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乱歩の『二銭銅貨』の結末
私は文学作品などはほとんど読んだことがないのですが、先日あることがきっかけで、江戸川乱歩さんの『二銭銅貨』を読む機会がありました。 しかし、一番最後の段落の、「私」が読者に語りかけている部分の意味が分かりません・・ 「あの品を私にくれた或る人」とはいったい誰なのでしょうか?登場人物は少ないので、誰のことを指しているのかは限られてくるのですが、再度読み返しても理解できませんでした。 お分かりになった方、解説をお願いします。
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そうですね……、書いてある通りではないでしょうか。 「私はここに詳しい説明を避け」たい、誰であるかを特定しないでいただきたいと。 そしてたぶん、その人物はこの小説中に出てくる誰でもないだろう、という予測も容易に立ちます。 二重に張りめぐらされた暗号解読がメインの推理物です。 きっかけになった品の出所が誰か、というところまでこだわった話ではないので それで十分だと思います。いかがでしょうか。
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- ringouri
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他の乱歩作品を幾つか読めば納得して頂けるかと思いますが、 著者は「ある人」を作品中には想定していません。 (物語中に出てこない人物であるかもしれない、という意味ではなく、明確に、「二銭銅貨」の入手経路と人物は、物語とは無関係な事柄という意図で述べているのです。) 物語中で重要な役割を果す小道具ですら、「可能性の存在」として幻想の中に包み込む乱歩独特の筆使いです。初期の乱歩の短編群を貫く大きなテーマの一つが「プロバビリティとしての犯罪、可能性としての事件」だったことを念頭に置いて読むべきでしょう。 この作品や「D坂の殺人事件」「心理試験」などは、後の乱歩の大衆小説群とは明らかに異なるモチベーション(志)とアプローチ(記述方法)で書かれたものであり、再読に耐えうる推理小説の傑作だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり「ある人」とは、作中に出てくる人物ではないのですね。 皆さん、ありがとうございました。
- toko0503
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こんばんは 全くの私見ですが、私も#1さんと同様、 「あの品を私にくれた或る人」とは、 登場人物の中には居ないのではないかと思います。 あるいは、 うんと勘ぐって(^^) 著者超一流のウイットから 「私」自身かもしれません。 「私がへまなことを書いては、後日、或る人が、とんだ迷惑を こうむるかもしれないからである。………」うんぬん これが、もし「私自身」だったら大ウケだとは思いませんか?(^^) こうして読者の想像をあれこれふくらませる結末もまた、傑作ですよね。 ちなみに、以下は くだんの「二銭銅貨」だそうな。 http://www.lares.dti.ne.jp/~fuinarle/rampo/rmp_coin.htm 参考までね。
お礼
回答ありがとうございます。 No.1さんと同意見のようですね。「私」自身というのも面白いです。 URLも参考になりました。 もう少し他の方の意見も伺いたいと思います
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、あまりにも結末のどんでん返しが印象に残ったので、少し最後の台詞にこだわり過ぎていたのかもしれません。