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論理的とは?
人はなぜ論理的に説明できないと納得できないのでしょうか? 本題は、「論理的には説明できるけど、それはどう考えても間違っている。」ということって身近にあるのでしょうか? アホなので、あまり難しいことは分かりませんが、よろしくおねがいします。
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- welovekobe
- ベストアンサー率42% (38/90)
>人はなぜ論理的に説明できないと納得できないのでしょうか? ということですが、論理的でなくても、結構、納得できてしまうことは あると思います。 気持ちがこもっていれば、論理的でなくても納得してしまうという ことはありますよね。例えば、心情的に牧師さんが「神は愛なり・・・」と 言われると、そうかもしれないって思えることがあります。 「論理的には説明できるけど、それはどう考えても間違っている。」 というようなこともありますよね。 人間の本性は「心情」ですので、論理的に説明されても、納得できないことは いくらでもありますよね。今回の拉致問題だってそうですし、 飲酒運転で事故を起こした加害者が、たとえ合法でも、軽い刑罰で 済んでしまうというのも納得できませんよね。 しかし、人がなぜ論理的な説明を望むかと言えば、 私は、人間を創造した神様が、論理的な思考をお持ちであられるので、 その子女として創造された人間も論理的思考を持っているのです。 と言います。 目的をもって創造された人間は、目的を指向して生きるようになっています。 目的を持つことは、イコール価値のある人生を生きようと願う人間の姿 そのものです。「目的」がなければ、「人の行為」に「意義」を見出せません よね。 ですから、目的を持って生きるように創造されている以上、その目的(理想)を 達成する為に「手段」という現実的な道筋を立てるために、どうしても論理的な 思考が必要なのだと思います・・・。 論理的思考は、全て、愛と理想と喜びの実現の為になければならないと思います。 その為の手段であります。「目的」にはなり得ません。 それでは、失礼します。
・極論すれば、物事の説明方法のうち、多くの人を納得させる説明方法を、「論理的」と称して、古来から定式化してきただけです。 現在「論理的」と考えられる説明方法が、多くの人を納得させるのは、人間の生物学的な認知構造に由来するのでしょう。 しかし、人間の認知構造には、この「論理的」なものに限らず、「直感的」なものもあります。 ・ですから、論理的な説明でなくても、納得する場合もあります。 たとえば、宗教家による上手い説法は、論理の飛躍を飛躍と感じさせず納得させます。 ・また、論理的に説明されても、納得できないこともあります。 たとえば、現代物理学は理論的に説明できますが、その説明を聞いたとしても、「それでも空間が曲がっているなんて納得できない」という人もいるでしょう。
お礼
すごく納得します。 分かりやすい回答どうも有難うございました。
- Dobatt
- ベストアンサー率29% (7/24)
NO.5です。すみません、岩波新書「詭弁の論理学」は正しくは中公新書「詭弁論理学」でした。訂正します。
- Dobatt
- ベストアンサー率29% (7/24)
まず人の行動が論理性を基盤としていることが考えられます。「昨日はあの森に木の実があった。今日もある確率は高い」と考え、今日の木の実の採集場所を決定する、といったことですね。で、木の実がなかった場合、「誰かが先にとって行ったのか?」などという推察がなされ、そこから思考は枝分かれします。「次はもっと朝早く来てみよう」とか「ここに似た森を探そう」とか「取っていったヤツを見つけてぶんどろう」とか。つまりもともと生命を維持するためには、原因の解明と対策には論理が必要なのです。 次に「論理的にはあってるけど」という例。先日、総理が「拉致問題がきちんと解明されてないということで私が席を蹴って帰ってきたら、何がどうなるというんだ」とコメントしていました。これは確かにそうなのですが、しかし論理の飛躍であり、いわゆる「問題のすり替え」にあたります。論点をずらして相手を煙に巻くわけです。さらに感情的問題も含まれていますがそれは別問題として、こうしたものが「理屈は通っているけど、なんか納得行かない」ということです。ここらへんは岩波新書の「詭弁の論理学」という本を参考になさると良いでしょう。
お礼
なるほど、「人の行動が論理性を基盤としている」これは参考になりました。「詭弁の論理学」読んでみようと思います。 どうも有難うございました。
- i536
- ベストアンサー率32% (75/231)
ある説明が論理的でないということは、 その説明の中に矛盾を含んでいると考えてよいと思います。 次がもっとも大切なことです。 すなわち、矛盾を含んでいる説明からは、 どんな命題でも主張できることが論理的に証明できます。 したがって、論理的でない説明はひとを納得させることができません (どんなことでも言えますから)。 したがって、ひとを納得させるには論理的であることが必要です。 論理的とは公理を出発点として、矛盾が発生しないように公理から いろいろな命題を導き出す方法のことです。 >「論理的には説明できるけど、それはどう考えても間違っている。」ということって身近にあるのでしょうか? 公理自身が間違っていれば、いくら論理的に導き出した結果も間違いです。 公理自身に矛盾が含まれていれば、すべてのことが論理的に導き出すことができますから、当然 間違っていることも論理的に導き出せます。 論理的にある結論を導き出すには、演繹の元となる公理自身に矛盾が含まれていないことを 十分検討する必要があります。
お礼
なるほど、納得します。 確かに矛盾を含んだ説明ってたくさんありますね。 どうも、ありがとうございました。
- acacia7
- ベストアンサー率26% (381/1447)
論理的とは徹底的に愚直なこと。 風が吹いたからと言って、桶屋が儲かるではなく、砂が舞うと考えること。 「自分の思想を完璧に人に伝達するなんていうことは不可能である。」ということ。 でも、心情として了解し得ないでしょう?・・
お礼
確かにそうですね。 どうも有難うございました。
- kee
- ベストアンサー率13% (63/457)
論理的であるとは、命題と答えが正しくつながっていることです。 算数でいえば、 4+6=10であれば、誰でもわかる式ですが、 1+1=11とかなんとか、いって、それの理由が文字列の1と1が連結しているから 11だよと勝手に解釈をつけたってつながりませんよね。 話す相手がわかるような理屈が論理的であり、そうでないと納得しにくいですよね。
- yuukk29
- ベストアンサー率15% (16/104)
論理的に説明出来るけど、絶対間違ってる(?)で思い出すのが「ゼノンのパラドックス」 間違ってると分かってるのに考えてしまう。不思議だ~。
お礼
確かになんで真剣に考えようとしてしまうのでしょう? どうも有難うございました。
お礼
確かに、心情というのは大きな説得力になります。 どうも有難うございました。