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世の中の人の行動が画一化している・・・って思いませんか?
朝通勤電車に乗ると、座っている人のほとんどが寝ている、或いは携帯をいじっている。歩きながらや自動車や自転車に乗っている最中まで携帯を触っている。新聞や本を読んでいる人が昔に比べ少なくなった・・・って思いませんか? それ自体を問題にするつもりはないのですが、世の中みんな同じ風景・・・って何か変だと思われませんか?
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質問者が選んだベストアンサー
うーん インターネットの発現で人間の欲望が頭打ちになったということですかね。 レジャー方面で欲を満たす文化は大昔からあったと思うのですが、知識欲を満たしてくれる文化だけが無かったんですよね、一部の知識を得られるべき人達だけの楽しみでしかなかった。 それがインターネットですべての人も知的満足が得られるようになって、もういいだろってかんじ?これ以上の楽しみはもうないだろということで人間の行動も満足して落ち着いてきたということでしょうか。 個人的には読書人口は以前より多いと見ていますが、、、 新聞を買って読む人は明らかに減りましたね。
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- KOOL_Lv30
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大きい目で見ればみんな同じです。 産まれて、死ぬ。 どんな生物もみんな一緒です。まさに画一化の極致ですね。 しかし、もっと近づいてよく見てみれば、みんな様々な人生を送っているということに気付くわけです。 携帯も同じですね。 電話をしてるかもしれない、メールかも、ネットかも、ゲームかも 誰と電話・メールをしてる?親と?友人と?恋人と? なんのサイトを見てる?ニュース?2ch?ブログ? なんのゲーム?シューティング?RPG?アクション? 表面上なんかどんなものだってみんな同じです。
お礼
>もっと近づいてよく見てみれば、みんな様々な人生を送っているということに気付くわけです。 このお言葉に凝縮されていますね。みんな同じに見えても、それぞれ違う。・・・確かに言えていますね。
質問者様のおっしゃるところの「画一化」とは「携帯をいじること」でしょうか? そりゃあ、携帯がなかった昔に比べれば携帯をいじる人が出てきたので、 質問者様のおっしゃるところの画一化はあるでしょう。 逆に、「世の中みんな同じ風景と思えるほど携帯が普及した」と言った方が、納得されやすいと思いますがね。
お礼
「世の中みんな同じ風景と思えるほど携帯が普及した」ことは、素直に文明の発達として歓迎すべきなのでしょうが、近頃はスキーなどのスポーツ人口も減り、その他にもアウトドア派が減って、face to face や電話による、オーラルコミュニケーションが減り、何でもメールで済まそうという人が増えてきたことは、社会現象として、決して歓迎すべきことではないと思います。 携帯代が増えて、他のレジャーに回す金がないともよく言われていますよね。 「過ぎたるは及ばざる」ということわざもあり、何事もバランスが必要だと思うのですが・・・。
うーん。そうですよね。 私も駅のホームで電車を待っている時、そこにいた自分以外の人間が 全員携帯をいじっているのを見て、なんだかなぁ~~と思いました。 皆何をしているんでしょうか?ゲーム?メール?? 私はゲームは滅多にしないし、メールもそんなに好きではないので、 いつも携帯をいじってる人が何をしているのか気になります。 もう、一種のゲーム機と化しているのかな。 ちなみに私は寝るか本を読むかをしています。 携帯を触っているよりは、本の方が有意義だと私個人は思っています。
お礼
私の感性に近い方が出てこられて、正直安心しました。 前にも書きましたが、物事を考え、色々な観点から問題点を抽出し、又それを自分の中で考える・・・といった脳を使う作業のためには、すぐに聞きたいことの答が出るだけの携帯ではなく、読書という作業が必要だと信じるのです。
- kyoutoukyo
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ですが画一化されたほうが操作側の人間からすれば都合いいわけですからね。 総ての人が何の疑問も持たずに同じ方向を見ているとすればそれは有る意味人類にとって幸せといえるかもしれません、、、 しかし神様は相変わらずの意地悪ですので、疑問を持てる人には持たせてしまいましたよね。 思考操作についてもやっと大衆的な一般誌に情報が小出しになってきたばかりです。 自分で考える力・判断できる力を持ち続けられる人間でありたいという人が増えていってくれればいいですけどね。まだ変態扱いですねw
お礼
私も「総ての人が何の疑問も持たずに同じ方向を見ている社会」って気持ち悪いと思うのです。確かにある意味で幸せかもしれませんが・・・。 最近大衆的な一般誌に情報が小出しになってきたばかりとのことですが、できたら参考にさせていただきたいので、お手数ですが具体的に教えて頂けませんか? 実は私、「できるだけ人と違う存在」でありたいって常々思っているのです。たとえ、変態扱いされようと・・・。
- sentsuku
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眠っている人は、携帯が登場する前から多数派でしたね。 車内で新聞を読む人が減ったのは、新聞以外の情報ソースが増えたことで、毎朝、新聞を読む習慣を持つ人が減ったからでしょう。 世の中みんな同じ風景が変ということであれば、携帯登場以前のみんなが新聞を読んでる風景だって十分変だったことになる。 そもそも通勤電車の中でできること自体が限られているのだから、みんなが同じようなことをしていても不思議な場所ではないと思いますよ。 新聞のページを繰る時に隣の人とぶつかったり、そんなことが無い分、携帯の方がましかもしれない。
お礼
これはナットクです。 新聞が携帯にすり替わっただけかも。携帯の方が他の人とぶつかる危険性も少なく、実害がないのかもしれない。 これまでお礼文を書いていて、気がついたことは、私自身が個人的にあまり携帯が生理的に好きではなく、その理由を「ゲーム脳」や「メール脳」などにこじつけているのでは、と気づいたことです。 「世の中みんな同じ風景」であることも、私の気にしすぎにすぎないのかもしれません。 ただ、もう少し、他の皆さんの感じ方も聞いてみたい気がします。
補足
皆さま、興味深い分析を頂き、有難うございました。 1週間たち、後続の回答がないので、〆切ります。 一番納得のいったANo.2さんとANo.6さんにポイントを差し上げます。 (9月30日〆切にあたって)
- Roman0
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> そうですか? そうです。 > みんながみんな携帯の方が有用だと思っているのでしょうか? 自分の中で発言が矛盾していますね。「昔に比べ少なくなった」と自分で質問文に書いているということは、ゼロではないとあなたは認識しているわけです。つまり「みんながみんな」とあなたは言っていません。突然「みんながみんな」に言うことが変わったのは、何故でしょう? > 又、居眠りしている人が多いというのも、ちょっとわかりません。 あなたの知らない理由で、睡眠時間が減っているというだけのことでしょう。
お礼
すみません。確かに「みんながみんな」ではなかったですね。 私は思いこみの強い人間なのですが、世の中の現象を謙虚にみつめ、そのポジティブな所をできるだけ見出していきたいと思います。 有難うございました。
- llamas
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私は多くの人が同じゲーム機でゲームをしている風景が滑稽に思えます。 『モモ』を思い出しました。
お礼
私はPCのみでネットやメールを利用し、携帯メールを封印しているので、よくわからないのですが、携帯をいじっている人で一番多いのは、ゲームをしている人なのでしょうか? 多くの人が同じゲーム機でゲームをしているような世の中からは、あまり新しい発想が出て来ず、社会が画一化してくるのではないでしょうか? 私は、ミヒャエル・エンデの『モモ』をまだ読んでいないのですが、話を聞いた範囲では、時間どろぼうである「灰色の男たち」が人々の豊かな時間を吸い上げ、コミュニケーションなどの機会をなくし、モモのように際限のない時間の中で空想をめぐらせ楽しむ生活を奪っていく、そこでモモが彼らに対決していく、という話ですね。 多くの示唆を与える話だと思います。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
表面しか見ないと、そうも思うでしょうね。 「携帯を触っている」人は、携帯電話を触ること自体を目的にしているわけではありません。新聞や本を広げている人も、新聞や本という物体を撫で回すことを目的にしているわけではありません。 たまにはそういうフェチの人もいるかもしれませんが。 さまざまな目的のための有効な手段が、表面的には共通であれば、その分その「有効な手段」が目立つでしょう。 あなたのように、表面だけしか見えていない人は、変だと思いますが、「有効な手段」が目立つ現実を変だとは、思いません。
お礼
そうですか? それは、携帯にしろ、本や新聞にしろ、それぞれの役割や利点があり、それを活用することはいいと思いますが・・・。 みんながみんな携帯の方が有用だと思っているのでしょうか? 又、居眠りしている人が多いというのも、ちょっとわかりません。
そりゃ少なくなって当然でしょう。携帯電話っていうツールは昔はなかったんですから。 携帯はメールもできるし音楽も聞けるしゲームも聞けるし。そんな便利なものが新聞や本より優先されても何にもおかしくないでしょう。昔と比べるのがナンセンス。
お礼
素早い回答有難うございます。 なるほど、携帯はドラえもんの繰り出す道具のように、何でも出来ちゃう、という秘密兵器なのですね。
お礼
有難うございます。 確かに、インターネットの発現で何でも知りたい情報が即入手できるようになり、人間の欲望が頭打ちになったということはあると思います。 更に端末が小型化し、携帯でもネット検索ができる便利な世の中になり、手軽さを求めて皆がそれに群がるというのも、自然のなりゆきだと思います。 しかし、これが人類にとって本当に幸せでしょうか? 物事をもっと掘り下げて考え、各人オリジナリティのあるアイディアを創出しようとする時、情報を受信するだけで、それを鵜呑みにし、考える時間が減るというのは、頭脳の劣化につながるのではありませんか?現に、端末に文字などを打ち込むだけだと「ゲーム脳」或いは「メール脳」といわれるように、頭脳の働きにマイナスだという研究結果が報告されていますね。 又、自分の知りたい情報だけをすぐに取り出せるのはいいとしても、世の中には、自分がまだ自分が知らないけれど、ためになる情報がうんとあり、そういった情報は、本や新聞から得られると思うのですが・・・。
補足
皆さま、興味深い分析を頂き、有難うございました。 1週間たち、後続の回答がないので、〆切ります。 一番納得のいったANo.2さんとANo.6さんにポイントを差し上げます。 (9月30日〆切にあたって)