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父の死がつらいです
- 父の突然の末期がんと闘病、そして他界による激変を経験し、私たちの生活は大きく変わりました。父の存在がなくなったことで感じる寂しさや悲しみは人一倍で、母には経済的援助をしていますが、実家での同居は難しい状況です。
- 父が大切にしていた会社は廃業し、父自身も病気で弱っていきました。介護保険の必要性や要介護認定の驚きもあり、ドラマのような出来事が身近に起こることを実感しました。母も父に頼りきって生活していたため、精神的にも不調をきたしました。
- 父の死後は葬儀や法事、相続など多くの手続きに悩みましたが、何とか乗り越えました。現在は母が一人で暮らしており、私たちは経済的に支援するだけです。実家にはなるべく時間を作って帰り、母の話を聞くようにしていますが、つらさや複雑な気持ちもあります。
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僕は14歳で父を亡くしました。 父はアルコール中毒でいつも仕事中酒を飲んでいました。 そしてガンマが上がって病院の入退院ばっかりでした。 あきれた母は僕が中一の頃に別居することになり、弟をつれていきました。僕はあまりにも父がかわいそだったので一緒に祖父、祖母、父と暮らしました。 そして、このままじゃダメだと父も思い、専門の病院に入院しました。退院してきたらほぼ治ってました。とっても仕事も熱心にしたり、なにより僕を悲しい思いをさせてしまったため、またみんなで暮らせるように努力してくれました。 でも、あるときほんの一滴の酒を飲んでしまい以前の父にもどってしまいました。 また酒に荒らされるようになり、祖父母も「入院しろ」と何回も言いました。 でも父はそれだけは断固として断りました。その理由はこれ以上僕を悲しませたくない、別れたくなかったそうです。 そんな日が続きながらぼくは中二になりました。そのころから祖父母が変わってしまいました。 父が酒を飲むとその時僕と父と祖父と祖母と寝ていたのにもかかわらず「あんたのせいでこの家はもうだめだ」と朝何回も言っていました。 そして、運動会には僕は足が速かったので選手に選ばれました。僕は父を勇気づけようと楽しみにしていました。 5月12日僕が部活から帰ってきたら父が2階で寝ていました。ちょっと不思議に思いながらその夜、父無しで祖父、祖母と寝たつもりでした。 5月13日悪夢の日が来ました。 朝、祖父母たちが「はやく死なんやろうか」みたいなことを言ってました。横に寝返りをうつと父が寝ていました。 でも父は泣いていました。あれって思いながらまた寝てしまいました。 そして今日は運動会の予行練習がありました。 リレーが終わったところで担任の先生から「お父さんが倒れらしたけん、すぐ帰る準備をして」と言われたので帰りました。 僕が帰った時には父はもう帰らぬ人になっていました。 原因は自殺でした。その時、父はうつ病になっていました。 そして通夜、葬式、火葬が終わりました。 涙が枯れるほどつらかったです。 だってなにより僕を悲しい思いさせてしまったという責任感があり、僕に何でもしてくれました。 父の気持ちを考えると胸が痛くてなりません。 もう父としゃべれない、さわれない、なにもできないもう会えないという思いでいっぱいでした。 でも今はだいぶもとに戻ってきました。 人生だからつらい時もあるけど、それは仕方のないことだから前を向いて歩いていきます。 頑張って父の分までずっとこれから先も頑張っていきます。
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- mipopotamasu
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わたしも、お父さんがなくなりました、アル中とうつも同じです! わたしは、お父さんがなくなる前日に、死ねよっていってしまって、私のせいでお父さんがなくなったと思っていてとても後悔しています。おとうさんは、いろいろとストレスが溜まっていたのに我慢して隠していたらしいんですが、私は何もしらずに毎日のように親からしたら屈辱のような言葉を言い続けてお父さんと全く仲良くなれないまんまお父さんがなくなってしまって、すごい悔しくてお父さんのことをまだちゃんとしれていないのが本当に悔しいです。お父さんが亡くなった事を友達には相談出来なくて、共通点が多い人を見つけられて良かったです!ちなみに今中3で中2で亡くしました。
- jtmtpadg
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私の事かと思いました。 私は26歳で、パパは小さな会社を経営しておりママは会社の経理をしていました。 ちなみに私もパパの会社で働いていました。 2ヶ月前に突然倒れ、1ヶ月間の闘病生活ののち、亡くなりました。 ちなみに昨日、四十九日を終えたところです。 本当にパパが突然いなくなって、いかに自分達がパパに頼って生きてきたんだなと痛感しているところです。 自営業だった為、毎日パパと一緒にいたママはもちろん不安定真っ只中。 私も辛くて一生懸命耐えようと頑張っているのに、目の前で辛い辛い言われると、何故かイラッとしてしまうの、分かります。 私ってヒドいのかなと感じていたので、仲間がいて嬉しいです(笑) 私達にとっては親だけど、ママにとっては好きだった人で思い出も見方も感じ方も違うんですよね…。 私はまだ亡くなった実感がありません。 正確には実感してるのかしてないのかすら分かりません。 ただ、ずっと一緒に働いてきた作業場には入れないでいます。 老後は、ママとパパが大好きな旅行を沢山するんだろうなと当たり前に想像していたので、あっさり叶わぬ事になった事実に頭がついていきません。 食べる事が大好きでメタボなパパに、もう私の手料理を食べて貰う事は絶対に無いんだと思うと、アレも作ってあげたかったなと後悔ばかりの日々です。 死ぬ前に私の名前を呼んだパパ。 いずれ皆、遅かれ早かれ同じトコに逝くんだと思うと、寂しくない気もします。 私も質問者様に上手に言えなくて申し訳ないのですが、この日本に、現在質問者様と同じ境遇の人もいるんだと思って、一緒に頑張っていきましょう(o^_^o)!!
sukiyakiabさんのお気持ち良く分かります。 私も心から信頼していた父親を11年前に亡くしました。 「溺死」です。酔っ払い誤って川に転落してしまい3週間後に見つかった時には厳しくも優しかった父親の面影は無かったそうです。 (あまりにも醜い顔になっていたらしく母親・身内の極一部の人以外見ていません) 私自身も見ていません。本当はどんな顔でも見たかった。私にとって父親はどんな状態であろうと父親だから・・・ お葬式の日も本当は泣きたかった。でも、長女である私が泣いて居たらきっと父親は「泣いてる暇があるならばやる事やってから泣けっ!」って怒られそうな気がして泣くのをグッと堪えました。亡くなった後に残された家族が困らないように色んな手続きを1週間で終わらせた時に思いっきり泣きました。 亡くなって3~4年位まで夢に出てきてもいつも顔の部分はモザイクがかかっていました。何か話しているんだろうけれど顔が見えないから聞こえない。5年過ぎた位から昔の面影のままの父親の顔が見えるようになってきてから少しずつ声も聞こえるようになってきました。 本当に時が徐々に解決してくれますよ。私も5年目を超えるまでは泣いてばかりいました。残されたお母様を大切にしてあげて下さい。 「泣きたい時は思いっきり泣こう。笑いたい時は思いっきり笑おう」 元気出して・・・姿・形は無くてもお父さんは心の中にいつでも居ますよ。
- hamachoro618
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私も23歳のとき母を亡くしました。癌でした。 余命半年といわれながら3年闘病した後の死でした。自分の死を悟った母は、私に生命保険の受け取り方、葬儀は無宗教で…など残された私が困らないようにしてくれました。それだけ私のことを心配してくれていたのでしょう。 もう10年も前のことですが、今でも元気な母が夢に出てくることがあります。朝起きて、夢と現実との区別がつかないこともあります。 悲しい気持はいつになっても消えません。 私の場合、父母の離婚後、母と二人暮らしで一番近くにいたのに病気に気づいてあげられなかったこと、私自身遊びたい盛りでまともに家に帰っていなかったこと、母の看病よりも自分の夢をとって家を出たこと(母を看取ってから…という思いもありましたが、それは母の死を待つようで苦しく…母は、快く「がんばっておいで」とおくりだしてくれました。今考えると、結局は逃げたのかもしれませんが)今でも後悔でいっぱいです。 現在は結婚もし、子供もいますが、母のことを考えこっそりと涙を流すこともしばしばです。大好きだった母を子供たちに見せてあげられないことも、子育ての悩みを母に相談できないこともつらいです。 母がいなくなったら、私は一人ぼっちになってしまう…と思っていた私を支えてくれたのは親友たちでした。母の病気を知った時から「あなたのことは私たちが支えるから、あなたは全力でお母さんを支えてあげて」と言ってくれた親友たちが、私からの訃報に飛んできてくれ、そばにいて支えてくれました。 気持を聞いてもらえるだけでも、少しすっきりし、安定するものです。 同世代でも、親をなくした経験がなくても気持はわかりますよ。愛し、愛された親が亡くなったのですから。悲しくて当然です。誰かに話して、聞いてもらって、たくさん泣けばいい。たくさん泣いたらちょっとすっきりしてまたがんばろうって思えます。それの繰り返しで今の私があるような気がします。 お父様も「またがんばろう」と思うsukiyakiabさんを見守っています。 あまり参考にはならなかったでしょうが、sukiyakiabさんの気持が元気になることをお祈りしています。
- mama4615
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初めまして 二児の母(33歳)です。 実両親と同居を8年目を迎え、2年前実母(当時58歳)の難病が発覚し、 その病気は 難病指定でもあり、平均して発病から2年の余命宣告。 治療方法が無い事、ある事と言えば延命治療(治療自体1年を要する)、延命治療なので完治は無く、二年程度延命。 薬は無くと言う状態。 医師から家族に宣告されたのは、余命わずか半年でした。 入退院を数回繰り返し、私たち家族が出した答えは 告知しないと言う事でした。 一生私たち家族が背負って行く嘘です。 きっと母は騙されている事は承知で 騙されているフリをしていたのでしょうね。 そんな経緯を 持っています。 主人も15歳の時に 胃がんで父親を亡くしています。 とても時間が必要な事だと思います。 一番辛いのは、質問者さんでは無いです。 お父様が一番辛いのです。病気になった事、家族を支えられなかった事、、、そして逝かなくてはならない色々な悔いはあったと思います。 ですが、時間は元には戻りません。 質問者さんが出来る事、、、それはきちんと生活する事です。 法事やら何やら、、、《きちんと育てて貰った》と言う形を見せる事でも それは表現出来ますよ。 うまく言えないですが、、、お彼岸、お盆には御墓参りは欠かさず、法事も立派な事は出来ませんが、精一杯やっています。 その度に 叔父や叔母は『ミーコちゃん(実母のあだ名)は幸せだね、立派に育てて立派な旦那さん連れて来てくれて、優しい孫産んで貰って』って言ってくれます。 その言葉が 私を褒めてくれているから嬉しいと思うのでは無くて、 私の母の育て方を褒めてくれているみたいで 私はとても嬉しく感じて、安心というか、、、、そんな気持ちなのです。 世代的には お父様と似ていると思います(昭和21年生まれなので) 『どぅして実母なの?』『どぅして』って思います。 ですが、、得られた事は必ずあります。今はまだ見えないのかも知れませんが。。 私にもまだ見えないものあるかもしれませんが、得られたもの、、、 家族の深い愛情は見えました。 実母と話し込んで夕飯はインスタントでも 何一つ文句言わず『インスタントラーメン食べたかったんだよね~夕飯作ってなくて良かったよ』と言える主人の心の広さ。 公園に遊びに行き、『ばぁちゃん外行かないから これ秋の手紙』と言って 落ち葉のプレゼント。 照れながら 母のテーブルに『おまもり』の文字を刺繍した小物袋を長女は作り。 とても 深い愛情を再確認出来ました。 質問者さんも きっと何か得られたものは有ったのだと思います。 それを大事に育てるのが 生かされている人の役目ですよ。
- psho1122
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誰でも考えることに、生とはなんだろう、ということがあると思います。私が40年を経てただひとつわかったことは、生とは連鎖であるということです。 命はリレーのように繋がれていくものだと考えると、あなたやあなたのお母様のように、お父様の死を悼む方々に囲まれたお父様の人生はとても素晴らしいものだったと思います。お父様の素晴らしさを一番感じているのは、全世界であなたやお母様でしょう。 ですから今はお父様を想って泣いてください。お父様はそんなあなたを見守ってくれるはずです。そうして暫くしたら、あなたに人を思いやる優しさを与えてくれたお父様を背負いながら、あなた自身の人生を歩んでください。自らの足で再び歩みだすあなたをお父様は誰よりも喜んでくれると思います。 偉そうなことを申し上げてすみません。私も今年の1月26日に父を亡くしました。あなたに申し上げているだけではなく、自分に言い聞かせていることでもあるのです。 お父様は間違いなく、あなたやあなたのお母様と過ごすことが出来たのを喜ばれていることでしょう。また、最高の家族を持てたと喜ばれていることでしょう。そうしてあなた方の笑顔が大好きだったことでしょう。
- saitasaia
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お母さんの悲しみが強く夜眠れないのであれば、お医者さんに相談して眠れる薬を出してもらうことも1つの方法だと思います。かかりつけの先生がいない場合は、心療内科や精神科で相談されたらよいでしょう。悲しみを乗り越えることが長引くと病気を起こします。二人で共有していた場所に住み続け、今は一人でいるわけですから常に思い出しつらいことでしょう。 本当に亡くなる前も急激な変化があり、なくなった後もゆっくり悲しんでいる暇もなく大変のことだったとお察しします。 お母さんのそばにいられないことで、申し訳ないという思いがあるのですね。生活があるのですから同居などできないことはあります。したくてもできないのですから、これはしょうがないことです。経済的な援助は力になっていると思いますよ。 実家から足が遠のいてしまうなど無理しても行けないときは、無理しないことです。実家に帰ることで、悲しみが繰り返されてつらいんですよね。 お母さんのことを思う気持ちはわかりますが、つらさの程度を比べる必要はありませんよ。あなたも十分傷ついているじゃないですか。確かにお母さんの妻としての悲しみと、あなたの娘としての悲しみは違うものです。 気持ちを整理していくのには、お父さんが死んでしまって私はどう感じているかということを言葉にすることで確認していくことができます。なくなってしまったことで自分はこんな思いがある。たとえば、私の子供を抱いてほしかったのに抱いてもらえないことが悲しい。あの時にもっとこうしてあげたかった。という今ではかなわないことや怒りや後悔や・・・何でも感じたことを言葉にするとよいと思います。直接お母さんと話すことだけでなく、手紙で娘の悲しみの気持ちを伝えることで、お母さんは自分の妻としての悲しみに浸っているところから母のとして娘に対する思いを呼び起こすことにもなると思います。 お互いを思いやって一緒に悲しむことも大事です。よく泣いてください。 思い出の場所や記念日などは特につらいですよね。 記念日は毎年めぐってきますから・・・ 自分は大丈夫と強がらないで、悲しんでください。強がりは悲しみを先送りしているだけですよ。その分乗り越えるのに時間がかかってしまします。人に話せないときは、独り言のようにでもいいですから、自分の傷ついた気持ちを言葉にしてください。 1年2年と悲しみが軽くならないのでは、専門家の力を借りる必要があります。 悲しんでいるときに笑いは不謹慎などと思わないでくださいね。悲しくても笑ったり楽しむことはできますよ。
お礼
saitasaia様 お返事を頂き2ヶ月がたちました。 お返事が遅くなり申し訳ありません。 あなたからのお返事を頂き、自分なりにゆっくり考え 泣いて 言葉に出して考えて参りました。 >なくなってしまったことで自分はこんな思いがある。たとえば、私の>子供を抱いてほしかったのに抱いてもらえないことが悲しい。あの時>にもっとこうしてあげたかった。という今ではかなわないことや怒り>や後悔 本当に saitasaia様のお返事は 私の気持ちをずばり言い当てていて 本当に感謝しながらも なかなか向ってお返事がかけませんでした。 2ヶ月たってしまいましたが 少しずつ 少しずつ 私は前に向っています。 本当にありがとう。 まだまだ不安定な所もありますが ゆっくりやっていきます。 ありがとうございました。
- ptyfsu
- ベストアンサー率14% (52/371)
>気持ちの持ち方おおしえいただければと思います。 つらくて当たり前。 当分泣いてたっていい。 親の死を泣けるのは幸せだ。 家族が泣いてくれなかったら親がかわいそう。 精一杯強がってください。 精一杯悲しんでください。 矛盾のうちに風化していきます。 あの時なぜ悲しめなかったのだろう、なぜ泣けなかったのだろうと後悔するのは切ないことですよ。
お礼
やさしい言葉をかけていただくと すぐに涙がでます。 お言葉にあまえて泣かせていただきます。 ありがとうございました。
お父さんの死でいろいろな事を体験したと思います。何時までも辛いと思わないで、早く成仏させて下さい。 それは子供がしっかりする事です。内容を読むと泣けてだめだ><;;70歳の小生が思うに、お父さんの立場や夫婦の努力は並大抵の事ではなかったと思います。 余計な事ですがお母さんが住みたい所に住ませて下さい。勿論扶養にするにはそれなりの条件があります。社会保険事務所等で相談してください。
お礼
ありがとうございます。 本当にいろいろなことを体験しました。 病人を抱える家族の生活 や 日本の保健医療システム 介護保険 葬儀一般のこと 相続関係 などなど 初めて経験することばかりでしたが 父が教えてくれたと思って頑張っていきたいと思います。 ありがとうございました。
- pastorale
- ベストアンサー率37% (62/165)
お辛いでしょうね。私も、義父も実父もスモーカーだったせいか肺癌と肺炎で、平均寿命にも届かず亡くしました。しょっちゅう病院から「具合が急変した」という電話が来てたので、未だに電話の音が嫌いです。 でも子供の究極の役割は、親を看取り葬式を出すことだと思います。逆でなかったことで一番の親孝行はなさったと思って、毎日の仕事を淡々とこなしていき、時間が悲しみを癒してくれるのを待つしかないと思います。一番辛いのはお母様ですから、できるだけ話を聞いてさしあげてください。 それから、ちょっと今のあなたにはまだ酷な言葉だと思いますが、父を亡くし、しばらくして友人の親が老いてきて様々な問題を抱えているのを見て、「父はいい死に方をしてくれたな」と思うようになりました。 1人は被害妄想で夜になると暴力を振るう痴呆で、どこの施設にも病院にもいられず、二人の娘が交代で徹夜して介護してます。 1人は寝たきりで心臓を動かしているだけの親のために、数百万の医療費を払い続け、家計がパンクしてます。 はっきり口には出せないけど、もう死しか救いがありません。下手すると子供の方が先に死にそうです。もし親が死んでも、後で思い出すのは尊厳を失った悲しい親の姿です。 娘が病院に勤めてましたが、親が死んで泣き崩れる子供を見ると「悲しめて良かったね」と思うそうです。そのくらい介護でぼろぼろになり、親が死んでも悲しむゆとりさえない子供が増えているのです。 お別れを覚悟する程度の闘病期間があり、尊厳をなくす前に亡くなったことは、父にとって幸せだったかも、と思います。 そう思えるようになるのに十年かかりましたから、まだしばらく辛いと思います。でもいつかは立ち直れます。悲しいときにはうんと悲しめばいい、それが人の苦しみを思いやれる人間になるには必要なのかもしれません。
お礼
pastorale様 ご経験に基づくアドバイス ありがとうございました。 時間が癒してくれるんですね。。 >そう思えるようになるのに十年かかりましたから、まだしばらく辛いと思います。でもいつかは立ち直れます。 十年ですね。そのぐらいの長い期間が必要と聞いて すこし気が楽になった気がします。 >父を亡くし、しばらくして友人の親が老いてきて様々な問題を抱えているのを見て、「父はいい死に方をしてくれたな」と思うようになりました。 確かに、介護問題を抱える方が本当にたくさんいて それにまつわる悲しいお話を見聞きします。 でも 子供や孫に囲まれて幸せだった時間も きっとあったに違いないから やっぱりそれも出来なかった父よりはいいよなあ なんて 思ってしまうのは私が老人介護の当事者じゃないからなんでしょうね。 今 介護問題になっているのって 私からみたら祖父母世代なんです。 喪中はがきのシーズン 皆さんからいただいたのは祖父。。祖母。。。 私のは父 こんなことにこだわって涙を流したりしていました。 やっぱり時間が必要なんですね。 ありがとうございました。
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お礼
psho1122様 ご自分もお辛い中 ありがとうございます。 お父様のご冥福と psho1122様が元気を取り戻す日が来ることを お祈り申し上げます。 >あなたやあなたのお母様のように、お父様の死を悼む方々に囲まれたお父様の人生はとても素晴らしいものだったと思います。お父様の素晴らしさを一番感じているのは、全世界であなたやお母様でしょう そうだといいですね。 私達は早く父に会いたいですが 父はまだ来るなといいそうなので もうしばらく頑張ります。 きっとpsho1122様のお父様も皆さんに見守られ 幸せだったとお察しいたします。 お互いゆっくりいきましょうか。 ありがとうございました。