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明治以前の日本に芸術の概念がありましたか?
芸術という言葉は明治になってから作られたものだと思います。 それ以前には芸術という概念がなかったのでしょうか? あったと思いますが、 「写楽の絵は芸術的だ」「運慶の像はまさに芸術だ」 とかいう会話をするときには、どのように表現したのでしょうか? よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
確かに、「浮世絵」は今で言うところの「漫画」のような扱いだったかも知れません。 芸術だと思う人もいれば、そうではないと思う人もいる・・・。 仏像も信仰の対象であって芸術ではなかったかも知れません。 しかし、「襖絵」や「屏風」はどうでしょう? 狩野永徳や長谷川等伯は芸術ではなかったのでしょうか? 枯山水のお庭は?名器と呼ばれた戦国時代の「茶入れ」は? 茶道では、お茶をいただいく時に、「器を観賞する」という行為をしますが、それは芸術として見ているという事ではないでしょうか?
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確かに質問者様のおっしゃる事も一理ありますね。 日本の場合、立った一言、「美」美しいと言う表現です。 侘び寂びも美意識のひとつです。 食に関する蕎麦湯なども良い例でしょう。 仏教芸術にしろ、日本画、水墨画にしろ、 現代ではこと細かに分析され、研究されていますが、 やはり、流派による規制や画風がありますね。 アメリカや西洋風に、独創的な画風が取り入れられるのは大正以降だと思います。 雅(みやび) 雅やか(上品で美しい) いなせ など、現代では使われない言葉ですね。 ですから、感覚や価値観は大きく違うと推測されます。 ブランドで言えば、御用達です。 像や細工に関しても、作者と言うブランドが大きいです。 当時の考えでは、何か目標に到達する事を良しとしたのではないでしょうか? 奥義を極める。 こう言った所ではないでしょうか? (支離滅裂になりますが。^^;)
- stkin1164
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本筋から離れた話で恐縮ですが、当時の人々が写楽を芸術(もしくはそれに相当するもの)と見なしていたかはかなり怪しいと思うのです。 浮世絵自体が元々手軽な庶民の娯楽として発生したものですし、写楽の役者絵はデフォルメが過ぎて人気が出なかったという話も聞きます。 一度見て満足したら物を包む際の包装紙などにされていたのではないでしょうか。
- tanuki4u
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写楽に関してはあったかもしれませんが 運慶に関してはないと思います。 理由:時代が違う 現代的な意味での、芸術評価とは、「作者」と「作品」が必要です。 運慶作の像をその当時(鎌倉期)の人間が見た場合発する言葉は 「ありがたや ありがたや」 でしょう。仏教に対する崇拝の言葉です。 この言葉には、作品性は存在しません。運慶が作ったから(作者の存在)という理由付けでの評価が存在しないので、芸術あるいはそれに近い概念での「像」評価はありません。
- komes
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今日でいう芸術という言葉はなかったかも知れませんが、優れたものを鑑賞し、評価する行為があればこそ色々な美術、芸術が花開き永続しています。 会話の時、ただうなるだけでも良いし、ほめ言葉には困らないでしょう。
- gatt_mk
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書は芸術ではないですか? 書は明治以前の遙か昔の時代からありました。 陶磁器などの焼物は芸術ではないですか? 単に器としての利用価値より、その趣や絵柄などに多くの人が価値を見いだしていたと思いますが。 日本には古くから芸術を理解する文化があったと思います。
- kyoko_san
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回答ではなくて申し訳ないのですが・・・ 芸術という言葉がなかっただけで、芸術という概念はあったと思います。 写楽の絵はすばらしい!趣がある! 運慶は迫力がある などとかで表現していたのかも・・・