こんにちは、#2です。
最初に謝っておきますが、好きな話題なので頑張って長い文章を書いてしまいました。すいません。
教育には大雑把に言って二つの役割があります。それは「学力・知識」と「社会性・道徳」を身に付けさせることです。両者は混ぜてしまうと議論がごっちゃになってしまうので(リンクする所もありますが)僕は分けて考えているんですが、今回の質問は「社会性・道徳」の方だと思いますのでそちらについて書いてみようかと思います。
(1)「ゆとり教育」について
よく言われますが、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」という形での話はどうにも嫌いです。というのも現在のゆとり教育なるものはゆとり教育ではなく、「やりたい放題・責任は誰もとらん教育」だと思うからです。現状の教育をゆとり教育と称するのはゆとり教育に対して失礼だとすら思います。あとネーミングセンスはこの際ほうっておいて下さい。
(2)個人的見解による教育に関する基本スタンス
レベル(1):まずどんな教育方針だろうとその根底にあるのは「人に迷惑をかけてはいけません」でしょう。こんなことは小学生でも理解しています。それをゆとり教育のせいで学級崩壊が起こったとか言うのはどうかと思います。どういう理論でもって学級崩壊を正当化できるのでしょう?価値観が多様化しているから?正しいものがわからないから?いや、そうではないでしょう。どんな理屈をつけようと「人に迷惑をかけてはいけないんです」。この理論はテロリストにだって通用します。変に理屈をつけようとしては「いけません」。極論ではなく小学生をひっ捕まえて「うるさい」と言ってしまえばいいんです。勿論それだけでは終わらずに後のケアが必要な場合も当然にあるでしょうが(ex家庭環境に問題が起こっている反動でイライラしている可能性とかは対処しないといけません)。
レベル(2):そして「人に迷惑をかけてはいけません」の次に出てくるのは「自由もルールの範囲内での自由だ」ということです。例えば制服の学校で私服を着ていくことはどうでしょう?これを「人に迷惑をかけてはいけません」のレベルで「迷惑だ」と言うこともできるでしょうが、あえてここではレベル(2)の話として書いていきます。ここで生徒が「誰にも迷惑かけてねーし」というのは許されるでしょうか?これは許されません。気に入らないのであれば私服を許容するように学校に訴えることもできるんですから。それを面倒くさいといってルールを無視することはいけません。社会でそんなことをすれば一発で信頼を失います。学校は社会のルールを経験する場所でもあります。だから教師はそれをしっかりと教えて叱る必要があります。また、この生徒がどうしても学校の言うことを聞かないので停学処分になったとしたらそれは誰が悪いのでしょうか?学校でしょうか?社会でしょうか?いえ、通常はその生徒だけです。禁止されていることがわかっていながら押し通したのですから、その責任は自分が取るしかないのです。あと余談ですが、自分の人権被害を訴える人の多くが「制服がいい」という人のことは考えていません。自分は手軽に被害者になってしまいます。
レベル(3):さらに続いて「自由に行ったことに対しての責任は自分でとりなさい。周りのせいにはできません。」という原則でしょう。例えば何も考えないで何となく「俺はミュージシャンになる」とか「フリーターでいいや」などと言う生徒に対しては「リスク・成功率の低さ」などをきちんと説明して軽く「脅して」(笑)おきさえすればいいのです。それでもその道を選ぶのであれば完全にその生徒の責任です。「何であの時止めてくれなかったんだよ」などと言う人間に対しては「お前が決めたんだろう。知ったことか」と一言言ってやればいいんです。
まとめ
長々と書きましたが、ようは「最低限のルールを守るように教えろ。守れない奴は容赦無く叱れ。守れるように生徒を導けばそこで教師の役割は終わりだ」です。これが守られていれば少々教育方針が変わったとしても大変な社会問題になることは少ないでしょう。現在は誰もが責任をとりたくないと言っている制度・考え方だから社会にとっても生徒にとっても教師にとっても親にとっても学校にとってもやりにくい微妙な関係になるんだと思います。
>ですが「現実どうなっているか」が、一番わかりませんよね?
具体的にはどういう場合について仰っておられるのですか?
>それは「逃げ」では? と言われたこともあります。
逃げるという言葉は「立ち向かわなくてはならない」場合においての話ですよね。何か一つの答え「のみ」を生徒に提供することは僕の考えでは「有害」なんです。これはそれを教える先生がアインシュタイン並みの大天才であっても同じことです。教育の役割は「最低限の一般常識をみにつけた」「自立できる」人間を育てることです。決して「万能の答えを出すこと」ではありません。万人に共通の答えをだすことが出来る人であれば是非総理大臣どころかいっそ世界征服をしていただいて理想の世界を造っていただきたいものです。そういう批判は教育の役割を考えれば出てこない考え方かと。但し最低限の道も示せないで逃げるのであればそれは確かに「逃げ」でしょう。
お礼
そうですね、変化の多い(速い)社会ならば害のほうが多いでしょう。 しかし、人間の寿命に対して、変化の少ない社会においては良いことのほうが多いんじゃないかとも思います。 大変申し訳ないんですが、皆さんへのお礼を書く時間がなくなってしまいました、、、。 ここで締め切ります。 回答していただいた皆さん、ありがとうございました。