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観念論と実在論の論争について
観念論と実在論の論争についてレポートを書かなければいけないのですが、 なかなか良い資料も見つからず、何を書けばいいのかもわからず困っています。 この論争についてどなたか教えてください。
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>観念論と実在論の論争についてレポートを書かなければいけないのですが そんな論争についてのレポートと言われても,見当も付かないです。ヒントというか、こういう当たりを調べると材料が見つかるだろうというキーを述べますから、検索して材料を集めてください。 その前に、簡単に説明します。「実在論」と「観念論」というのは、参考URLにあるように、認識論上の立場です。観念論は、ドイツ観念論哲学によって、その内容がきわめて明確な、また洗練されたものになっています。この観念論哲学との比較において、実在論という認識論上の立場が定位できるとも言えます。 ドイツ観念論哲学のなかでは、カントの主観的観念論がもっとも代表的で、カントは「物自体 Ding an sich」は、想定できるが認識できないとしました。つまり、客観的実在は、主観の認識にとって超越的で、すべての認識は、主観認識で、客観は認識できないのです。 従って、実在世界が本当はどうなっているのか、主観=我々には、ついに分からないということになります。しかし、分からないでは、世界がどうなっているのかまったく分からず、世界はこうだ、と考えて行動することも判断することも何もできなくなります。ところが、実際は、世界の客観的実在を、それぞれの主観があたかも一致して把握しているように、社会のなかでのできごとは、話が合って進行しています。 これを、統整的理念と呼び、「あたかも世界はかのごとくに」人は行動して、それで、みかけ上うまく行っているように見えるし、うまく行くのです。これは統整的理念があるからであるします。 カントなどの観念論を批判し、否定するのは、もっとも積極的なのは、マルクス主義唯物論でしょう。あるいは弁証法的唯物論とも言えます。この哲学は、実在論の立場に立っており、その立場に立ち、かつ唯物論でない哲学をすべて「観念論」と呼んで批判し否定しますが、これは行きすぎです。 カントの主観的観念論では、世界についての知識は経験を通じて得られるものと、先天的に持っている知識の二つに起源があるのですが、経験を通じて得た世界についての知識も、物自体、つまり実在の真のありよう、客観を把握できていないとします。それはあくまで主観認識の限界のなかにあるのです。 カントの観念論では、経験は、外部の超越実在との主観の作用によって起こるが、主観のグラスというか、認識装置を通過すると、それは主観のカテゴリー枠で規定された何かになってしまい、元の客観実在の事態は、経験の原因ではあっても、主観の経験内容は、客観実在のありようを、忠実にコピーしているのではないのです。 それに対し、弁証法的唯物論の認識論では、「模写説」というものが考えられます。これは素朴単純模写説と、もっと込み入った模写説がありますが、単純模写説は、先に述べた経験の主観的把握が、経験というグラス(色眼鏡)を通じて歪曲あるいは枠規定されているのではなく、我々の感覚認識は、例えば、外的実在のありようの「反射」「模写」だと考えるのです。 観念論では、見ているものが、必ずしもそのまま実在のありようではないのです。しかし、模写説の実在論では、見ているものが、そのまま実在なのです。 観念論は極論すると、世界の真のありようは不可知だとなります。経験も、実在の客観的ありようについて、正しい知識をもたらさないのです。それに対し実在論は、客観実在は認識可能であり、感覚経験によって実在は把握でき、更に、思考の推論などで、実在の姿は認識可能だとするのです。 素朴には、道に石が落ちていれば、石は疑いなく実在するのが実在論で、それは主観的経験であり認識で、見えているものが石かどうか分からないし、石が本当に、そこにあるのかも分からない。分かっているのは、主観の認識に石が映じているのだとするのが観念論です。 中世哲学の普遍論争を考えるときは、言葉が逆になっていることに注意すべきでしょう。普遍論争の「唯名論」と「実念論または実在論」は、後者はむしろ、観念論であり、前者が実在論なのです。 唯名論は、「概念」について、概念とは実在ではなく、個物の名であり、実在するのは個物であるとします。それに対し、実念論は、概念こそ実在で、個物は仮象または概念実在の合成的な一時的現れであるとします。「普遍論争」というのは、中世哲学で「概念」というと、「普遍概念」のことになるからで、それは、イデアーのようなものなのです。 「経験 認識 実在 模写説」というような言葉をキーワードにすると、何か資料が出てくるでしょう。また、論争は、弁証法的唯物論の立場が、カント的観念論やプラトン的観念論を批判したものが、もっとも有名だとも言えますから、唯物論もキーワードにすれば、よいでしょう。 >哲学概要 >http://www4.plala.or.jp/s-tatu/phil01.html
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- frogg
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中世の神学論争などは、いかがでしょう。 唯名論と唯実論。 または、パスカルの「パンセ」後半にも、同じ傾向の論争があったと思います。
お礼
回答有難うございます。唯名論と唯実論にまで手を伸ばすとますます混乱しそうなのでそのあたりはいずれ時間のある時に調べようと思います。
お礼
回答有難うございます。 与えてくださったキーワードが、資料を見つけるのに大変役立ちました。