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教義内では共存的な世界観の多神教が、対外的には排他的になるのはなぜですか。
教義内では共存的な世界観を思わせる多神教(たとえば神道)が、対外的(他の宗教など)には排他的になるのはなぜですか。そもそも、教義内でも共存的な世界観などないのでしょうか。 多神教がもつ包容力は、対外的にも寛容な、排他的ではない態度に通じると思いたいのですが、幻想でしょうか。
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お礼
全く、そのとおりだと思いました。 個人でも、宗教組織でも、政治活動に利用される「弱さ」があると思いますし、政治を利用する「強さ」もあり、どちらに傾くかは、その時々の状況次第なのでしょうから、どちらもありだと思いました。 永世中立的な幻想としては、開放的で、対話的な姿勢かなと思います。 いろいろと参考になりました。ありがとうございました。