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埋蔵金伝説、掘ったらほんとに出てきたことはあったのか

 四国の剣山にソロモンの財宝が埋まっているという話があって、何十年も掘り続けた人がいたそうです。その他、埋蔵金伝説は徳川埋蔵金などイッパイありますが、伝説に基づいて掘ったら、実際にお宝が出てきた例はあったのでしょうか。  シュリーマンのトロイアの発掘以外に、伝説どおりに出てきた例は知りません。実際に掘り当てたという面白い話があれば教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nekoirazu
  • ベストアンサー率65% (23/35)
回答No.2

残念ながら…自分は近代日本(大正、昭和と)の新聞雑誌を10年近くかけて読み漁った事がありますが…埋蔵金を探していた人が見事見つけたという話は記事で読んだ事がありません。 工事現場で小判が発掘された、という話は結構あります。 でもこれは、宝探しをしていて見つけた訳じゃなくて、偶然出てきた、という話なので。 あとは埋蔵金にまつわる詐欺話は記事でよく読みました。 昭和8年には赤城山埋蔵金発掘ファンド詐欺事件があり、赤城山の財宝ってこんな昔から有名だったのか、って話ですが。   そうそう、出典は忘れたのですが…愛知の知多の方だったと思います。昭和40年代だったか50年代だったか、埋蔵金伝説のある海辺の町で、定期的に江戸時代の金貨を少額ずつ換金に来る老人がいて、「きっと埋蔵金をひそかに掘り当てたに違いない」と噂になった事がある、という本を20年以上昔に読んだ事があります。 よく考えれば、財宝を1人で発見したら、マスコミに公表する訳もなく、黙っていて少額ずつ掘り出して目立たないように換金するよなあ、とその話がやけにリアルに思えて、いまだに覚えています。

noname#49020
質問者

お礼

 見事見つけたのはない・・・やっぱり、そうですか。  定期的に江戸時代の金貨を少額ずつ換金に来る老人・・・この話、おもしろいですねえ。こっそり掘り当てたのなら、私もそうします。  しかし、埋蔵金を真剣に追いかけている人の話はものすごいですね。よくもまあ、あんなに熱心になれるものかと。

その他の回答 (4)

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.5

 No.4ですが、私も当初無いと思っていたのですが、考えを改めたので再度投稿します。  ツタンカーメンの王墓の発見は、質問者さんの条件に合致してませんか?  発見された副葬品は200兆円以上で、ヒエログリフなどから王墓の存在は推測されてましたし、たくさんの方が王家の谷を捜索していました。

noname#49020
質問者

お礼

 再度のご回答ありがとうございます。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.4

 埋まっている訳ではないのですが、難破した船の伝説を信じて探し回った結果として、財宝を見つけたという事例はチョコチョコ有るみたいですね。 スペイン帝国の船『アトーチャ号』1000億円 http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20040111/f1853.html 数百枚の金貨や計17トンに上る50万枚の銀貨 http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070519008.html  まあ、埋蔵金は見つからない様に、やっている訳ですけど、船の場合は、事故を起こした場合に探せる様に、できる限り記録してますから…。

noname#49020
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。沈没船の場合はいろいろあったようですね。これからもあるでしょう。

  • outerlimit
  • ベストアンサー率26% (993/3718)
回答No.3

日本の埋蔵金伝説は 豊臣家滅亡時と徳川幕府解体時です 希望的観測として、埋蔵金に相当する資産があったはずが元ですが 財務経理の造詣の深い方が検証すると、そのような財宝があった可能性はほとんど無いとのことです 狙った埋蔵金が発見された公表例は皆無でしょう

noname#49020
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#58790
noname#58790
回答No.1

大きく見れば、 バベルの塔とトロイの街は伝説通りに存在しました。 島の百姓が和国王の金印を田んぼから掘り当てた事があります。 埋蔵金の方ですが、 工事で地ならし中にパワーショベルで金貨が100枚程見つかった事が1件。 最近では、 江戸の豪商跡地に工事に入って金銀数十枚を見つけた事もあります。 いずれも江戸の豪商が絡んでいる事に注目しましょう。 江戸時代の小判は、 慶長小判は金の含有率が高く、改鋳(新小判と交換)に応じずタンス預金されていました。 その為、 現在でも多く残っており、金の含有率の低い小判は逆に回収され、 現在の価値は、金の少ない小判の方が価値が大きくなっています。 金が少なく、価値も認められられないのでインフレが起き、幕府は慌てて含有率を元に戻します。 また、幕末の小判は、含有率も大きさも小さく、銀の重さで取引される海外の方式で崩壊します。 知る所では、豪商が最も可能性が高く、徳川埋蔵金や、武田が諏訪湖に埋蔵したと言う説は、眉唾です。 (戦費方が必要で、債務の方が大きい。) 明治政府も、新円、兌換円、不換円と発行し、 初期の20円金貨などは価値が高いらしいです。 自分と見比べ、旧1万円札を何枚埋蔵出来るのか? 誰が貯蔵できるのか? 政府と見比べ、どの国が最も裕福なのか? こう考えれば良いと思います。 ちなみに、東北藤原氏は、多くの金を産し、多額の金と引き換えに経典 を中国から輸入したとされています。 常陸の国の佐竹家では、隠し金山で徳川幕府と一戦構える準備を急いでいました。(秋田に改易) この時、 美人だけを秋田に連れて行ったと言うのは俗説です。 遺伝子的に、秋田美人はロシア系の遺伝子が薄く残っているそうです。 根拠がしっかりしている所を狙いましょうね。^^

noname#49020
質問者

お礼

>根拠がしっかりしている所を狙いましょうね。^^ ・・・根拠がしっかりしていても、掘る気はありません。^^ >遺伝子的に、秋田美人はロシア系の遺伝子が薄く残っているそうです。 ・・・へーえ、そうですか。ロシヤ人がシベリアへやって来たのは、そんなに昔のことではないんですが、もっと大昔に何かあったんでしょうかねえ。  一山当てるなら、海の底の方がいいかもしれません。貝殻のくっついた古い陶器は珍重され、いい値がついているそうです。  ありがとうございました。

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