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和製漢語 民族 作者
和製漢語「民族」の作者は誰ですか?
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回答がほかにないようなので、想像ですが・・・。 (1)韓国中央日報の説http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k404.html ↑このURLの二つ目の囲みに、次のように書いています。 「宮崎という日本人が1880年代にフランス語「Assemblee Nationale(フランス下院)」を「民族会議」と翻訳したところから始まったものだという説が有力だ。」 宮崎という日本人は誰だかわかりません。 (2)小学館国語大辞典で「民族」を引いてみました。 用例として福沢諭吉の「西洋事情二・二」に 「往古魯西亜の地方には「シチアン」と云へる蛮野の【民族】ありて・・・」 と出ていました。西洋事情の二編は1970年の出版です。 ↓このURLには次のように【民族】が出ていました。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/bun/seiyojijog.txt 1-a-05往古魯西亜ノ地方ニハ「シチアン」ト云ヘル野蛮ノ 1-a-06民族アリテ荒漠ノ原野ニ住居シ水草ヲ逐テ徘徊 国語大辞典と「蛮野」と「野蛮」が違うだけです(笑) さて、中央日報は「1880年代」と書いていますが、福沢諭吉は「1870年」にすでに「民族」を使っています。 福沢諭吉は造語の大家です。 でも、諭吉と決め付けるわけにもいきません。 中央日報のフランス語の訳や宮崎という名前が、もっともらしく聞こえます。「1880年代」が誤植か誤解で1870年であったとすれば、宮崎説もあり得ると思います。 結論:宮崎某先生または福沢諭吉先生(苦笑)
お礼
Noname様、 たいへん参考になりました。有難うございます。やはりインターネットはえらい!これから、宮崎某氏についてできる限り調べてみようと思います。今、ポジショなりティなどの関係か、「民族」ということばが厄介な用語として理屈の好きな方々の頭痛の種になっている一方で、「中華民族」のように「民族」の通念と相反することばまでまかり通っているようですので、ルーツを知りたくて質問しました。