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沖縄についての質問
(ゴールデンウイーク中に沖縄旅行をした)イタリア人留学生からいくつかの質問を受けました。 1、なぜ、日本は琉球の名前を改称したのか?改称せずに、琉球の名前を継承できなかったのか?改称する時、罪の意識はあったはずだ……みたいな言い方の質問でした。 2、沖縄のお城はオリジナルかどうか?中国のお城に似ていると思ったようで、中国の城を真似て造ったのかどうか?が知りたいようです。 3、琉装姿の踊り子の後ろで男の人達が三味線をひきながら歌っていたそう。 琉球語で歌ってたのか?全く日本語のヒヤリングできなかったとのこと。沖縄の人達は本来の母語はできるのか? 宜しくお願いします。テキトーに答えると悪い気がしたので調べてから答えると待たせてます。
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1、なぜ、日本は琉球の名前を改称したのか?改称せずに、琉球の名前を継承できなかったのか? 「琉球」が中国からは台湾も含む地域を指すこともあって、区別するために改称したのではないでしょうか? ちなみに「おきなわ」という言葉は沖縄本島を指す言葉として昔からあったようです。 2、沖縄のお城はオリジナルかどうか? 沖縄は文化的には日本よりも中国の影響の方が強く受けていますから、当然お城なども中国的であっても不思議ではありません。 3、琉装姿の踊り子の後ろで男の人達が三味線をひきながら歌っていたそう。琉球語で歌ってたのか? こればかりはわかりません。観光客相手のショーなどでは琉球弁(ウチナーグチ)で歌っている場合が多いようです。 琉球弁を完全に話せる人はどんどん減っています。日本の他の方言がどんどん消えていっているのと同じですね。 ちなみに琉球弁が方言か別言語かという問題ですが、基本的には祖先を同じにする言語であることと、同じ日本という国の中で話されていることから方言であるというのが一般的な解釈です。 一方、イタリア語、フランス語やスペイン語、ポルトガル語といったラテン語系の言葉は国が違うためそれぞれ独立した言語(○○語)とされていますが、実際には方言程度の違いしかありません。 イタリア語とスペイン語の違いよりも、日本の共通語とウチナーグチの方が違いは大きいです。 沖縄が独立国ないし他国に領有されていれば、別言語(琉球語ないし沖縄語)とされていたでしょう。
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調べると言ったなら自分で調べてみればいいのに・・・・ 適当にググるだけでも色々ありますよ。 これは沖縄県が作ったサイトで、英語ページも選べます。 http://www.wonder-okinawa.jp/index_jp.jsp テキスト版で見たほうが速い(^^; 「メニューウィンドウ起動」でメニューが出ます。 私もよく知りませんでしたが、首里城は歴史上、4回全焼しているですね。 1.どこかの国や領地を征服したり併合するときに、する側は罪の意識など持ちません。 現代の感覚とは違います。 昔にヨーロッパ勢がアフリカやアメリカ、オーストラリア、東南アジアなどに進出したとき、罪の意識があったでしょうか? イタリアもアフリカに植民地を持っていましたよ(今のエチオピア)。 ※乱暴なまとめ方なので、詳しい人は「植民地と一緒に考えるな」と怒るかもしれませんが。 2.学校の歴史の授業で、仏教は大陸から日本へ渡ってきたとか、遣唐使や遣隋使など習いませんでしたか? 渡来人とか。 日本の本土のほうにも、中国大陸や朝鮮半島から色々な文化が伝わっています。 九州のお祭りなども中国的な雰囲気があると思います。 琉球王国はマレー半島や東南アジアとも交易してたんですね。 地理的に近かったり歴史的に交流があれば、文化が似ていて不思議はありません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E5.B0.9A.E6.B0.8F.E7.8E.8B.E7.B5.B1 3.生活の中でどのくらい島言葉が使われているのか知りませんが、民謡であれば昔の言葉を使っているでしょう。 (本土だって民謡は現代語で歌わないでしょ?) 第二次大戦前、沖縄は本土より地位が低く見られ、差別されていたようです。 島言葉を使わないことが奨励されていたとも。 今ついでに見つけたのが、他の地方でもあったという「方言札」 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310832483?fr=rcmd_chie_detail ちなみに地元の言語を禁止するのは日本に限ったことでなく、 これまたヨーロッパでもありました。 日本だとアイヌもそうですね。 なんでもググればいいというものではないのですが(本当は本を読んだほうがいいです・・・・)とりあえず、 「同化政策」 というキーワードでGoogle検索してみてください。 人間の歴史にはそんな部分もあります。
お礼
URL参考になりました。 たくさん書いてくださったので、10ポイント差し上げます。 ありがとうございました。
- bismarks05
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1:琉球の領土権の関係上、琉球という呼称が日本の領有権の論理的正当性を揺るがすものであったから、琉球を採用することができませんでした。つまり、日本は、日本の都合で長く使われた琉球の名称を捨てさせた、と考えることもできます。当時の住民がどちらを希望していたか?という問題では、琉球が多かったと考えられます。 2:沖縄の城郭というと首里城を思い出すでしょうが、それ以外の城郭含めて、その機能性は独自のものがあります。というのも、沖縄の城郭はグスクと呼ばれるものですが、これが防御機能なのか?祭祀機能なのか?と区別がついていないからです。つまり、城郭をいいながらも軍事施設ではなく、宗教施設かもしれない・という部分で、独自性が見れると言えます。中国との関連性ですが、グスクはその構造において日本城郭に類似します。石垣・高くない城壁・堀などが日本城郭の特徴であるからです。 3:前半は回答できませんが、後半に関しては、ネイティブとして沖縄方言は死滅していないようです。
1、「琉球を、日本の領土にするか、清(中国)の領土にするか」という話し合いが、琉球抜きで行われていました。それを考えると、改称する時に、罪の意識はなかったと思われます。 2、首里城は、日本と中国と琉球独自の技術を、融合して作られたお城です。見た目は、中国の紫禁城のように赤いので、中国の影響を強く受けているように感じます。しかし、首里城正殿を正面から見ると、日本独自の唐波風がついていたりします。「紫禁城」と「首里城」の写真を見比べると、日本の神社にも似ているのが分かりますよ。首里城の中に「書院」という国王が日常政務を執っていた建物があって、これは日本の書院造になっています。畳の茶室もあって、日本と同じようにお茶も点てていたそうです。 3、…わかりません。(^^;
- ramta
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1.琉球とはもともと大陸側で沖縄、台湾方面を呼ぶ際の呼称でした。 それが明の時代に朝貢してきた沖縄の有力者に琉球國○○王の称号を与えました。そのため琉球國という国号を琉球処分まで使用していましたが、地名としての沖縄はおもろさうしにも登場する古いものです。 適当にでっち上げた名前ではないのでそれほど重く感じるものではなかったのでは無いでしょうか。 2.首里城に関して言えば中国の影響はあると思います。 明に朝貢した後に大陸からの渡来人がいて沖縄と大陸の橋渡しや国王の補佐も行っていましたので、それらから影響を少なからず受けたと思います。 しかし首里城以外ですと聖域、集落などから発展したグスクが城としての役割を持っていました。これらは首里城とは比べ物にならない小規模なものが殆どです。 3.もともとの琉球語は古い日本語から分かれたものと言われているようです。日本語との大きな違いとして母音が三つ(あ、い、う)で単語単位ではいくつかの法則である程度は置換可能です。 お年寄りの方は大抵話せるはずですが、年代が下がるにつれて話せる割合は下がっていきます。 若者だと日本語に方言や訛りが混じったウチナーヤマトグチが殆どだと思います。
大学の名前には琉球大学があります。「沖縄諸島」の地名は昔からあったようですので、おしつけではないと思います。 西安などの城壁をみると10メートル以上もあり、沖縄・首里城とは桁違いに幅広いです。中国では城壁のなかに都市がありますが、沖縄は土地が狭くて、大きい城は作れなかったのではないでしょうか。本部半島の今帰仁城は韓国の影響のほうが強いとのことです。なかなか風雅に満ちた城で 戦いのためとは思われませんでした。 同級生に沖縄出身が3名いましたが、標準語と沖縄なまりのバイリンゲルです。同級生に沖縄弁をしゃべってもらったらまったく理解不能ですした。
- TinyPine
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No.4です。3 について、質問内容と違う答えをしたみたいなので。 現在では沖縄口 ウチナーグチはが出来る人は少なくなっており、日常の生活では日本語を使用していますが、島部や老人の多い地区では未だ日常的に話している所もあるでしょうね。
- TinyPine
- ベストアンサー率30% (719/2386)
2、沖縄のお城はオリジナルかどうか?中国のお城に似ていると思ったようで、中国の城を真似て造ったのかどうか?が知りたいようです。 日本もそうですが、琉球の様な小さな所でオリジナル(全く琉球のみに存在する)は考えられないでしょう。文化自体は大陸、その他から伝わっているとおもいます。沖縄料理に"ラフテー"と言うのがありますが、インドネシアで全く同じ料理を"バクテー"と言っていました。 3、琉装姿の踊り子の後ろで男の人達が三味線をひきながら歌っていたそう。 琉球語で歌ってたのか?全く日本語のヒヤリングできなかったとのこと。沖縄の人達は本来の母語はできるのか? 琉球の言葉は日本の古語と聞いています。ここで言っている母国語は沖縄口の事でしょうか? チバリーニーセーニ 気張りなさい兄さん 兄さん頑張れ メンソーレ ごめんそうらえ こんにちは サーターアンラギー 砂糖油揚げ 丸い沖縄のお菓子 ティンサグウヌウハァナヤチミノサキニスゥミテイウヤノユウシイクゥトゥヤァチムニスゥミイル てんさくの花は爪の先に染めて、親の言う事は肝(心)に染める 沖縄の民謡です。 解説されれば皆理解出来ますよね。
- cyototu
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沖縄の言葉の中には日本語の古代の言葉が今でもいっぱい遺されております。また、琉球神道の中にも日本の古代の神道の形式がいっぱい遺されています。変わったのは、日本の本土の方なのです。この共通性を分析することによって、沖縄と日本はもともと同根の民族であり、歴史時代以前から密接に関係していたことが分かります。この琉球の方言や琉球神道と日本の言葉や日本神道との関係は、柳田國男を代表とした日本民俗学者によって、実証的に徹底的に調べられております。下でほんの二三の例を紹介しますが、沖縄諸島や奄美大島等を調べると、日本の中世や古代、あるいは縄文人達の習慣や考え方が化石のように残っており、日本研究の宝庫になって居ります。明治の頃までは佐渡が島にもそのような文化の化石が残っておりましたが、さすがに交通やテレビ・ラジオの普及で、その化石は殆ど消滅してしまいました。ヤンバルクイナやトキが絶滅危機品種になっているようなものです。 日本本土に於いても、一般に方言とはその地方が生み出した言葉でも何でもなく、昔の京の都で話されていた標準語のことです。腰の軽い新し物好きの京童達は、どんどん流行語を作って、今の都会の若者達と同じ様に親達の言葉を古臭い物に変えて来ました。でも、昔はその流行が地方に伝播するのに時間がかかってしまうので、都会の者が田舎に行くと、聞き慣れないので、それを自分の親やその親達が使っていた言葉だとは想像もできず、「方言」というレッテルを貼っていただけです。ですから、今の日本でも、京都を中心して遠い程、昔の京都の言葉が残っています。 具体的な例として、日本本土での方言の変化を一つだけ挙げておきましょう。質問者さんは群馬や栃木の「ベーベー言葉」をご存知ですか。「行くベー」とか「そうだベー」とか、「そうだんベー」などと使います。昔、美智子妃殿下が戦火を逃れて群馬に疎開していたとき、妃殿下は「行きましょベー」とおっしゃっていたと言うエピソードを聞いたことがあります。これは、もとは「べし」と言う大変立派な言葉だったのです。それが、少しずつ変化して「べー」に変わったわけです。江戸初期の江戸辺りの足軽言葉では、「べい」と言っておりました。東北地方では、今でも「べす」などと、元に形に近い言い方をしています。 この方言の発展と同じ様に、日本語も沖縄語も元々は同じだったのですが、一方が地理的に孤立していたために、本土の活発な変化よりも沖縄は緩慢な変化を遂げ、聞き慣れない人が聞くと、まるで違う言語のように聞こえるだけです。 沖縄の巫女は祝女(のろくめ)と言いますが、「のろ」はもちろん祝詞の「のり」のことです。この祝女が誦する神歌の一部: あまぐれおろちへ(急雨をふらしめて) よるいぬらちへ(鎧を濡らして) うむてんつけて(運天に船を寄せて) こみなとつけて(小湊に船を寄せて) かつおうだけさがる(嘉津宇嶽を下り) などは慣れないと日本語には聞こえませんが、よく調べてみると日本語ですね。他にも、虹には虫偏がついているのでもお判りのように、昔の日本人は虹が出るときには龍神が虹を伝わって空に上がると考えていました。日本の各地では虹の語音は鰻に近く、東北の羽後では虹をノギ、琉球諸島の中央部のヌージ、ノージから、端々に向かえばノーギ、ノーキ又はモーギ等になっていて、鰻を意味するウナジ、ウナギに似ています。沼に住む巨大な鰻などを水底の霊界のヌシと呼ぶ理由も、実はこの虹の語音と鰻の語音の類似で、元は一緒の語音であったことが、民俗学の研究から分かっております。他にも、雨と天と海女が何故皆、アメやアマという語音を持っているのか等も、沖縄の方言と日本本土の方言の分析で分かるようになりました。この例はほんの一部ですが、日本語の起源を探るのに、沖縄の方言は本質的に重要な役割を演じています。 また、沖縄や東北地方や紀伊半島の突端など交通の不便な所に住んでいる人達の間は大変良く似た遺伝子を持っており、その遺伝子は縄文人に近いそうです。意外なことに、東北人やアイヌ人は人種的には南方系の沖縄人と同じ人種に属するのだそうです。日本では、南方系が国の南北の両端に多く分布しており、その間を分けるように北方系の弥生人の遺伝子が、九州や近畿地方を中心に分布しているそうです。機会がありましたら、図書館等で『定本 柳田國男集』(筑摩書房)などの日本民俗学の本や、人種の分布に関する近年の多くの書物を調べて下さい。 ただし地理的に沖縄は日本本土と離れていたため、たとえ共通の日本語や神道を持っていても、それなりの独自な発達を遂げて琉球王朝を作り上げ、中国からは日本とは違った独立国と見なされていたとしても不思議ではありません。事実、琉球という名は、沖縄人によって付けられた名ではなく、中国の史書『隋書』で呼ばれた名前ですから。 外国の方にこのように説明して頂ければ、日本と沖縄の関係が分かって頂けると思います。
1.「琉球処分」という事実があることを知りました(ウィキペディア参照)。アメリカ統治時代に一度琉球政府ができたのですが、本土復帰時に消滅しています。 改称した理由までは書いてませんが、「王国名」、つまり国の名前なので残しておくことができなかったのではないかと推察されます。 2.清との交易もあり、また地理的にも中国のほうが近いので影響はたぶんに受けているものと思われます。 3.沖縄民謡はその大半が琉球語で歌唱されています。 こんなところですかね?
- yayoi4736
- ベストアンサー率32% (282/880)
1.占領してからの改称なので、罪の意識なんてあるわけがありません。 2.首里城に関しては、第二次大戦中に米軍の砲撃で焼失し、戦後アメリカ統治下で再建されたものみたいです。 3.沖縄方言は方言というよりも日本語とは別の香りがします。観光客が寄るところやデパートなんかでは本土人でも聞ける言葉ですが、それ以外の場所では、たとえauショップやヤマト運輸ドライバーとの会話でも、ウチナーグチが跋扈してます(経験済) 平日昼間、ウチナーグチだけでやってるラジオ番組がありますが、本土人が聞くとCM以外理解不能ですorz で、ヤマト運輸ドライバーは私が話しかけると分かる言葉で返してきて、「おぉバイリンガルやん」と思ったりとか… 以上、沖縄に数回行った事のあるヤツでした。
お礼
みなさんの意見を参考にした後に、wikipediaやいろんなサイトをみてまわりました。jey9さんが、一番近いかなーと思ったので、20ポイントどうぞ!ありがとうございました。