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なぜ世の中は、画一的な価値観が支配するのだろう
漠然としておりますが、世の中の価値観が、画一的になる傾向があるように思います。それは主にマスコミ操作によるのかもしれませんが、それを生み出す土台のようなもの、民意というか、常識のようなものがあって、それにマスコミが加速をつけいているというようなことではないでしょうか。例えがないとあまりに分かりづらいと思いますので、卑近な例ですが、次のようなもの。 ○よく、多産家族はマスコミの話題になりますが、子なし家族はまったく注目されない。倫理的人類学的には、地球環境の改善に取り組んでいるといえるのに。 ○少年非行などで、「あんないい子が」「まったく意外だ」などという、信じられないということばかりを取り上げる。「ああ、もっともだな」というような例を挙げない。あるいは、死者を貶めるわけにいかないからか、理不尽に殺された人をいたずらに美化する。 考えてみろと、マスコミのすり込みばかりなのかもしれません。しかし、それにしても、なぜ一方の価値観だけがはびこるのでしょうか。
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世の中は 時間知によって成り立っています。人間が そもそも 時間的存在です。 存在が有限でもあれば その知恵も知識も――類としての人間は 世代を継いで その科学知を無限に伸ばしていくでしょうが―― 限られています。 その世界で 自分は生き延びようと思えば 人との差異を売りにするはづです。ですが しかも この国では まづは 共通の基盤の上に立つことも 肝心だということになっています。同じ土俵の上にいるのでなければ 話は始まらないということになっています。(あるいは 同じ大きな繭の中にあって 一般市民は 和を貴ぶ蚕のごとく紡ぐ仕事を せっせとおこなって 死んでゆくということになっています)。 ですが おそらく われわれも それほど愚かではないので これは そのように 振りをしているだけだとも考えられます。 みなさんと同じ化粧廻しをしていますよと まづ とっかかりとしては 言ってのけるのです。部屋は同じではなくとも 同じ遠い昔のノミノスクネだかからの由緒あるしきたりに従っていますよと 笑顔で答えるのです。 しかも 人びとは このわたしのように臍が曲がっているのではありません。それはそれは 純真です。だれが かれらの純朴を疑えましょう。だれが かれらの忠誠心を批判しえましょう。 和を以て貴しと為すです。しかも 無意識の内にも 振りをしているだけであれば 人びとは 和して同ぜずです。わたしたちは みづからを誇るべきです。 そうして そこから踏み出す一歩がなければ たしかに 画一的な社会生活を送るはめにならないとも限らない。・・・
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- tanuki4u
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画一化されているかどうかは知りませんが。 多産家族が話題になる → ネタは多い方がドラマにしやすいからです。夫婦二人では出演者が二人のドラマになりますから、脚本が作りにくい。子供が10人もいれば、あの子がこうで、このこがああで、とキャラ作りがしやすい。それだけの話です。 少年非行と死者 → 私が物心ついたころ、40年近く前から変わりませんので、画一化される傾向にあるとは思えません。少なくとも40年ほどは変わっておりません。
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ネタをフォーカスしたほうがおもしろいかもという感覚はマイノリティーなんでしょうかね。被害者同情が過多になってきてませんかね。
- adaypajimy
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自分の画一的なパラダイムに気がつかない視点が危ういのでは。 マスコミニュケーションにあたって大衆向けの情報をつくるのですから、大衆受けする情報になるに決まっているでしょう。独自性のある情報を少数派に向けて発信しているメディアもありますが、そのメディアがマスメディアに発展できないのは、商業的に成立しないからであり、早い話が大衆向けじゃないのでしょう。大衆批判とマスメディア批判なんてよくあること。
お礼
大衆受けというものが本当に画一的であるのか、それとも勝手にそう思わされているのか、いまいち納得行かないという感じです。
- kitkat77
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再度ですが、 おっしゃられた世の中が画一的になる傾向。 これは殺人事件が増えている。まあマスコミとりあげですが、また経済の閉塞感で暗い暗いという感じがあり、浮き足立つ楽しいとか景気のいい話題がかき消されるというのもありますね。万人が感じておられるとおりです。 中身もたいしてないのにワァワァ騒ぐのが日本人ですから、ブームがあってもすぐさめるのが日本人ですからというのは少し影を潜めていますね。この感じはまだまだ少しは続くでしょう。止められもしないし制御もできないですね。昭和30年から昭和55年くらいはまだまだ平穏な日本でしたが。
お礼
中身がないのに騒ぐ、ブームですぐさめるという土台があるが、最近は熟成したのか閉塞感が重いのか、ちょっと変化しているように思える。昭和55年に何かありましたか。80年代という区切りはなにかあるですかね。
- kitkat77
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ご年齢はわかりませんが、世間一般上、新聞では 産経 読売が、右翼系保守。 朝日が左翼的です。 成立過程がそうですから。特にテレビにおいては、報道が規制されている面もあり、12チャンネルどれも見ても画一的報道がされている傾向もないではないという気がします。刑事犯罪報道においては、発生直後においては規制をかける点もありなおさらそういう傾向にあります。 テレビで泣いて報道するわけもないであろうし笑って人をひきつける話し方が普通でしょう。私はテレビ報道を100%は信じてはいません。 大体、国民一人一人すべて報道していては、プライバシーもあったものではないでしょう。新聞も同様です。市長 芸能人あたりだとマスコミに始終くいつかれ大変だと思います。 というようなことをもうしましてもあまり関心はないようにお見受けします。 いちばんいいのは海外旅行でもされたらいかがですか?外国に行く途中の飛行機内でも考えさせられましたが、いかにマスコミにおいて日本人に思考に与える影響をあたえる部分が大きいかまたその姿勢は、わかるでしょう。だからふりまわされては、馬鹿をみるとほとほと思いました。 一方の価値観がはびこる。そういう表現は誤解をまねくと思います。 そんなのを非難するのは、裁判問題になったときなどに考えればいいでしょう。 画一的と個性的などがこの最近30年間いわれてますが、国内よりも外国を意識してのことです。画一的もいいと思いますが。マスコミ上は画一的それも結構ではありませんか。(小声ではかまわないと思っていますが。) 日本は、その位置上、島国ですから、まだいいほうです。いいほうというよりも・・・・、これからはより外国に左右されず強い発想の人が増えるのを期待します。
お礼
とても滋養分の多いご回答です。 読んで豊かになった気がします。
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お礼
実に、滋養分が多く巧妙でバランスの取れたご回答です。文句ない20ポイントです。共通の土台に立つという振りをするというスタンスがある。それはあたかも慣わしのように形骸化していても、どうしてもそこから脱する事には抵抗が多い。それが真実ではないでしょうか。