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太平洋戦争の宣戦布告文はもっと簡単に?

太平洋戦争開戦の1945年12月8日の対米宣戦布告文はもっと簡単な文章にできなかったのですか? ワシントンの日本大使館では、宣戦布告文の暗号の解読や翻訳、タイプなどに時間がかかって、真珠湾攻撃に間に合わず、アメリカや他の国から「日本は卑怯なだまし討ちをした」と非難されたそうです。 宣戦布告文はもっと簡単なものにできなかったのでしょうか? そうすれば、手間もかからずに攻撃前に渡せたと思います。

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  • a-koshino
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回答No.2

補足として 当時の外務省内には北米課長が起草した開戦通告文が存在しました。わずか12行の短いものですが、「いまや両国の間に戦争状態が存在することを閣下に通告いたします。また、本使は、両国の国交断絶に関する日本政府の見解をしめしたステイトメントを一通閣下に手交するよう、併せて訓令されました」と、はっきり書いてあります。 これを渡すだけでも充分だったのですが・・・。

noname#49019
質問者

お礼

よくわかりました。単純なものではないようですね。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • a-koshino
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回答No.1

質問者様のおっしゃる「対米宣戦布告文」の内容は、日米交渉の継続が困難になった、という程度で、国交の断絶や開戦の予告は文中にありません。文面を一任された当時の東郷外相自身が、「これが形式的には宣戦の通告とは異なる」と認めておりますし、日本大使館でも宣戦布告を意味するとは思わなかったようです。 戦後、東郷外相の発言として、「海軍から真珠湾攻撃の奇襲を成功させるために、外務省も協力するように要請され、アメリカに『最後通牒』を出さないように圧力を受けた」とあります。 詳しくは「真珠湾<奇襲>論争」(講談社選書メチエ)を御読みください。

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