- 締切済み
100万石や77万石に分家は含みますか
俗に「加賀百万石」とか「薩摩77万石」などと言いますが、この石高にはどの範囲までのものを含んで言うのでしょうか。 例えば今NHKでやっている篤姫のドラマで出てくる薩摩藩(鹿児島藩)ですが、支藩としておよそ3万石弱の佐土原藩があります。 また家中にも御一門4家(各1~2万石)を初め、当然多くの藩士を擁しています。 加賀藩にももちろん支藩もあるし、筆頭格の家老などは5万石もの所領を有しています。 そこで分からないのは、支藩はもちろん上級藩士は時に「○○領主」とか呼ばれることも多いのですが、これはあくまでも薩摩の77万石や、加賀の102万石に含める計算なのでしょうか。 それともどの範囲まではその藩の所領石高として計算し、どこまでは一般には含めないなどの基準があるのでしょうか。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
No3さんのご回答は大筋でその通りですが、補足させて頂きますと、 1) 関ヶ原の合戦以前は、前田利長が加賀国金沢城主として83.5万石、前田利政が加賀七尾城主として21.5万石、前田家計で105万石 2) 関ヶ原の合戦の後、西軍についた前田利政は除封。東軍についた前田利長は引き続き加賀国金沢城主、利政の旧領に加えて能登・越中で36万石の加増を受け、計119.5万石 3) 寛永16年、加賀藩主・前田光高が、利次に10万石(越中国百塚藩)、利治に7万石(加賀国大聖寺藩)をそれぞれ分知。加賀藩は102.5万石となる。前田家の合計の石高は変わらず。 百塚藩も大聖寺藩も、「将軍家の直臣である大名」という点では、加賀藩と変わりません。 加賀藩は江戸時代を通じて「加賀102万石」と称されましたが、上記の経緯から「加賀119万石」と称しても誤りではありません。「そうは称されなかった」だけです。 No2で「仙台藩62万5千石」と書きましたが、一関藩に3万石を分知しておりますので、「加賀102万石」と同様に表記するなら「仙台59万石」となります。これも「単にそうは呼ばれなかっただけ」です。 こうした情報は、角川書店から出ている「日本史辞典」の資料編に詳しく出ております。
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
加賀の場合, 支藩である富山と大聖寺を除いて 102万石となっています. 富山と大聖寺はそれぞれ 10万石.
お礼
ありがとうございます しかし全然質問に対する回答にはなってないと思うのですが。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
仙台藩(伊達家)の場合で説明します。 仙台藩の表高は約62万5千石。この中に、支藩として「一関藩田村家 3万石」を含みます。田村家は立派な大名(将軍家の直臣)ですが、その石高は伊達家の表高から分け与えたものだからです。こうした「自藩の領地を割いての分家設立」(分知といいます)は江戸時代を通じて多くの例があり「支藩が絶えたら、支藩の領地は本藩に戻される」ものでした。 伊達家には、正式な大名である田村家以外にも、万石以上の知行を有する重臣が何人かいました。但し、伊達家では藩内の知行の表示は戦国時代から引き続いて貫高表示ですので、伊達家の史料を見る際は気をつけてください。 なお、仙台藩の場合、表高は62万5千石ですが、内高は約100万石であったようです。直臣への知行地を合計すると表高の62万5千石を超えていたようですが、藩の運営には何も問題はありませんでした。 http://homepage3.nifty.com/ksatake/libinde.html を参照しますと、仙台藩の実高は「98万5千石」のようです。 一方、伊達家の分家でも、「宇和島藩(伊達家)10万石」は、仙台の伊達家が領地を割いて設立したものではなく、幕府から別途に与えられたものですので、仙台藩の表高62万5千石には含みません。
お礼
ありがとうございます。 申し訳ないですが、質問に対する回答がどうなってるのか分かりません。 >一方、伊達家の分家でも、「宇和島藩(伊達家)10万石」は、仙台の伊達家が領地を割いて設立したものではなく、幕府から別途に与えられたものですので、仙台藩の表高62万5千石には含みません。 ⇒幕府から別途与えられたもの以外はすべて62.5万石に含めるという意味でしょうか
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
将軍に対して 直臣か陪臣かによって変わるでしょう。 加賀藩の家老や薩摩藩の家老は陪臣です。 たとえば http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9E%A3%E6%96%B0%E7%94%B0%E8%97%A9 これの戸田家は直臣となります。 佐土原藩別藩 直臣・陪臣論争で有名なのは、御三家の付け家老です。 紀伊田辺藩 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E4%BC%8A%E7%94%B0%E8%BE%BA%E8%97%A9
お礼
ありがとうございました
補足
将軍に対し直接の主従関係のある、他藩主や旗本・御家人などが含まれないのは当然わかりますが、将軍家に対し陪臣にあたる中でどの範囲までをその藩の石高に含めて数えるのかがよくわかりません。
お礼
ご丁寧にありがとうございます しかし質問とは違う内容になってるんですが・・・