- ベストアンサー
奈良時代の「防人」と、正倉院の「校倉作り」の漢字の読み方について
はじめまして。私は今中学1年生の女の子です。 今、社会の授業で奈良時代の勉強をしています。 授業中にふと思ったのですが、「防人」と正倉院の校倉作りの「校倉」には、なぜこの漢字が当てられているのでしょうか? 先生に聞いてみたところ、「先生もそこまでは分からない」と言われました。 カテゴリーとして歴史か国語で迷ったのですが、ひとまず歴史の方で質問させていただきます。 どなたか知っている方、ご返答いただければ幸いです。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
質問の意図は防人・校倉の意味ではなく、なぜ一般の読み方とは違うのにこの漢字があてがわれているか?でしょうか。 漢字には音読み・訓読みがあり、表意文字である、と言うことを考えていけば解りやすいかと思います。 音読みはもともとの中国での発音、訓読みは日本のやまとことばに当てはめた読み方ですね。 万葉集や正倉院の7世紀から8世紀頃の時代、まだ漢字にほとんど音読みは使ってませんでした。万葉集の読みはほとんど訓読みの言葉で成り立っています。使ってなかったかどうかは別として、一般的ではなかったと言う事でしょう。音読みの言葉は「菊」と「衛士」の二つだけだそうです。 これが古今和歌集の時代になると音読みのオンパレードです。大陸の文化・学問が入ってきて一般的になったという事でしょうか。 つまり最初は読みではなく、「言葉の意味」に漢字を当てはめたのですね。漢字は「表意文字」ですから、アルファベットと違い文字自体に意味を持ちます。元々あった大和言葉に意味を当てはめて漢字を当てたわけです。 先に言葉があって、後から意味に合わせて漢字を当てはめたと。 防人(さきもり)はすでに出ているように、九州の沿岸部を護っていた人ですから、「防(ぼう)」の「人」と当てはめたんでしょう。「(ぼう)防」は土を積み上げた堤防の意味です。 で、その同時期、あるいはその後から、「まもる」と言う意味に当てはめた漢字、「(しゅ)守」や「(ご)護」のほうが、一般的に守る意味に使うように認識されたため、守・護は「まもる」と訓読みするようになりました。「(ぼう)防」は「ふせぐ」ですね。 なので違和感を覚えるのでしょう。 もし現在、さきもりの大和言葉の意味に漢字を当てはめるとしたら(せん)先か(き)崎の字を使い「先守」か「崎守」でしょうか(または先護?)。 校倉(あぜくら)も同じです。「あぜくら」という言葉が先にあり、木を組み合わせると言う意味の(「木」+「交」)「(こう)校」の字を当てたと。 今現在使う「(こう)校」の意味は元々は木を組むと言う意味だったのが、「(こう)較」に通じて比べるの意・「(こう)學」に通じてまなびやを意を表すようになったようです。 なので現在では「校正」などに「校」の字を使い、学ぶ場所に「校」の字を使うようになりました。 またもともとの言葉としての「あぜくら」の「あぜ」はその形状が田の畦(あぜ)に似ているからと言われています。 先に「さきもり」「あぜくら」という言葉があり→意味の合う漢字をあてはめた→その訓読みが一般化しなかった という事ですね。
その他の回答 (8)
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
日本古来の言葉に同じ意味あるいは同じ物を指す漢字をを当てはめたから字の読みとは異なることがあるのです むかで(ももがて)→百足 これもそうですね
- Kiriyama-taicho
- ベストアンサー率20% (387/1875)
面白いところに目をつけましたね。 これは先にあった言葉に後で漢字を意味で当てたからでしょう。 「防人」はたぶん奈良時代よりずっと前、漢字が入ってくる以前から 「さきもり」と呼ばれていた役割の人がいたのではないでしょうか。 その後、中国から「防人」という役職と言葉が入ってきてそれがちょうど 「さきもり」のようだったから、奈良時代には同じになってしまった。 どうでしょう? 似たような話を紹介しますと「日下さん」という苗字があります。 あれはなぜ「くさか」と読むのでしょう? 一説によると大阪府の石切という所が古代「草香(くさか)」という 地名だったそうで、大阪湾から見るとちょうど太陽が生駒山から昇ってくる ちょうど真下に当たる場所だったので「日の下の草香」と呼ばれるようになり、 その後「くさか」=「日下」となったといわれています。 同じように万葉時代には「枕詞」と言って地名にはそこの特徴を表す 飾り言葉をつけてその飾りのほうが後に地名の漢字になったという場所が いくつかあります。「飛ぶ鳥のアスカ」=飛鳥、「春の日のかすが」=春日など。
お礼
先に「さきもり」というものがあったんですね。 それに、後から漢字を当てはめた、なるほど。 詳しいご回答ありがとうございました。
- tono-todo
- ベストアンサー率16% (169/1028)
さきもり、あぜくらの読みは やまと言葉をあてはめたものでしょうが、この漢字は下記のようなことが出発点になっていたのではないでしょうか。 防人:昔の自衛隊ですから「防」の字は意味があると思いますが、多分、出典は中国の辺境守備隊の呼称を日本に持ち込んだのではないでしょうか。 校倉:どちらが先か分かりませんが、三角形、六角計の材木を校木というそうです。校倉作りが先にあったのか、材木(校木)を単に積み上げた建屋の構成を校倉作りと称したのかは分かりません。 なぜなぜは6回繰り返せば、大体根本が分かると言われていますので、大いに先生を困らせましょう。 答えられない先生はたくさん居るでしょうが、分からないことを調べようとしない先生こそ困り者です。
お礼
確かに「防人」は防ぐ人と書きますね。 本当は先生が調べるのが一番ですよね。 分かりやすいご回答ありがとうございました。
- Mumin-mama
- ベストアンサー率45% (1140/2503)
防人とはもともと埼守の意で、主として九州きた岸や壱岐・対馬の二島を守備する兵士のことをさします。730年以降は東国の兵だけがこの役に服することになり、任期は3年でした。 校倉造りの「校」には(木を横にする)意味があるそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2
- falao
- ベストアンサー率15% (30/194)
防人(さきもり) 律令制化、大陸からの侵入を防ぐ目的で九州北部の沿岸や壱岐(いき)、対馬(つしま)に派遣された兵士、白村江での敗戦(663年)以後整備され諸国の兵士が3年交代で任に当たったが、730年から東国兵士に限った、その後、数度の改廃を経たが、10世紀初頭には、有名無実になった。 私の、勝手な推測ですが「防人」とは侵入を防ぐ人という意味ではないかと思いますが、如何でしょう? 校倉(あぜくら) 倉の形式の一つ。柱を用いず木材を井桁(いげた) 状に積み重ね壁を作ったもの。甲倉、叉倉 校倉造り(あぜくらづくり) 校倉に用いられる様な建築様式。世界各地に古くからみられ、日本では断面が三角形の木材を内側にして積み上げる方法が発達。多くは古代に倉として建てられ、東大寺正倉院や唐招提寺経蔵などが現存する、井桜(せいろう)組。 参考になれば幸いです。
お礼
正倉院は校倉造りの代表的な建築物なんですね。 参考になりました。 ありがとうございました。
多くは、古来からあった大和言葉に、輸入された漢字を当てはめたものです。輸入されたままの読み方は音読みに、当てはめられた読み方が訓読みになりましたが、一部は言葉の進化と共に消えていきました。 「防人」は文字のとおり「防ぐ人」、また「校」には「木を組む」と言う意味があります。 語源辞典で調べれば、正確なことが分かると思います。学校の図書室にありませんか?
お礼
なるほど、語源辞典ですね。 明日、図書室でさがしてみます。 ありがとうございました。
防人は何のための役目だったか考えれば判ると思うし、 『校』の字と正倉院の写真を見比べれば判ると思う。
お礼
>先に「さきもり」「あぜくら」という言葉があり→意味の合う漢字をあてはめた→その訓読みが一般化しなかった これ、すごく分かりやすかったです。 細かいご回答ありがとうございました。