワ-クで裁判を問う・考える』なんてお題がかんがえられそうですねぇ- 有罪か無罪かを問われた場合、すでにあるル-ルに従えば上記の事象は白か黒かで答えをだすと事実に基づけば『黒』になりますかね。 罪と罰の罪は決定したとして、さて、次に罰の方になりますが罪が重罪であるがゆえお家断絶、主君は切腹? インタ-ネットをもちいて、議論・討議してみませんかと、、、 型どおりにがちっとあてはまるものではないとおもうんです。 考慮できることがでてくると... 陪審員制及び世論調査 明日は、わが身に起こるかもしれない出来事かもしれません。 各地の藩主、幕府の意向にそむけば浅野の二の舞いとばかりに尻込みするしかないと黙り込み・見てみぬ振り?おっと、それじゃ-、いい国にになりますでしょうか?(余談、いいくにつくろうかまくらばくふというゴロがありますが、、、1192年鎌倉幕府)この時代にインタ-ネットが普及していたら... 目安箱に直訴状をいれて命を落とすものもなかったのではないでしょうか?匿名性を利用して身の安全を保障する。ダイレクトに将軍へ現状を伝えることができる。幕府機関とは別に将軍直属の現状捜査。二本立て!法整備、保護プログラム
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>>また、現代的な感覚で討ち入りをテロと断定する意見 >>の方もいるようですが、三権分立がなされていない >>江戸時代にあって政府(幕府)の方針に一介の民間人 >>(浪士)が異議を唱えようとすれば、実力行使しか >>道はなかったのです。 > >#4の書かれている内容こそテロそのものですが、私の >表現に何か問題がありますか? 失礼しました。 合っています。現代風に言えばテロそのものです。 実際、江戸幕府の最終判断も、公の秩序を乱したとして 全員切腹ですしね。 私が言いたかったのは、そういう行動を取らざるを得な かった浪士側の事情があるということです。 善悪の判断は、皆様にまかせます。
お礼
cse_ri2さん、再度回答いただきありがとうございます。 言葉閉ざさずにきてくださって(*^^*)ホッ。。。 言葉って厄介です。解釈の仕様が一様でないゆえ、 ある面一様でないところが幅があり許容というかカッチンコッチンじゃない。 あっ、こうかいちゃうと曖昧はいかん!と、白黒つけろとどこかから お声があがってきそうですが、、、 割り切れそうで割り切れないことがあることも事実です。 そんななんだかんだを考慮しつつ秩序を整えていくってホント大変なことなんでしょうね。
- takao
- ベストアンサー率20% (34/170)
#4へ(別に議論しようと言うわけじゃないけど、~もいるようですが、と書かれたら反応しないわけにはいきませんので) >また、現代的な感覚で討ち入りをテロと断定する意見の方 >もいるようですが、三権分立がなされていない江戸時代に >あって政府(幕府)の方針に一介の民間人(浪士)が異議を >唱えようとすれば、実力行使しか道はなかったのです。 #4の書かれている内容こそテロそのものですが、私の表現に何か問題がありますか? 国連が十分に機能していない現代にあってイスラム勢力がアメリカの方針に異義を唱えようとすれば実力行使しかなかったわけです。 というのと同じだけど、今も昔も本質的なところは同じなのではないかい。
お礼
takaoさんをはじめ回答いただいている皆様お話伺えて嬉しくおもいます。 「テロとは何にか?」を考える機会いただいたようですね? どちらがテロだとかいうことはさておき、「テロ」そのものがなんなのか?何をもってテロとみなすか?お話の中であわせておきかせいただけませんでしょうか?お時間がゆるせばゆっくりおつきあいいただければありがたいのですが。よろしく>各位 >また、現代的な感覚で討ち入りをテロと断定する意見の方 >もいるようですが、三権分立がなされていない江戸時代に >あって政府(幕府)の方針に一介の民間人(浪士)が異議を >唱えようとすれば、実力行使しか道はなかったのです。 実力行使が悲劇をうんだのならちがう手立てがあれば... 次の世代には同じような悲劇を歩ませずにすむのではないでしょうか? イスラム圏の情勢とアメリカなり他の国々の情勢がもっとオ-プンになれば、民間レベルに至るまで少しは何かが変わってくるのではないでしょうか?
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
当時は、インターネットが無くても、江戸幕府の密偵組織が 充実していましたので、赤穂浪士たちが何を考えているか、 幕府は承知していました。 実際、江戸に入った浪士たちの足取りを奉行所はほぼつか んでいたようです。 また、江戸の市民たちも、いつ討ち入るのか噂話にしてい たという話しも聞いています。 もし、幕府が討ち入りをさせたくないのならば、一番よい手は 浅野家を再興させればよかったのです。 実際、大石内蔵助は、最初から仇討ちを目指したのではなく、 浅野家再興を目標に活動しています。 しかし、浅野内匠頭の弟が他家にお預けとなってお家再興の 道が絶たれてから、仇討ちへと目的を変更しています。 また、現代的な感覚で討ち入りをテロと断定する意見の方 もいるようですが、三権分立がなされていない江戸時代に あって政府(幕府)の方針に一介の民間人(浪士)が異議を 唱えようとすれば、実力行使しか道はなかったのです。 もちろん、現代では司法権が独立していますので、行政裁判 を起こして異議を申し立てることができます。 討ち入りは、単に主君の仇討ちだけが目的であったのでは なく、幕府の方針に異議を唱えるという観点もあったわけ です。
お礼
cse_ri2さん、回答を寄せていただきありがとうございます。 >「~密偵組織が 充実していました――」 ↑ 密偵組織の主観が事実を捻じ曲げて報告されるということも遇ったのではないでしょうか?一つの機関からの報告ですから... 遠隔地域を同時に繋いで状況確認、伝令等を飛ばせれる。あの人に言って、この人に言わないってことがあるとすると無用なやっかみから遺恨をうむこともいくらかへるのではないでしょうか? >討ち入りは、単に主君の仇討ちだけが目的であったのでは なく、幕府の方針に異議を唱えるという観点もあったわけ です。 ↑ なぜか、ここを読んでいてふと、信長のころの話に思いが飛びました。 あの頃、起こった「一向一揆」異議の唱え方も過多に動けば傷つけあわずにはおわらない。あとに残るものは冷たい風。自己の行いがもろ手上げてよろこべるものでもない。夢だけでは生きれないまた現実だけでは生きづらい。夢と現実に橋をかけることができたなら...
- syunpei
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インターネットがあれば分かり合えたという時代ではなかったとおもいます。 それに現代でもインターネットがあっても分かり合えていないことはいくらでもあります。なんだか余計に情報が錯綜してしまっているような気もしないでは在りません。 とくに、江戸時代はまだ封建社会です。上下関係、身分制度が厳しい時代です。 今のような民主主義の時代とも違います。多くの制約の中で、制度が成り立っています。形式や格式を重んじる時代ですから、世の習いがわからなかった?リサーチ不足?結構、浅野にも情報を集める能力が不足していた、こらえ性が無い (藩の経営者たるもの、危機意識が無かった)といった捕らえ方もあるようで 吉良を一方的に悪玉に上げるのもおかしいのではといった研究もなされていますよね。 いずれにせよ、インターネットは、お互いが分かり合えるためのツールでは無いということです。
お礼
syunpeiさん、回答を寄せていただきありがとうございます。 >インターネットは、お互いが分かり合えるためのツールでは無いということです。 ↑ はい、道具があってもそれをどう使うかは各人次第ということでしょうか? 大事なことですね。 機械があってもそれを使いこなさなければただのゴミくずです。オブジェ。 不思議です。人は、自身のことはわかってもらいたいという要求にかられる一方、人に近づくことには至極臆病なのではないでしょうか?見透かされる怖さからなのか映し鏡のように相手の姿に自身をみてしまう。おどろおどろしいその様。内面のうちに潜む邪悪なる面を...みたくない、近づきたくない、背を向ける。 閉じ篭ることで身を守る。光りの射しこまぬ部屋。孤独の淵にもがき苦しむ。 叫び、内なる叫び、語りたい、人と...触れ合いたい、人と... そこから、人をもとめはじめるのかもしれませんね。 >インターネットは、お互いが分かり合えるためのツールでは無いということです。 ↑ わかり合えないかもしれないけれど、、、 わかり合おうとするためのひとつのツ-ルになり得るのではないでしょうか?
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お礼
cse_ri2さん、お話聞かせていただけてありがとうございます! ◎おそらく、忠臣蔵の一件についても、議会があって関係者 ◎が腹を割って話しあえば、平和的決着は十分可能であった ◎と考えられます。 ■しかし議会政治が成立するには身分制度が否定されなくて ■はならず、江戸時代で身分制度を否定してしまうと江戸時代 ■ではなくなってしまうので、このifの歴史の考証はあまり ■意味がないなーというのが、正直な感想です。 ◎可能性についてのべられていますね?(メリット) ■問題点についてのべられていますね?(デメリット) デメリットのほうを少し 身分制度の否定、否定をすれば議会政治成立かといえばはたして... そうじゃないとおもうんです。そうじゃないというのは、人を「敬い尊ぶ」ことが 「敬え!尊べ!」と形を変えてきているからではないでしょうか? おしきせとでもいうのか、人がいます。立場をかえたところにいろんな人がいます。いろんな階層ごとで「敬え!尊べ!」と大合唱。で、そこには、立場をかえたいろんなおもいもあります。国をまとめ上げる、至難の業です。身分制度の枠をとっぱらったらなにもかもがスム-ズに運ぶかといえばそうでもない。人がいます。人の意識が変わらなければ、たとえ、枠がなくなってもいぜん「敬え!尊べ!」という不満欲求はなくならないのではないでしょうか? 敬い尊ぶとことはおしきではなしに自発的意思の発動こそが互いの信頼も深まるのではないでしょうか?自発的意思によって形成されるものであるならば、身分制度の有効性(可能性)へと繋がりはしないでしょうか? 主従の関係が将軍と家臣、社長と社員、上司と部下、売り手と買い手、嫁姑、夫と妻、親と子、教師と生徒、先輩と後輩...中央と地方、 各階層ごとでそれぞれの立場で不満不平を言い出せば、話し合いも何もありません。信頼関係の構築、他者に何かを求めるまえにいまいちど自身に何ができるか?自身は何をしてきたか?怠っている事柄はないか?なぜ、主従の関係を否定するのか?否定している本当の理由はなんなのか?つきつめていけば、許容できる範囲が広がりはしないでしょうか?互いをいたわる気持ちが芽生えはしないでしょうか? それぞれの置かれる立場への理解が「敬え!尊べ!」から「敬い尊ぶ」に移行するのではと考えます。 単に国だけを批判するのはこどもすぎます。 国をおもいやる気持ちも片方においておかねば。 各家庭の台所事情とおなじくこの国の台所事情もきびしい。 家庭の台所事情が厳しいのは、国がすべて悪いから? 国にすべて責任転嫁するのはおかしい。 お金の使い道をそれぞれにそのときにあった家庭での配分を 見直してみることもしていかなければ。 井戸端会議がただの国への愚痴でおわるのはつまらない。 他の家庭ではどんなお金の使い方をしているのか? 井戸端会議で飛び出す話の中からも有効なお金の使い方の話があるとおもう まだまだ、手付かずですておいたままにしていること 一人で思い悩んでるとどんどんコチコチ。 人と話して、人から教えられることそんなこんなしていかないと 与えられるのをただまつばかりの身になっちゃう。 自分自身でどんどんほら穴へ身をうずめていくようなもの。光も射さないよ。 (*^^*)>゛゛゛わぁ-、トンチンカンなこと書いたかなぁ~? こうしてお話できることうれしくおもいます。