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もし、右利きと左利きが半々なら

人々の意識には、なにか「スタンダード」という感覚が植わっていると思われます。そのひとつの例として、右利きの問題があるように思います。スタンダードだからナイフとフォークはこう置くとか、自動券売機の作りはどうとか、世の中の流れにかなり影響しています。 もし、左利きが半分いたらどうだろうか? 製品の「スタンダード」というものがなくなり、券売機もなにも「半々」のつくりになる。 で、一番大きな問題と思うのが、人々の意識です。「スタンダード」というものはこの問題に関してはない。右で握手するかどうか、聞かないとわからないとか、風俗習慣に影響が出て、より煩雑で気遣いをする社会になると思いますが、大事なのは、「あいつは俺と違う」ということが日常的に起こる、もしくは、「俺もあいつもスタンダードじゃない」 という感覚です。より相対思考に近づけるのではないかと思います。利点があるように思うんですけども、どうなんでしょうか。

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  • at9_am
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回答No.2

ほとんど、歴史に依存しているように思えるのは私だけだろうか。 例えば日本語を横書きにするときは現在左から右へ書いているが、元々は右から左へ書いていた。縦書きにするときも右から左である。 現在の左から右へは文字の構造からの必然(左上から右下へ向けて書く)、あるいは英語の影響といわれているが、それ以前の、右から左というのは、もし右利きのためにこう決まったとしたら、随分おかしな話になる。なにしろ、自分の書いた文字の上に手をかざして文字を書くことになるのだから、その下が見えない上、墨などが手に付いたりする。実際、表彰状などを書く場合は、左から右へ書く。つまり え あ ら ん 表 い た 彰   は 状 という表彰状を書く際には、「えらい」「あんたは」と書いて「表彰状」と書く。 ナイフとフォークも同じ事だ。なぜ右手がナイフで左手がフォークなのか。口に持っていくのはフォークなのだから、逆でも良かったのではないか。 尤も、左利きの人の不便さというものは実際にあり、例えばカメラなんかはシャッターが右側についていて左利きの人には大変不便だそうで、ある企業が左利き用というカメラを発売したところ、あっという間に売り切れたそうです。 > もし、左利きが半分いたらどうだろうか? おそらくはエスカレーターと同じ状態になると思います。東京は左側が停止、大阪は右側が停止、という具合に、全体を見れば半々になるかも知れませんが、個々の場所・地域に限って話を考えると、一定のルールが作られるものと考えられます。地方ごとのスタンダードが生まれる、というわけです。 これは、日本の道路では左側通行だがアメリカでは右側通行、というのと同じでしょう。そして、右側・左側通行のどちらかが選択された結果、それに適した自動車(日本では右ハンドル)が開発される、ということでしょう。 > 大事なのは、「あいつは俺と違う」ということが日常的に起こる、もしくは、「俺もあいつもスタンダードじゃない」という感覚 人間が鋳物のように全く同じであれば別でしょうが、利き腕が同じであっても我々は、また別の点を取り出してきては「あいつと俺は違う」と思うでしょう。肉体的に違いがなければ、性格、育ち、立場、なんでも構いません。そういう意味で、利き手が半々になっても、さして違いは生じないと思われます。 勿論、自分=スタンダードと考える人は少なくなく、「あなたの常識は世界の非常識」という諺?もあるくらいです。これを是正すること(これを相対思考と呼ぶかは別として)には、大きな利点があると思いますよ。

garcon2000
質問者

お礼

歴史的背景もありますよね。それは必ずしも、右左利きの問題でなく、宗教的であったり、何か別の理由からかもしれないというのはあります。表彰状もいわれてみるとそうですよね。 私はたとえば、反対周りの野球などが並存するのではないかと思います。その類推で、ずいぶんと左右のバリエーションが一般的になる。それがかなり可視的なものが多いので、人々の潜在意識になにか訴えかけるのではないかと期待するのです。もちろんこれは宗教的慣習などとは別の実用的発展方法です。 おっしゃるように、別の意味でスタンダード思考は健在でしょうが、しかし、目に見える製品のほとんどに左右対称バージョンが登場するということ、何かそこに違いを生み出すパワーがあるのではないかと。

その他の回答 (12)

回答No.3

「スタンダード」というのは「マジョリティ」という力によって作り上げられていると思います。 これが作り上げられると「スタンダード」という力に「マジョリティ」が守られる事になると思います。 もし力が均衡していて「スタンダード」がなかったら気遣いの社会になるか?ですが 例えば性別を考えて見ましょう。男と女は右利き左利きのような大きな差は無くスタンダードはないと思いますが >「あいつは俺と違う」ということが日常的に起こる、もしくは、「俺もあいつもスタンダードじゃない」 >という感覚です。より相対思考に近づけるのではないかと思います。 になっているでしょうか?その人に何かしらの好意がなければスタンダードが無いだけに対立の関係になる可能性が大きいと思います。 つまり右利き派と左利き派の対立の可能性が大きくなると思うのです。 私は元来右利きですが部分的に両利きなので右利きと左利きの感覚が分かります。 右利きの感覚というのはスタンダードなので当たり前という感覚で左利きに気遣う必要はありません。 しかし左利きの感覚は右利き社会の中で生きていく為には気遣いが必要です。 例えば食事をする時でも座る場所によって腕がぶつかるので誰よりも先に左に誰も居ない角のポジションに座る必要があります。 これが右利きと左利きが均衡していたら気遣いはなくなり派閥の争いになると思います。 それが起こる前に教育で自分と違う価値観が存在し、尊重しあわなければならない事を学んでいればいいのですが…。

garcon2000
質問者

お礼

マジョリティーとスタンダードの癒着ですね。そういうようなこともありえると思います。もし、左右対称が実現しても、別の意識でマイノリティマジョリティが形成されるのは同意です。しかし、可視的な製品があるいは慣習動きスポーツなどが左右対称かされるというのは、なにか潜在意識に違うものを植えつけるのではないかと。それがどうかと思ったしだいです。左利きの人が味わう経験が特殊であるということは、実に害悪だると思うんですが。

  • harepanda
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回答No.1

マイクロソフトの創設者であるビル・ゲイツは左利きです。今からでも遅くはないので、左利き用のマウスを開発してもらいたいものです。 左利きの人のためのサービスを始めるのは、非常に意義のあることだと思います。イスラムのように、左は不浄の手と決め付けている国では、左利きの人は、非常に生きづらいでしょう。 私の父も左利きですが、左右の差にとらわれず、相対思考に近づいていこうという考え方には、全面的に同意します。

garcon2000
質問者

お礼

私は右利きですが、マウスは左のほうが便利なのでそうしてますよ。確か設定でクリック操作も変化できると思います。私はそのまま右用のでなれてますけど。 左用のものが商業原理で淘汰されてしまうのは、人の思考方にも問題を残すと思いました。

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