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子どもの左利きの矯正と個性について

はじめまして、こんにちは。 質問したい事は左利きの矯正についてです。 僕は左利きの学生です。 日常生活なら多少不便でもそんなに困る事は無いのですが、横書きをしたり(特に数学の問題を解く場面)など勉強する時には不便だなと感じることが多いです。 テストとかどうにかならないのか!と思ったこともあります(解答欄右なので見にくい、あれで時間同じと言うのはどうかな・・・と) 学校での習字もやりにくいですよね。(小学校時代も右で書くように強制はされませんでしたが勧められました) 母親も左利きで箸とペンは右に矯正されました。その事について母親に尋ねてみた所、矯正されたという記憶は無いそうで、これといって後遺症の様な物はないみたいです。 ですが、僕が左利きである事が分かっても直そうとはしませんでした。両親も様々な所に相談したが「今は直す時代じゃないし、悪影響もあるからするべきでない」と言う様なアドバイスを受けたり、母親が実際に左利きでもそれ程不便でないという事で直されずに自分は今まで左での生活を送ってきました。 幸い左利きを周囲に悪いと言われた記憶も無く、祖母(母の母)は母親に箸とペンは右手を使わせたのは学校で勧められたからだそうで、左利きを悪いとは一回も言ったことがありません。祖父(右利き)は「左利きをいじるのは脳に影響があるから良くない」という考えでむしろ左利き矯正には反対です。なので幼少期に周りに何か言われてストレスを感じることが無かったのは幸いだったと思います。 親戚を見回しても左利きは母親と僕くらいしかいないはずです。 しかし、実用的に不便な事には変わりません。 「横書きとかやりにくい事を直すかどうか考える時に考えなかったのか」と親に聞いたら「気がつかなかった」と言ってました。矯正をしない方がいいという事に偏って、不便な面をあんまり考えなかったようなのです。 母親も左利きであっても書くのは右です。はさみとか裁縫とかそういう類の事を指して「左でも不便でない」と母親は言ったのでしょうが、自分とは不便を感じる状況が違います。 正直そういうのは勘弁してほしいです。「子どもの為には直さない方がいい」とか考えたんでしょうが、自分から言わせて貰えば勝手に決め付けないで欲しかったと思います。確かに僕は本来左利きで左手を使う方が自然である事は確かですが、別に右手を使おうとして小さい時から使っていれば今変えるよりもずっと楽に出来てたはずです。「左利きだけど箸・ペンは右」の方は大勢いらっしゃるはずです。母親も現にそうです。もし自分で選ぶことが出来たら少なくともペンは右を選んでいると思います。(箸は後からでもどうにかなりますが、ペンは今やっていますがキツいです、実用的なレベルには遠いです) 矯正しないという判断は正直自分の両親の自己満足にも思えます。 子どもの個性を尊重にする事も大事だと思うのですが、そのせいで不便な思いをする事もちゃんと考えて欲しかったと思います。個性を重視することがいつも大事なんでしょうか? もう少し色々な物が左利きに優しいとありがたいですが、少数派なんである程度は仕方ないですし、僕自身が合わせて暮らしていく努力も必要だと考えています。 矯正の影響でどもりになった友人もいますし、様々な問題(左右の混乱、トラウマ)が起こる事があるのも承知していますが、別に右手を使わせるからと言って必ずしも問題が生じるとも限らないと思います。問題なく普通に暮らしている人も多いかと思います。 一概に左のままでいいと言う最近の風潮はどうなのかな~と考えさせられました。 (今の同級生でも矯正された人はいますよ) もし右手を使うようにさせられていたらどこか問題が出ることもありえますし、人生が変わっていたかもしれないから正直されない方が良かったかも・・・と考えられなくないのですが、なんでもかんでも左を使ってる訳じゃないですし、逆に右でないと出来ないと言うような事もあるので、「書く事もやれば問題なくできたんだろうな」と思うところはあります。 この質問文についてどう思われますか? 様々な方から解答を頂けるとありがたいですし、助かります。 最後に自分の「利き~」について書いておきます 包丁、針など→左 ボールを投げる、野球の打席、テニス、はさみ、マウスなど→右 箸→左だったが練習して右でもそれなりに使える(不自然ではないそうです) ペン→左だが右で書く練習中(主に横書きで) フォーク・ナイフは右利きの方と同じ持ち方です バドミントン→下手ですが両手でいけます 利き足→右 利き目→右 (矯正という言葉が不適切である事や、利き手そのものを変える事と右手を使えるようにする事は別という事は認識しています、表現が良くない部分もあると思いますが許してください)

みんなの回答

回答No.2

遠視治療とかの年齢制限があるものならともかく、 利き手矯正なんてそれこそ死ぬまでいつまででもできるんだから、 本人が不便だなーと思ったらその時やればいい。 強要されなきゃやらないというならそれは「必要ない」ってこと。 野球やってた身内は打率上げるために自分で練習して左に矯正したよ。 そういうものでしょ。 君の件に限定するなら、 文句を言いつつ自分で矯正する気はないようだから 要するに君の人生に利き手矯正は必要ないということ。 よってご両親の判断は正しかったと言えます。

  • kanau122
  • ベストアンサー率39% (839/2148)
回答No.1

正直、いまさらそのことについて親に恨みつらみをいって何か解決するのだろうか?という印象です。 私も二児の母です。左利きの体験はありませんが、色んなところで他の子との違いを感じる経験はあります。 もちろん将来のことを考えることも大切です。 でも、お母さんが矯正の記憶がないのはお母さんのケースであって、あなたが懸念しているように、もし矯正していたとして、それがストレスになって、二次障害に繋がらなかったという保証はどこにもありませんよね。 親の自己満足、というのは言いすぎではないでしょうか。 親になったことがないからわからないのは仕方ありませんが、親は常々自分の子供に一番良かれと思って考えるものです。 そして、ご両親にとっても、育児は手探りだったものであり、何が一番子供の将来にとっていいかなんてのはその子が成長するまで親御さん自身にもお子さんにも、誰にもわからないんです。 現にご両親はさまざまなところへ相談にいったのですよね? それで色んな人のアドバイスや専門家などの体験談を受け、じゃあこれがあなたにとって良かれ・・・と思って、それを選択したのでしょう。 それを、あなたが大きくなって不便を感じたから親の選択は間違っていたってのはどうなのかと思います。 実際にもし、小さい頃に右に直されていたと過程して、 上手く治りきらなかった→字が人より下手だから直さないでくれればよかったのに 矯正された記憶が残る→大変だった、ストレスだった、今は左利きの人なんて山ほどいるんだから個性を尊重してくれれば良かったのに こうならないと言い切れますか?言い切れないんじゃないでしょうか? 今の不満は今の状態だからあるものでしかないということです。 違う状況で育っていたら、あなたのような性格ですと、今度は別の不便に焦点をあてているだけにしか思えないです。 勝手にきめつけないでほしかった、といいますが、じゃあ意思表示もできない赤ちゃんに対して、 何をベストと親は判断すれば良いのですか?親は神様ではありません。 左も右も使えるようにしておいてくれれば完璧だったのですか? 将来この選択をしたからどうなるかなんて、親にもわかりません。 その中で、子供のためにどうするのがいいのかなと、不安ながらも模索しながら育児していくものなんです。 それに、人はそういうことに限らず全てにおいて何かしらの不便を全く感じずに人生を生きていくことなんてできません。 あなたも親になればわかりますよ。

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