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【風林火山】同盟文の焼き灰を飲んじゃった!
10/7放映のNHK大河ドラマ「風林火山」は、甲斐武田氏、駿河今川氏、相模北条氏による三国同盟締結の話でした。 同盟の締結に当たり、同盟内容を文書化し、三人で自署までした同盟文を火鉢で焼き、その灰を酒(?)に交ぜ、三人で飲む、という儀式(?)をしていました。 多分、約束は全員の体内に入ったので、もう裏切ることができない、それくらい固い約束だ、という意味合いだと想像します。 ただ、これだと、同盟の証拠がなくなってしまいますし、他国が同盟内容を知ることが難しくなる上、後世の歴史家が研究しづらくなると思う(当事者には無関係ですが)のですが、当時はこういう約束の結び方が一般的だったのでしょうか?
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私も、質問者様と同じく「え、起請文を灰にして飲んじゃうの?」と驚きました。 googleで「起請文 灰」で検索すると、どうやら、「起請文を神仏の前で焼いて(酒などに交ぜて)飲む」やりかたは中世に実在したようです。 中世の軍記もの「源平盛衰記」のネット上のテキストの中に 「起請文書灰に焼て呑」 というフレーズがあります。 http://www.j-texts.com/seisui/gs046.html の中で「起請文」で検索すると、2番目で引っ掛かります。真ん中より少し上の場所にあります。 この、現代人には奇異に思える習慣の解釈としては、 1) 当時の人間の神仏への恐れは現代人より遥かに強く、「神仏の前で誓ったこと」を破ることは、当時の人間にとり重大事であった。 最近出た本 武田信玄と勝頼 文書にみる戦国大名の実像 岩波新書 新赤版 1065 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31863126 の中に、武田信玄が家臣に送った文書として 「私(信玄)が神に『関所を廃止する』と約束したのにそれが実行されていないと分かった。(神罰が恐ろしいので)直ちに関所を廃止せよ!祐筆が今はいないが待っていられないので自筆で書く」 が紹介されています。信玄が自筆で書いた文書で残っているものは決して多くなく、信玄の神仏への恐れが伝わってきます。 2) あのドラマでは、「善得寺の会盟」として、晴信(信玄)・義元・氏康の三大名が善得寺という寺で実際に会合し、起請文を書いて盟約を結んだという設定でした。 「大名同士が神仏の前で起請文を書き、神仏の前で灰にしてそれを呑む」 これ以上、盟約を確かにするものはありません。 「同盟の証拠がなくなってしまいますし」 戦国時代に大名と大名の紛争を裁く裁判所などはありません。例えば、武田家が同盟を破ったとして、今川家と北条家が起請文を裁判所に証拠として提出して武田家への刑事罰や損害賠償を請求できるわけがありません。「同盟の証拠が必要」というのは、法治国家に生きる我々現代人の感覚で、当時の人間にはそんなものは不用です。「神仏の前で誓った」この事の方が、「証文」より遥かに有効です。 ※ 現実には、武田家は今川義元の死後に三国同盟を破棄し、今川家を攻撃して駿河を占領しました。この際、北条家と今川家の同盟は健在であり、信玄の背信行為に怒った北条氏康は、嫡子氏政の正室に迎えていた信玄の娘を甲斐に送り返しています。先日のドラマで、晴信の娘である梅姫が北条氏に嫁ぐ場面が描写されていましたが、三条夫人の台詞は後世のその事実を踏まえています。 黄梅院 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%A2%85%E9%99%A2_%28%E4%BA%BA%E5%90%8D%29 ※ 当時の女性の通例として、この女性の実名は伝わっていません。ドラマで「梅」と言う名前になっていたのは、後世に伝わる院号(戒名みたいなもの)の一字からとったものでしょう。 なお、歴史学上は、ドラマで描かれたように三大名が一箇所に集まって盟約を結んだという「善得寺の会盟」は後世の創作であるという説が有力です。ですので、同盟を誓う起請文を神仏の前で結んだという事実もなかったと思われます。 先ほど、信玄が神罰を本気で恐れていたことを示す資料を紹介しました。「信玄は、神罰を恐れずに、神前で起請文によって結んだ三国同盟を破棄して今川家を攻めた」という歴史解釈にはなりませんのでご注意下さい。
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- a-koshino
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一味神水の儀式といいます。この言葉で検索すると面白いでしょう。 例えば↓ http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=216 村々で一揆を結ぶ場合に行なわれたようです。 二枚作成して一枚を残す、という習慣もありましたので、重要な取り決めなら保存すべきですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。1枚は誓いのために体内へ、もう1枚は控えということですね。なるほど、これは合理的だ(笑)。参考になりました。
- buchi-dog
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No3ですが、「証文の有効性」について補足します。 大名と大名の間では証文などあってもなくても大差ありませんが、例えば大名の領地の中では、「借金の証文」や「知行を与える証文、安堵する証文」や「土地を譲る証文」などは当然有効です。 大名の領内で何かの紛争があれば、大名に対して訴訟を申し立て、証拠として「証文」を提出することは、現在の裁判と同じく、ごく普通に行われていました。 武田家領内のそうした「訴訟」について、 戦国大名の日常生活 信虎・信玄・勝頼 講談社選書メチエ 184 笹本正治/著 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30682982 に実例が挙げられていますので、興味があればお読み下さい。あくまで「大名と大名の同盟に証文など無意味」ということですので間違わないで下さい。
お礼
重ねてのご回答、ありがとうございました。ええ、多分そうだったんでしょうね。ただし、これはいわば国内関係ですよね。国際関係は現代と同じく力勝負だと思います。現代でも、いくら国際司法裁判所があっても、被告側も同意しないと開廷できないそうですから。大変参考になりました。
- taikon3
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これまでの敵対関係を悔い改めて、これからも仲良くしていきましょう。 ということで、よくありました(^^; 別に不思議じゃないですよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。当時の風習というか、別に不思議じゃなかったんですね。
- dogsiva
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「灰を飲む」という行為を故事に照らしてみると "飲灰洗胃"という熟語にもなった、中国の荀伯玉という人の逸話に当たります。 http://dictionary.goo.ne.jp/idiom/search/%A4%A4/detail.html?base=1&row=150&cate=sort こちらを参照するとわかる通り、灰を飲むという行為は 罪を犯した人が改心のために行う行為とされています。 改めて振り返ると、同盟の際に「私が悔い改めます」ではおかしなことになりますね。 故事に照らせばこれはおかしな行為です。歴史的にはおそらくあり得なかったでしょう。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。参考サイトによると、 >かつて過ちを犯して罰した笠景秀 >『もし悔い改めるのをお許しくださるならば、刀を呑のんで腸を削り、灰を呑んで胃を清めましょう』 ・ということなので、もともと「罰せられるくらいの過ちを犯した者が、罰した者に対し、悔い改めるための許しを乞う行為」だったのでしょうね。で、日本にこの故事が伝えられ、時を経た結果、No.2様の解釈のような、「お互いに許し合おう」あるいは「敵対関係をチャラにしよう」という意味に変わってきたかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >戦国時代に大名と大名の紛争を裁く裁判所などはありません。例えば、武田家が同盟を破ったとして、今川家と北条家が起請文を裁判所に証拠として提出して武田家への刑事罰や損害賠償を請求できるわけがありません。「同盟の証拠が必要」というのは、法治国家に生きる我々現代人の感覚で、当時の人間にはそんなものは不用です。「神仏の前で誓った」この事の方が、「証文」より遥かに有効です。 ・確かに。約束を破ったら戦争をするだけですものね。「現代の感覚」というよりも、正確には「現代の国内の感覚」だと思います。現代でも国際関係は戦国時代とそう仕組みは変わりません。結局武力の裏付けがないと何もできませんからね。 >当時の人間の神仏への恐れは現代人より遥かに強く、「神仏の前で誓ったこと」を破ることは、当時の人間にとり重大事であった。 ・科学が発達した現代から見れば「何をそんなに神経質に」と思ってしまいますが、当時は科学が未発達でしたから、神仏への畏怖は現代とは比べものにならなかったというのは想像に難くありません。 >なお、歴史学上は、ドラマで描かれたように三大名が一箇所に集まって盟約を結んだという「善得寺の会盟」は後世の創作であるという説が有力です。ですので、同盟を誓う起請文を神仏の前で結んだという事実もなかったと思われます。 ・そうだったんですか。まあドラマはフィクションですからいいですが、大河ドラマには多少学術的に裏付けがある内容を期待してしまいます。ないものねだりですけれど(笑)。