• 締切済み

あなたがこの世界に生まれていなかったとして、この世界は存在していたと思いますか?

表題の通りですが、 「もしもあなたがこの世界に生まれていなかったとして、そのときこの世界は存在していたと思いますか?」 ふと自分に問いかけたのですが、いろんな方のご意見を頂きたくて書き込み致しました。 どうぞよろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.35

「自分が存在する」という場合の存在と、「世界の存在」は、まったく別次元の問題です。 生まれてきた時点では、それはまだ「世界の存在」と同じような存在であり、それは「自分」ではありません。 そのような存在を、実在と言います。 その後、人間は名前を与えられ、社会という関係性の中で一つのポジションを与えられます。 それによって、子供の頭の中に、徐々に一つの人格が作られていきます。 そしてその上で、頭の中に作り出した人格と、もともと実在していた意識が一体となる形で、「自分が存在する」と感じるようになるのです。 つまり「自分」とは、この社会における位置づけとして観念的に存在するものであって、実在ではありません。 一方で、その観念と同化することでそこに命を吹き込んでいる意識は実在ですが、しかし意識には「自分」というものがありません。 もともと意識は実在であり、世界とともに存在するのですが、それが頭の中の観念と同化することで、「自分」として、世界を他者として認識し始めるのです。 以上を前提にご質問にお答えすると、まずこの世界に生まれてくるのは私ではありません。 生物が生まれるのは、世界の生成そのものです。 世界とは別の何かが生まれるのではありません。 次に、生まれた人間がこの人格としての私になるのは、この関係性の中で必然的にこのように作られるのであって、私が作られなかった可能性はありません。 この社会がある以上、この私は必ず、この自分として生まれるのです。 そして、この「自分としての存在」は、人間社会の関係性の中で存在しているという意味であり、実在する世界とは関係ありません。 実在する世界は絶対として存在しており、自分が生きている間中も、実は私自身が実在として生きているのです。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2126/7992)
回答No.34

 おそらく、私が生まれていなかったとしたら、この世界は全く別の惑星だっただろうと思います。  なぜ、そんな事が言えるのかと言えば、自分がいる時間を基点にして時間を逆向きに進んだ過去を考えてみればわかります。46億年前の原始太陽系に至るまで時間は連綿と続いていますが、現在と過去を結ぶのは1つの歴史に過ぎません。  この時間軸が過去と現在を繋いでいる以上、私が存在しない次元というのは、現在の時間軸と大きく異なる異次元の世界なのです。  私が非常に特殊な環境条件でしか生まれ得ない生物だったら、時間軸に大きな違いは出ないでしょうが、ありふれた人間でしかありませんから、環境が大きく違わないと生まれなかった可能性は小さくなるわけです。  そうすると、月が無い地球とか、巨大ガス惑星の地球という確率が出て来るわけで、自分が存在しない世界があるとしても、環境条件は大きく違っているでしょう。  自分が存在しない世界は恐竜が絶滅しなかった地球かもしれません。自分が存在しない世界は地球外文明が支配している地球かもしれません。自分が存在する事実がありふれたものであればあるほど、存在しない為には大きな違いが生じる必要があります。  自分が生まれていない世界は大した違いが無いなどとは考えない方が良いです。自分が生まれたのは、確率的に大きな現象が現実に起こったのだと考えましょう。

回答No.33

 このことを考えるには:やはり   1. 生まれるということ、誕生以前、死後   2. この世界とは、存在とは  について、論理的演繹ではなく、所謂る認識することが必要でしょうね。  誰がどういう意識で思う、経験するかということ、その意識主体に関する思想がないといけませんね。  でありますから、そのことの欠落した論述は意味性がないと存じます。  心理学や自然科学であっても、このことを申し述べる論述なら、意味性があると存じます。  

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.32

こんばんは。 僕は答えは知らないんですが、 なぜ過去形か、というのは分かります。 今ここにいる自分は何より把握しにくいからです。 時間をずらして過去のもの、未来のもの、あるいは別の場所、とすると、それは把握の対象として扱いやすいです。 今現在のこの自分、というのはその中に自分がどっぷり浸っているので、他の人が見るならともかく、あるいは心を移す鏡があるならともかく、今ここの自分の状況を自分で見て取ることは難しいなーと思います。 今あなたが生まれていないとして、この世界は存在しているか?ーという質問の意味は認識が難しいです。 将来あなたが生まれないとして、この世界は存在するだろうか?ーー意味わかりませんね・・・ 人は、過去は、存在していたことを前提にしてます。 未来は、存在するだろうことを前提に初めて描けます。 存在は時空連続体の性質を持っているので、どこかでとぎれる、とかいうのを、そのイメージの前提としていません。 過去、あったから過去であり、今、あるから今であり、未来、あるだろうから未来です。ないだろうか?という質問は、時間の否定につながります。でっかい自己矛盾です。 これは~~これだけででっかい問題になるのでやめときます、撤退~~ ひまだったらまた書きますね~。

回答No.31

 この世界は、わたしという意識世界が訪問している大きな世界なのでしょうから、私の訪問前も、辞去以後もどういうものかはわかりませんが、存在していると存じます。  私は一っときの訪問者です。

noname#254711
noname#254711
回答No.30

他の回答者さんと重複するかも知れませんが 自分が「生まれる前」の世界の事がわかりますか? 死んだ人が、生きていた頃と同じように存在していられますか? この世界は「ある」かも知れませんし 「ない」かも知れません。 ただ、それを感じるのは「自分」だけだと思います。 例えば、TV放送の電波が発信されていたとして 受像機となるTV(自分)がなければ その電波を放送の形に現せない訳です。 TVの本体の状態によっては、放送の内容をどれだけ表現できるのかは不明な訳です。 故障して画面の映りが悪い、見えない、声が聞こえない、雑音がひどい ・・・ あるいは、放送局の方で何か問題が起きる場合だってあるでしょう。 世界があって、それを認識するモノ、その両方があって初めて確立される事だと思いますので どちらかだけで、仮に存在できていたとしても、それを見出せる方法は無いと考えられます。

回答No.29

質問者様のおっしゃる「この世界」存在しません。 「世界」は存在します。 難しいことはわからないのですが、 今度おばあちゃんになる(息子か娘に子供が生まれる)女性がいて、 誕生予定日の3日前になくなっても、その赤ちゃんは生まれますよね? (不幸がなければ) その女性がいなくなっても命は生まれます。そしてその命は貴男(貴女)のように考える。 「この世界」がどこだか定かではありませんが、貴男がその生まれる赤ちゃんなら、限りなく貴男のおばあちゃんに「近い」世界に生まれてくるでしょう。 『「この」世界』があるのは「貴男」だからで 「世界」は存在します。 私が理解しているのはこんな感じです。

noname#80116
noname#80116
回答No.28

〈アポロンの生誕〉  砂の海に  立ち込めた  陽炎が  しなやかな身体を  くゆらせ  ボレロを舞い  魔法使いの鏡の中で  か細い腰を  さらに細めながら  昇天してゆき  なおも激しく  また登り始めたかと思うと  異教の寺院で祈る娼婦のように  長々と寝そべり  半透明の捩じれを  駄々をこねながらも  あたり一面に散らして  晴れ上げるとき  虹色の南の風が立つとき  一群れの鳥が  はばたき始め  次からその次へと  一気に翔けのぼり  うず高く浮かび上がり  さらに翔けのぼり  瀕死の陽炎を追いかけ  ふたたび急降下し  みたび舞い上がり  チョコレート色の翼一杯に  そよぐ風を浴びて  砂の海を  去ってゆく  ひと群れの  うずら  初夏  遊鳥の旅団は  約束の地に向かう処女のように  陽炎の去ったあとの  ガラス張りの大陸に  褐色の肌を晒しながらへばりつき  自ら締めつけた喉の奥から  γ線の叫びを叫ぶスフィンクス  時の忘れ子スフィンクスらに  今年も別れを告げて  地球の斜角をよじ登り  神々の住む  オリュムポスの峰峰を目指して  北へ向かい  回帰への旅路をさまよう陽炎を  やさしく両の手で包み  その亡き骸を陽の神に捧げて駆ける  南の風に   乗っかって  アフリカに絡みつく  ニルの大蛇が  幾千の首を伸ばし  重たい水煙を吐き出す  焦げ付いた都を  過ぎ去って  踊り出てゆく  大洋   地中海に  海は   大蛇が静やかに注ぎ込む   ファラオの  (ルクソールあたりの大遺体か)  ファラオの  しめやかな永劫の涙を  ひと粒残らず飲み込んで  怠けものの黄牛が  反芻を楽しむ如く  ゆっくりと  自らの胎内を  回遊している  苦い輝きを発する  オリヴの小枝を  口にくわえ  いくつもの  色とりどりの乳房を  軽やかに  掻きくすぐってじゃれ飛ぶ  白茶色の鳩が落とす  五羽六羽  八羽九羽の  影を浮かべ  青い肌の鏡面は  初夏の陽光を浴び  恥づかしげに  輝き伸びている    常にも増して大きな下腹部を  南の風にやさしくさすられ  過ぎ去った秋の   ゼウスとの恋を  新たに偲び  空を翔け  空を翔けながら  生まれ来る一羽  そして多分もう一羽の  雛鳥の前にしのび寄る危惧を  そっと両の羽根で覆い  覆いながら新たな不安に  その子らの父の  厚い庇護を祈る  レト  レトをまん中に  渡り鳥の群れは  オリュムポスの神妃ヘラ  ヘラの嫉妬を思いやって  顔を見合わせ  見合わせながら  五月の青を  抜けてゆく  五月の青を抜け  はるか下に広がる鏡面の青に  想い出を映し  言葉の葉脈が  まだその形を現わさないまま  樹樹が  熱い蒸気をささやく  海原から伸び茂る昔を  ゼウスがまだゼウスでなかった昔を  映し  卵巣の海に葦の小船を浮かべ   櫂を漕ぐ手に赤い戦慄を覚え  たじろぐ身と溶ける心が  ない混ざり  深海のシレーネーを聞く頃  ヘラの嫉妬は  夫ゼウスの新しい恋人レトの  レトの異国の肌の侵入に怒り狂い  この陽の下にその混血の出生は  ならぬと固く誓い  喚き散らし  異性と交わらず自ら産み落とした  目にも鮮やかな巨竜ピュトーン  ピュトーンを放ち  世界の黄昏の地にまで  遣わし    神殿デルフォイの守護者  ピュトーンは  殺し屋の長身を引きずって  海に浮かぶ大小の乳房を縫い  のっそりと這い進み  背の鱗粉に  澄み渡った鏡面の  まばゆいばかりの  輝きを閃かせ  ひっそりと上空を窺い  季節の女神の  はからいの中に渡り来る  一羽の臨月のうずらを  待っている  渡り鳥の恐怖は  今静かに内から突きのぼり  レトは  海底を這い来る  ヘラの潮流を  素早く見届け  湧き上がる優しさの  捩じれを撚り戻し  陽の神ののぼる地陸の  褐色の血の前途を清め  長音と短音の山並みに包まれた  ギリシャの地平に  覚悟を飲み込んで  山々のクレータの  35度を  遂に越え  のちの聖なる島  デロスを取り囲む  キュクラデスの  小さな島々に  さしかかり  のちに東方のフェニキアの  王女エウロペが  一頭の白牛に姿を変えた  神々の神ゼウスの  背に乗って  里を去り  青い海を渡るとき  たどり着き  迷宮クノッソスの王となる  ミノスを  産み落とす島  クレータをうしろに  のちに姿を消した  エウロペを追って探す兄  カドモスがたどり着く  三日月模様の島  テラをまえに  突如 一撃の疼痛が走り  のちにカドモスの娘  セメレとゼウスとの子  酒神ディオニュソスが  葡萄園を開く島  ナクソスを通る頃  月足らずの陣痛が  激しく襲い  はるか遠く  半島ギリシャの先に  細長く口を開けた湾  エウボイアから  島アンドロスの松林と  島ケオスの果樹園の間の  水門を抜けて  近づいて来る  一連の不気味な鱗光を  見つけ  黒曜石の島ギアロスの陰に  逆鱗が隠れたとき  ひと群れは  音もなく   隊を崩し  南の風に  身重のレトを包み  そっと  白い島ミュコノスの  太陰暦のなかに眠る  小島デロスの分島  オルテュギアに  降ろした   うずら(オルテュックス)島  増進した疼痛を引きずる心のどこかを  そこに吸い込まれる気にさせる  紺青の海に囲まれ  その波ひとつない水面に  いまにも飛び込みそうな絶壁と  不毛の丘陵のほかには何も  ないオルテュギア  島を実を結ぶことなく  見渡して  岩陰に下りると  すぐに母体を離れ出た嬰児  アルテミス  姉アルテミスは  見る見るうちに  山の端からのぼる月のように  満ち  石苔の褥の母レトを伴い  満潮の力を力として  オリヴの鈍い色に映える  明晰の島  デロスを目指し  海の狭間を  渡る  その淡い緑白の花が  ――二つのとがった嘴の  両頬を潤わせることに――  歓待の香りを放つ  小森のなかに  生い茂るオリヴの  木陰に  急をしのぐ  一組の母子の発する  クウェッ クウェッという叫びは  それぞれひと塊の礼砲となって  一羽の神の生誕を  傷むように祝うように  小森を舞い上がっては落ち  紺碧に鋭く穴をあけ  弾痕が  やがて茜色に染まり  遠く山腹に聖域をたたえた  パルナッソスの山々に  夕焼ける陽塊が入り  勢いを増して  あたらしい現出を痛む  夜を明かし  昼を過ごし  夜を送り     光明がななたび・やたび  南の至点を駆け  さらに一夜が明け   背後には石筍と石鐘乳が芽を吹く  キュントスの山を従え  オリヴの小森の果てる海辺には  母と娘には  故里を想い起こさせる  なつめ椰子の群れを飾り  キュクラデスの漁民が作り上げた  白い獅子像を配置して祝う  デロスの島に  生まれ来る一羽のうずらの  ペルソナを捩じる  九日の動転と  九夜の反転の後  アルテミスの見守る  母レトの傍らに  巨神太陽の射る第一の矢を受けた  赤い肌のアポロン  七ヶ月の早生児  生誕を待ち受け  地中海にひとり  浮きさまよって来た  島デロスには  二対の三柱  南の風をもたらす   序と義と和の季節の女神と  糸を紡ぎ・分け与え・断ち切る  運命の女神との母テミスが  見守り  海神ポセイドンの妻  アンピトリーテーが  オリヴの森を揺らす  微風を運び  父なる神ゼウスの母神  レアが駆けつけ  まだ見ぬ歓びの中に  取り上げ  異国の水を注ぎ  麻布の純白に包み  紐の黄金で結び  結ばれたアポロンは  養母テミスのもとに  運命の女神  クロートの紡ぐ   ネクタールを飲み  ラケシスの分け与える  アンブロシアを食し  四日目の朝が訪れるとき  竪琴と弓矢を取って  立ち上がり  祖母たちの愛の豊饒の中に  対象のない恐怖を覚えた  己れを掻き鳴らし  打ち放ち  子午線をひとり  北へと向かう  ピュトーンの鱗粉に揺れる  鏡面を下に見て  琥珀の道をたどり  未踏の回帰線を跨ぎ   北の風のかなた  凍河エーリダノスの流れ込む  極洋の  白い夜の国へと   そこは昼も夜の国だった。   谷合いの橄欖が香りを そして 遠くの入江が潮風を かろうじて流し込んでいるが 谷にはいつも深い霧が湧き立ち 背後の山は 裸岩ながら険しい鉄面皮をさらしており 陽炎の国とは そして 周囲の地平とも まるで 隔絶された小宇宙だった。   竪琴を一本 鳴らすと 陰画紙のなかであえぐ愛のように 闇のとりもちに引っかかって 怪しげな死を死んでしまう。   ここが デルフォイだった。   神域は 断崖の一角 斜面の急にこびりついている。よく見ると 双つの鈍い赤の岩壁は 獲物を前にした龍が揉み手をする双舌を想わせた。岩壁の赤や 裸山の褐色や 下方の濃緑が 空のはやした霧の鬚の透き間を漏れる光線に映えている。   プルルンと 地球の臍に立って アポロンは また ひと鳴らしした。かつてゼウスが地球の両端から二羽の鷹を飛ばして それらが落ちあったところが この地だと言う。その民族の中心が固まって生まれたピュトーン。   異邦人アポロンは この巨龍と戦わねばならないと思う。   地球のへそに立って プルルンとかき鳴らすと 三つになったアポロンは 魂がかすかに弾むのを感じ 弓矢を握る手に力がはいった。奉納や宝物殿が軒を連ねる神域を静かに歩いていった。   霧の障子がかすかに開いて 外の世界が見え隠れするなかに いま登ってくる途中 背の羽根を清めて来たカスタリヤの冽泉が光っている。   きらきら光る泉の岸にも 臍から湧き上がる大地の岩漿が取り巻いており 岩漿は 谷合いを流れる小川のせせらぎの中にも 間歇的に障子をたたく西の風の音の中にも 地霊の呪文をささやいている。      山を巻いて登る小径を進むと 岩陰に怪しい窪みが見え その中から大地が息をする噴気が上がっている。母レトの話すには デルフォイの巫女たちは 聖なる裂け目と呼ぶこの岩陰で 湧き上がる灰褐色の噴気を吸ってそのペルソナを脱ぐのだと。地霊の吐く言葉を着るのだと。この噴気こそ ピュトーンの息の根にほかならない。   片方のサンダルを脱いで 進んで行った。

回答No.27

ANo25のarayata333です。 お礼の文面を読ませていただき、共感するものがあり、再び筆を執らせていただきました。 その前にちょっと、次の回答者様(ANo26)の方の再回答の筆について触れておきます。 ちょうど、ANo26のbigushineさんは、わたしのある質問にもいろいろ丁寧な回答をしてくださった方なので、解るのですが、 この方自身、例えるなら洞穴の中を真実を求めてさまよっていた中からほんの一点の希望の光を見つけて、ふたたび元気に歩き出した。という感じのまさに「心の世界の哲学者」という感じの方です。 睡眠中の「夢」を、普通はボケてしかいな意識状態で見ているところ、この人はそこに常識を超えるような特殊能力を持ち、がゆえにかえって存在の疑問にもより深くその闇をさまよった方のようなのです。 たとえ絶望の淵をのぞこうとも、そんな時のたった一点でもその確実な出口の光は、がゆえにこそ大きいものだったでしょう。 そんなふうにして彼は なんと生死の枠をさへ越えた存在の感性のある確信にまでたどり着いてしまったようなのです。 生身の人間であるが故の限界の狭間のままにですからまさに例えるように「一点の光」という感じのもののようなのですが、 闇の中でのその力の大きさを彼には感じさせられるものがあります。 「夢と現実の違い」とかいう生ぬるい疑問を突き抜けて両方ひっくるめての存在そのものの希求。そんな人生の心の旅人を連想させる方です。 そして、そんな裏を知って彼のご回答を読み解くと、彼の率直な文面の美点がよりはっきり見えてくるでしょう。(ほんとうにネット文は特にですが、みじかい表面の文面だけでは人の裏の人生はわからないものですね。 私自身が そのことの反省から一時Q&Aから逃げ出しています。悩みのある人の回答をしていて、自分のほうこそ何も知らなかったことに反省させられてしまったのです。でも それでも謙虚ささへ忘れないなら、むしろその筆は前にすすみつづけてこそ意味があると思い直して、ふたたび戻ってきたんです(笑))。 わたしの場合は 彼のような特殊能力はない平凡なものですが、感動感覚感謝とかいった「感」のつくものがほとんどというのかなんというのかともかくゼロなんじゃないかといいう感じの時期が若い頃続いたこともありました。 やっぱり、これも闇の世界です。 しかし、そんな時にも 川原のずっと寝そべってたら(疲れてただけなのですが)、川の音がやがて、こころを癒すときがおとずれたことをも覚えています。 私自身の「光」は、鮮明な「光」とはいえないかもしれません。鮮明な色合いとは言えないかもしれません。 でもやっぱり、一筋の光ではあるんです。(ほんの一筋ではあってもということです。) ふれあいの時間と 謙虚さの時間が やはり人へのリスペクトの時間が そのほんの一歩一歩の時間が それが、やがて私達の人間の魂の闇にむしばまれた世界を癒してくれる。というものです。  たった一筋かもしれなくても それが「希望」だ。 それが生きる力だ。 生きるということそのものなんじゃないか? という感じのものです。 その向こうにならば、人間は言葉を越えて心と心で繋がっている世界があるし、永遠に新鮮な命の世界や 宗教の世界も見えてくるのではないか。 たぶん、Bigshineさんの再回答での質問の世界は、そのへんの生死の問題へのあなたの中の問いを考えられてのことと思います。 誰の中にもある深い悩みの世界への問いかけです。 わたしには、解りません。答えとかは解りません。 でも「希望」ならあります。 あなたのお礼の文に、なんども、共感のなみだがにじみ出てきました。たぶん、この涙が答えのひとつなのでしょう。 たぶん、あなたの、いつも謙虚な文面自体、それも答えのひとつなのでしょう。 いや答えとはなっていないかもしれません。でも でもわたしには、それが唯一の「一点かもしれなくても、一筋の生き行く希望のひかり」です。 こちらこそ、またひとつ生きる勇気をいただいた気持ちです。ありがとうございました。

noname#42771
noname#42771
回答No.26

>「視点」が全くない世界ならどうですか?  「視点」が全くない世界とは、どういう世界ですか?  それ以前に、「視点」が全くない世界を想定しなければいけない理由は何ですか?    あなたは、この世界の存在について質問してらっしゃるのでしょう?  この世界には「視点」があるじゃありませんか。私の「視点」、あなたの「視点」、そのどちらもある様じゃありませんか。  「視点」が全くない世界は、この世界ではないと思われます。  「視点」が全くない世界は、この質問と関係ないように思われるのですがね。  それとも、もっと別の質問の真意、何かの悩み事でもあるのですか?正直そっちの方が考察しがいもあると思われますが。

godzilla2004
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 視点がない世界と申し上げたのは、私のいない世界、かつ、他の人もいない世界のことです。説明が足りなくてすみません。 先のご回答にありましたように「自分が見なくても誰かが見ているから世界は存在する」とすれば、「どこにも誰も見る人がいない世界」の存在についてはどうなのだろう、とふと思ったという次第です。 例えば、生物誕生以前の宇宙、あるいは全ての生物が死滅した宇宙がこうした状況に当たるのではないかと思います。 「悩み」というほどのものはないのかなと思います。こうした人が考えないような疑問に心が向くこと自体悩みのない証拠なのか、あるいはその逆に自覚がないだけなのか、よくわかりません。そう、「よくわかりません」という答えが私にとって一番しっくり来る答えです。そんな状態です。

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