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国際的なインタムラ(村)イスムについて

思うところを述べてください。 ムラ(市町村)どうしが 国家を放っておいて――といっても 妨害されないように段取りをとらなければいけないでしょうが―― いろんな方面であらゆる分野において 交流するという考え方です。 議会議員を 互いに選出しあう。交流しあう。 経済交流も人間の交流も 芸術文化においても とうぜん あってしかるべきでしょう。自然環境の問題もあるでしょうし ひいては 安全保障の問題にもなるでしょう。 現実に立脚した考え方(批判を含めて)をのべてください。 具体的な施策などなど あなたのアイディアをおしえてください。

みんなの回答

回答No.3

あまり時間がありませんで、手短に 昔、読みたくて、手に取ったものの、 優先順位の関係で、まだ読めない本ですが、 シャルル・フーリェ?の「四運動の理論」 確か、小さな共同体を軸にした、ユートピア主義だったか。 書評を貼っておきます。ご参考までに

参考URL:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0838.html
noname#80116
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 松岡なにがしは わたしは買っていません。自分の見解を一向に表わしてはいません。残念ながら 評価する・しないの対象には なっていません。(数冊の批評を読んだ結果ですが)。 シャルル・フーリエは 歴史の問題だと 今では 思っています。 そして フーリエの運動や ヤマギシ会が出たから言うのではなくて 特殊な運動は この質問の趣旨としては いっさい 考えていません。 現在の社会のあり方を 何か別のかたちに作り変えたり 別個に独自の運動を始めたりということは 考えていません。 日本のA市が X国のX1市と提携して 議員を相互選出する。企業とも提携して 経済活動を 一緒に推し進める。留学生やホームステイを 大量に 実現させる。また B市は Y国のY1市と組む。・・・といった活動です。一つの市が 複数の市と結んでもいいわけです。世界中にネットワークが広がればよいと考えます。 国家には任せておけないという理由からだけのものです。 《国家によって妨害されないように》という表現がよくなかったようですね。すみません。ちょっと 感情が高ぶってしまいました。ですが ユートピア思想は まったく頭の中にありませんので そういう趣旨として ご教授願います。

noname#80116
質問者

補足

この場を借ります。(20071001) シモーヌ・ヴェイユも ハンナ・アーレントも 残念ながら わたしにとっては 途中でその勉強を放り投げた思想家です。 むろん 自ら肉体労働の場に飛び込んでいった人でもあれば また 全体主義について強い関心をもって考察した人でもあるなら 言わば《根》としての一般の人びとの立ち場に立とうとした二人であったと考えられます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    《魂の自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。》 この世はひたすら下落へと向かう重力に支配されており、それから免れようにも重力に支配された魂は誤りを犯す。だから自分から高まろうとするのではなく、待望こそ必要とされるのである。すべてをもぎ取られた真空としての待望である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A6 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ヴェイユについての評論ですが わたしの批判は こうです。 《恩寵は 自然のかつ社会的な力に反するような働きではなく それらの経験的な力を用いて 恩寵にふさわしい形ではたらく》と。《ただし 人間の社会的な力には ひょっとすると 反自然的な力も混じっているかも知れない》とです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ヴェイユは自己否定としての神を語る。キリストの受難もそのように捉えられている。神から最も離れており、神に立ち戻るのは絶対に不可能なほどの地点にある人のもとに、神が人としてやってきて十字架にかかったということは神の自己否定であるという。 (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これは 形而上学だと思います。生活感からはピンと来ません。 アーレントは いくらかヴェイユと同じように 考察が あまりにも分析的です。アウグスティヌスの《愛》の概念が 《欲望( appetitus )》から始まって これを整理して行っても  整合性がないままである。この推論の過程を分析して明らかにすると《まえがき》で言っているのを聞いて 読むのを止めました。(H.Arendt: Love and Saint Augustine, introduction ) 《人間の条件》(志水速雄訳)を読むと 《第一章の1 〈活動的生活〉と人間の条件》から始まって まあ これでもかこれでもかと古典古代からの知識を豊富に散りばめて 論じていきます。勉強したことの証拠を挙げているのだと思いました。 とは言うものの 全体を把握したあとの批評ではありませんので 覚え書き程度のものです。また この場に それとして 記しました。

noname#39190
noname#39190
回答No.2

教えるほどのものは持ち合わせておりません。 似てるのかなと思って言ってみたまでです。 参考になればと思って。

noname#80116
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。(No.1と同じ方なのですね)。 ウィキペディアによると ヤマギシ会は 《1953年に設立された 農業・牧畜業を基盤とした理想社会を作るコミューン団体》で 《現在、日本各地に32箇所、ブラジルやスイス・韓国などの日本以外の国に6箇所の合計38箇所の地に実顕地がある》そうですね。 ・農業を通じてのムラどうしの協力は ふつうに考えられると思います。 ・共同生活をする必要はないと考えます。 ・財産共有という方式をとる必要は あまり 感じません。 ・農業の技術や経営の方式など さらに詳しい事柄は いまよくわかりません。 ・《ジャーナリストの斉藤貴男は このような活動を自著『カルト資本主義』において 資本主義に対する皮肉を込めて、日本企業のユートピアであると評している。》(wiki)とのこと。その中味について これだけでは残念ながら よく分かりませんでした。 ・《また、ヤマギシ会の思想と論理を 吉本隆明は自著『中学生のための社会科』において、    「大なり小なり政治的(つまり社会集団的)理念と論理に     関わりをもつ思想は はじめから開かれていなければ     「ユートピア」社会を作り得ない。」 とレーニンやスターリンの失敗例を挙げて痛烈に批判した》との由。《はじめから開かれている》とは 何を言うのか――すみません――分からないでいます。 ちなみに インタムライスムなる思想の基礎としては こうです。 ・人間に備わる三行為能力をめぐって その《知解行為能力∽生産活動》については 理論として キャピタリスム(要するに――アマテラス普遍概念のみながら――経験合理性)が 基本だと考えます。 ・《意志なる能力行為∽共同自治》については デモクラシです。(スサノヲイスムとも呼んでいます。客観アマテラス語に対比させて 主観スサノヲ語=人間語)。 ・《記憶∽社会組織かつ秩序》については 生命・存在の愛です。愛も自治・自治共同と言えるので インタスサノヲイスムと呼んだりします。(生命と存在の愛は そしてこれのみは――これのみです―― 絶対的な規範としてもよいのではないかと思ってもいます)。

noname#38889
noname#38889
回答No.1

ヤマギシズムなら少しかじりましたが。

noname#80116
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 ああ そうでしたか。ヤマギシズムは 養鶏でしたか そういった共同生活のほかに その思想は 残念ながら 知りませんでした。おしえていただくわけにはいきませんか。 ウェブでしらべてみます。

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