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沖縄と台湾の昔の表記について

古地図を見ていると、 沖縄が「阿児奈波」、「琉球」 台湾が「瑠求」、「流求」、「小琉球」 とそれぞれ表記されているのを見ました。 このように、混合しそうな名前がつけられていたのは何故ですか? 色々調べましたがよく分からずここに質問することにしました。 ご存知の方、ぜひご教授お願いします。

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  • jayoosan
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回答No.3

鑑真の時代の唐大和上東征伝(779年)には、すでに阿児奈波が確認されているようです。 で、名前の呼び方ですが、現在は世界共通の地図という概念がありますが(それでも日本海と東海などの論争はあるが)、当時は描き手による視点で地図が描かれたり、地域の呼び名が自国内で決まっていないものは、伝え聞いたそのまま漢字で(中国の場合)かかれたケースもあると思います。 この時代よりずっと昔、有名な卑弥呼(ひみこ)は、「卑彌呼」「俾彌呼」などがあり、聖徳太子が隋に使者を送った際の現地での記録には、日本の王の名前(聖徳太子であろうとおもわれる)は、「多利思比孤(たりしひこ)」と書かれています。 こういった歴史書にでてくる名前は、漢字だからといって中国から与えられた名前、とはかぎりません。 すなわち、日本人の名前や日本の名称は、使者から聞いた音であったり、あるいは卑弥呼より前の時代にすでに中国人が日本に住んでおり、中国に送る漢文の文書を書かせていたと思われるため(中国が、日本にはこんなにしっかりした漢文を書くものがいるのか、といった記述があるらしい)、日本においてすでに文書になった時点で、日本にいた翻訳の中国人がその人の感性で漢字を当てて書いた、そしてそれを持って中国へ行った可能性は、かなりあります。 で、ひみこもたりしひこもそうですが、これらは日本の音であったであろうと思います。阿児奈波も日本の読みであった可能性は高いです。 すると昔からある地図は、かならずしも中国が決めた名前でも、中国人がよんだ名前でもない可能性も考慮する必要があります。 琉球王朝は外交文書を中国へ贈る際には、琉球と自分たちで書いていたのは本当です。 で、「沖縄」は当て字らしいですが、琉球が薩摩の支配の時代から、琉球処分を経て廃藩置県となったとき、当時の政治家は、中国が当たり前に呼んでいる名前は、そのまま受け入れなかったはずです。 首相「県を置くにあたって、琉球は何県と呼ぶかねえ」 大臣A「わが国では、阿児奈波と昔読んでいたんじゃないでしょうか」 大臣B「鑑真が漂着した場所の名前ですね」 大臣C「薩摩の時代は日本の存在を隠して朝貢をつづけていましたが、いまとなってはもう中国っぽい名前をつかうわけにはいきませんな」 大臣D「新井白石が『南島伝』で「沖縄」と書いていますよ」 首相「それはすばらしい。沖縄の地形の美しさを見事にあらわしている」 全員「それでいきましょう」 (もちろん、これらは冗談で書いただけすが) こんなやりとりがあって、中国的ではないものを意識したはずです。 つまりもともと鑑真の時代に阿児奈波という音か表記があり、日本にとっても、阿児奈波(おきなは、あこなは)か、それに類する呼び名が存在していて、片や中国は、琉球とか、大琉球、小琉球と、遠い島国をざっくりと呼んでいたのだと思います。 台湾が東寧と呼ばれたのは、上海の南が現在も寧波で、ここは1381年には寧波府と呼ばれたようで、1523年に寧波の乱があったので、台湾はそのもっと東というような意味合いがあったのではないでしょうか。実際鄭成功の時代(1600年代)に東寧と呼んでいたようで、彼は大陸から渡っています。

kiith
質問者

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詳しい説明ありがとうございます。 冗談とは言え、興味深いお話もありがとうございます。 戦後日本から離れていた時は、琉球政府だったそうです。 日本的な感覚が沖縄で、中国的な感覚が琉球という、 雰囲気もあるかもしれませんね。

その他の回答 (2)

  • oska
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回答No.2

>沖縄が「阿児奈波」、「琉球」 >台湾が「瑠求」、「流求」、「小琉球」 明時代の古地図(坤輿萬國全圖)では、小琉球・大琉球の間に「トクノシマ」があります。 この記述を見ると、小琉球は奄美大島で、大琉球が沖縄の可能性が高いですね。 台湾は、「東寧」だと思いますが・・・。 #1の回答にもあるように、歴代中国は「大陸国家」ですから外洋には興味が無かったようですね。 歴代王朝の地図でも、色々と名称を変えていたのかも知れませんが・・・。 中国の古地図は「中華思想」で書いていますから、中国独自の名称も多いです。 (カスピ海は「北高海」、黒海は「太海」) 但し、琉球は歴代中国と関係が深いですから、位置を間違える事は無いでしよう。 同時に、人々の往来があった国々の名称は、そのまま使っています。 シルクロード近辺の国家は、正しく記述しています。 余談ですが・・・。 日本に対する記述も「六十六の州が有り・・・銀鉄漆・・・」と当時としては正確な記述です。 朝鮮半島にしても、「漢唐以来中国の邑となり属国となった。今は併合している」と記述があります。 この地図には「日本海」はあっても「東海」は存在しません。

kiith
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の参考文献は、吉川弘文館の世界史地図というものですが、 これによると、確かに11世紀後半のアジアのページで 沖縄:阿児奈波 台湾:流求 奄美大島:奄美 となっています。 15世紀前半では、 沖縄:琉球 それより大きく大陸側にある島 台湾:小琉球となっているのです。 奄美大島が小琉球、台湾が東寧と呼ばれた時代も あったようでますます混乱しています。 これはミスプリでしょうか?個人的には何か理由が あるものと思っています。

  • tanuki4u
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回答No.1

台湾海峡に国境があると思うから混合するのです。 国境もなく地図を見れば 奄美大島から台湾まではひとかたまり。 中国本土からみれば、海の向こうの 東にある列島でしかありませんので。

kiith
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうすると、この地名は中国の呼び方ということでしょうか? でしたら、地図を作った人によって呼び名が異なってくるのも 納得いきます。