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昔の指導者の性的嗜好

 高校時代友人から、「織田信長は美少年好きだった」という話を聞きました。僕は大学の専攻が違うので、細かく歴史について調べる機会はないのですが、これは本当にありえる話なのでしょうか?また、いるとしたら(日本の歴史上の登場人物で)、こういった、同性愛的な嗜好を持った人物はいたのでしょうか?  昔笑い話で話していたのですが、指導者には変わった人も多いと聞いたので、少し興味を持ち、質問させていただきました。  よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • reny
  • ベストアンサー率32% (81/252)
回答No.7

稚児遊び・念者の契りetcの当時の同性愛は、おそらく禅宗(五山文化)の影響だと思います。 鎌倉以降、武士階級の多くは禅宗に帰依していました。 特に高級武士(守護・地頭階級)に多かったので、一族の誰かしらが幼いうちに出家してお寺に稚児として入っています。 中には相続のために還俗して武士に戻る人もいましたので、長い期間をおいて武士階級にも浸透したのだと思います。 高級武士において、女性との関係は政略・子作りが主ですから、精神的なつながりはほとんどありませんでした。 むしろ女性は実家からのスパイとして、敬して遠ざけるのが普通でした。 結局、対等に近い恋愛を楽しみたいのなら男を相手にするしかなかったのではないでしょうか? 秀吉に同性愛的傾向がないというのは、その出自が武士でない証拠として笑われていた部分もある見たいですよ。

Makku5
質問者

お礼

 宗教的な背景があったのですか…。分かり易いです。武士階級の殆どが帰依していた事を考えれば、広まありますよね。  高級武士は家の事とかもあるでしょうし、女性はそのための材料だったのですね。そう考えれば、まともに恋愛することは難しいですよね。むしろ、同性の方がそれがない分よさげ…。  秀吉は、出自が武士でないのですか…!今日はじめて知りました。いろいろな事が分かった気がします。  回答有難うございました。

その他の回答 (6)

  • maotarou
  • ベストアンサー率50% (177/354)
回答No.6

 #2さんなんかが書いていますけど、秀吉以外の武将にとっては男色は普通というかむしろ高貴な趣味だったみたいですね。それについての笑い話を聞いたことがあります。(落語かな?どこで聞いたのかは覚えていないのですが)  秀吉が女性にしか興味を持たないのを心配した家臣が評判の美少年を秀吉の下に送りました。その美少年を見た秀吉は自分の部屋に少年を招き入れました。しばらくして出てきた少年に家臣が「どうであった?」と尋ねると、「お前に姉はいないかと尋ねられました。」ちゃんちゃん  っていう話です。少年に手を出さなかったことが笑い話になるんだから、当時は武将の男色はむしろ普通?と思った話です。

Makku5
質問者

お礼

 男色が高貴な趣味ですか。今の価値観からしたら想像も付かないことですね。ビックリです。「武士道」とかおっしゃる方は、この辺はどう考えるんですかね。秀吉はかなり例外なんですね。どうしてなのかは分かりませんが。からかわれるほど一般化していた…。時代によって事情は全く違う物なのですね…。  回答有難うございました。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.5

ちなみにこの辺はヨーロッパでも事情は同じですよ。キリスト教やユダヤ教は倒錯的性愛として男色や獣姦を厳しく禁止していましたが、よっぽど敬虔な人でない限り貴族や王様、あるいは末端の兵士でも性欲処理の相手は女性でないといけないという価値観の方が少数派です。 もちろん女性もその対象ではありましょうが、戦場では男性でもヤギでも何でもござれで。

Makku5
質問者

お礼

 回答有難うございます。  日本よりはるかに宗教が生活に影響を与えているキリスト教やユダヤ教でも、一般的だったのですね。  確かに戦場では(そういったものに無縁な日本で生活している僕には想像も付きませんが)、性欲処理に相手は選んでられない事は想像出来ます。

noname#35582
noname#35582
回答No.4

> (日本の歴史上の登場人物で)、こういった、同性愛的な嗜好を持った人物はいたのでしょうか? 嗜好といわれると回答に悩みますが、#1さんがおっしゃっているように、 > 戦場には女性がいないので、ごく自然な成り行きではないでしょうか。 ということです。 豊臣秀吉は、小田原の北条攻めの時や朝鮮出兵の際の拠点・名護屋へ愛妾を呼び、他の武将にもそれに倣うように言ったようですが、それ以前は、戦場へ女性を伴うことはなかったようですので、「必要に迫られて」ってとこですかね。 ただ、武田信玄は、寵愛していた小姓(後の高坂弾正といわれていますが)にあてたラブレターというか、浮気(?)の言い訳状が残っていたと記憶しています。

Makku5
質問者

お礼

 回答有難うございました。  何故に豊臣秀吉は妾をよんだんでしょうかね?他の武将は少年愛の方向だったのに…。不思議ですね。  武田信玄の浮気の言い訳状は聞いたことがあります。天下の武将もそういう物を書く(しかも、少年に向かって)なんて、チョット面白いですね。

  • sorato
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.3

女性より男性の方が自由に出歩けた分、昔からちょっとでもカワイイ、綺麗な少年がいたら、「お!?」と、いうコトになったみたいですよ。お酒で、「美少年」というのがありますが、その背景には男色というものがあるようですし、指導者ではありませんが、松尾芭蕉なんかも、弟子の曾良とそういう間柄にあったというのは、有名な話みたいです。

Makku5
質問者

お礼

 回答有難うございます。  確かに当時は男性の方がはるかに自由がありますから、そういうことにもなりそうですよね。お酒で美少年と言う銘柄があるとは知りませんでした。知らずに飲んでいるひとはビックリでしょうね。  松尾芭蕉もそう言う間柄にあったのですか…。わりかし一般的だったのですねぇ…。

noname#13438
noname#13438
回答No.2

江戸時代までは、男色への道徳的なタブーはありませんでした。これが倫理化されたのは、開国後のキリスト教の影響と思われます。(対外的なイメージアップを図るため、この習俗を抑えた?) 戦国時代については、豊臣秀吉以外の名だたる武将は、みんな男色家だったと言われています。 もちろん、ほとんどの場合は異性愛がベースですが、男色は貴人のたしなみとされた文化がありました。

Makku5
質問者

お礼

 明治維新後、海外へのイメージアップのためにキリスト教を公認した話しは知っていましたが、これが男色へのタブーも生み出したのははじめて知りました。  貴人のたしなみ、同性愛があまり良い目で見られない現代では、驚くような話ですね。  回答有難うございました。

回答No.1

昔の戦国武将では稚児、小姓などを相手の少年愛はごくふつうです。 戦場には女性がいないので、ごく自然な成り行きではないでしょうか。

Makku5
質問者

お礼

 回答有難うございます。確かに戦場には女性はいませんから、少年愛にいくんですね。

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