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木像の流線形と目の玉
私は絵や彫刻には全くの素人ですが、国立東京博物館の運慶、快慶展を見てきました。そこでお尋ねしたいのですが、素人であっても、その彫刻の美しさには感動したのですが、頬やアゴをはじめ、着物の袖などの流線形はどのようにして造ったのでしょうか?素人考えですが、おそらく、当時には紙ヤスリのようなものは無かったと思うので、不思議に思いました。それと、あの目の玉は、像が出来上がってから、入れたのでしょうか?
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>着物の袖などの流線形はどのようにして造ったのでしょうか?素人考えですが、おそらく、当時には紙ヤスリのようなものは無かったと思うので、不思議に思いました。 鋭利な刃物で少しづつ削っていけば滑らかな表面になります。 但し相当の熟練が必要です。 現在でも古い仏像などを修復をする際に使われています。 >あの目の玉は、像が出来上がってから、入れたのでしょうか? 玉眼(ぎょくがん)と呼ばれる技法です。 頭部の中は空洞になっています。 目の位置に穴を空けて、内側から水晶を削って磨いたものをはめ込みます。 参考 玉眼 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/玉眼 抜粋 寄木造の彫像は、頭部も内刳りが行われて空洞になっている。そこで目の部分に穴を開け、内側からレンズ状に目よりやや大き目の薄く磨いた水晶を当てて、木屎(こくそ)で止める。 裏から水晶に直接、瞳や目尻・隈、あるいは毛細血管を描き、真綿または紙をあてて白眼を表す。 最後にこれを木片で押さえて、木屎漆(こくそうるし)や竹釘で留めて完成する。 玉眼制作の前提条件として像内が空洞になっている必要があり、内刳や寄木造といった日本の木造仏像彫刻の発展が、玉眼という技法を生み出すきっかけになったといえる。 鎌倉初期の造像銘には像全体を制作した仏師と別に、玉眼制作者の銘が記された例がある。 これは、玉眼が像の印象を大きく左右する重要な要素で、水晶の加工に高い技術が必要なことから、玉眼制作を専門とした仏師がいた証左といえる。 蛇足 木材の表面を仕上げる道具として現在は鉋が使われていますが、現在のものは江戸時代に作られたものにヨーロッパのデザインを取り入れたものです。 目的(完成品の形状)に応じていろいろな種類のものがあります。 熟練した職人の場合はオリジナルなものを別注で作らせて使っています。 ご覧になられた運慶の時代には現在のようなデザインの鉋はありませんでした。槍鉋(やりかんな)と呼ばれるものや釿(ちょうな)と呼ばれるものが使われていました。 槍鉋やの釿(ちょうな)の原型は石器時代からありました。 参考 鉋 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/鉋 釿 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/釿
お礼
ああ、あの槍鉋ですか。確か、法隆寺の西岡棟梁が文献で復活させたという鉋ですね。なるほど。あれで、少しずつ木を削っていくわけですか。それにしても、かなりの技量が必要でしょうね。よく、あれだけの柔らかさを木で表現できたな、と感心することしきりでした。それと、目が重要というのは、本当に見ていて思いました。まるで、今、話しかけてきそうな雰囲気を醸し出していました。やはり、それだけの作業を必要とするんですね。納得しました。参考になりました。ありがとうございました。