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空気から教育される人達
単純な考えですが元々言葉や状況というのはただの物理的現象に過ぎないのです、ですからそのただの物理的現象をどう解釈するかを子供はまなぶわけです、そこで出てくるのが空気です、空気によってこれはなんなのか、これはどういうものなのかこれはなにを意味するのか?ということを学んでいくわけです、そう考えると道徳心というのは空気で教育されて始めて道徳心が見に付くわけですから、周りの空気がそのような空気でなければ見に付かないのではないかと個人的には思っています。 まあそれはさておき、では空気でどのように学んでいくのかという個人的省察は、まず第一に顔の表情です、顔の表情が良ければ、これは良いことなのか、とか学ぶわけです、第二に状況です。今こういう状況だからこうしようなどと無意識の内に学ぶわけです、ただここで問題なのは空気で暗示に掛けられている人たちがそれを自分の本質にしてしまい、仮想有能感を満たそうと行動していしまう若者に育ってしまい、もしそれが犯罪的行動と結びついていれば犯罪という現象を犯してしまうわけです、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000113-san-sociそこでその様な犯罪を未然に防ぐためにも是非質問に回答してもらいたいんですが心理学的にこのような空気暗示を解きほぐすことは可能なのでしょうか?
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- cse_ri2
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心理学的じゃないとは思いますが、問題を解決するには道徳教育が必要だと私は考えています。 そもそも、「空気読む」なんて言葉自体が、極めて日本的なんですね。(苦笑) じゃあ、外国じゃどうやって道徳心を養っているかというと、宗教なんです。 新渡戸稲造の「武士道」の前書きを読めば、ちゃんと載っています。 聖書とかコーランとか、仏教ならお経とかを持ち出して、神様がこう言ってるから、またお釈迦様がこう教えを説いているから、悪いことはしちゃいけませんと子供に教えるのです。 日本は、まあそういうものがあまりなくて、新渡戸稲造自身も知人のアメリカ人に問われたときに、答えに窮していました。 その答えを新渡戸や、また同じ明治のクリスチャンである内村鑑三は、家庭教育の中に見出します。 新渡戸はそのルーツをさらに遡って調べ、体系化して書物に記したのが「武士道」であるわけです。 しかし戦後の日本では、武士道も家庭教育も廃れました。 その結果、現代の子供は、社会的な規範を周囲の空気を読みながら、手探りで学んでいくしか方法がなくなってしまったわけです。 では対策ですが、個人的には教育勅語を復活したらいいと思っています。 もちろん、文面は現代に合わせて多少修正しますが、やはり道徳教育の規範となる基準を作らないと、今の状況はなかなか改善されないでしょう。
お礼
いろいろありがとうございます。