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議会政治の問題点
日本は民主主義国ですから、小さな町や村の自治体も選挙で議員を選出しますね。しかし、政府が町村合併を促している折、ふと小さな疑問が起きました。というのは必ずしも議会による民主政治が全ておいて正しいかということです。よく起こりがちなのは、小さな村や町のめぼしい企業と ぼんくらな村長や町長の癒着が日常茶飯事で、小さな利権をめぐって村長や町民の利益の為に住民が不利益を蒙ることもよくあることです。例えば莫大な町民税を使って有用性の低い施設を建築したり、観光や雇用、福祉なども小さな村や町の枠だけで考えて、しかもつまらないいがみあいなどで、ただでさえ寂れかけた村や町の産業が一層停滞しがちです。 そこで質問ですが、小さな村や町にも市と同様の権限を与えて市と同じように議会政治をすることは理に適っているんでしょうか? 国も飴と鞭で町村合併を促すよりも、小さな村や町の権限を県に徐々に委譲するとかの案は考えないんでしょうか?
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- nanarinsan
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「どんどん他人事になっていくという弊害」 はその通りでしょう。大きい政府がどんな状況でも良いというわけではありません。ただ2番さんが上手くまとめられていますように、小さい政府ならではのメリットとデメリットもやはりあるわけです。 でそもそもの疑問。 >委譲するとかの案は考えないんでしょうか という点については、今までの日本は中央集権すぎたという見解で、これをどんどん委譲しようという方向にきています。とりあえず今現在動いていて一番大きな変化としては国から市・県への3兆円規模の税源移譲です。これはすでに平成19年度課税分からその通りになっています。 これがいきすぎると仰るように、小さい政府ならではのデメリットが目立つことになってしまいますが、従来が大きすぎてのデメリットが目立ちすぎていたというのが政府の判断で、その判断も根本的に大間違いというわけではないでしょう。マスコミの論調も、細分化する際の内容についての突っ込みはあってもそもそもの細分化に対しての疑問を投げかけているわけではありませんし。 また道州制については、これはまだ案の段階ですが、細分化しすぎることによる弊害をある程度抑えようとする試みだと思います。 ということですので、質問者さんの疑問はちょっと周回遅れなのではとも思えるわけで。まぁ補足を読むとその辺の動きは当然抑えた上での質問かと見受けられますけども。
- xxa31a
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<I:地方分権> 議会政治が民主政治の理想系から離れてないかという議論は、 市町村に限らず、政治学の方面では頻繁にいわれる事柄です。 (なお地方政治における直接民主制の役割を拡大している国もあります。) が、仰る主題は、議会政治の是非というよりも、 各自治体の権限の分配の問題かというように感じます。 行政単位のサイズに限って言うならば、 Bのように、効率の良い区画と現在の区画が一致しているとは限らない、 ということまではいえるはずです。 公共投資で生じる無駄に関しては、 規模の経済として小さいために非効率になる場合もあるでしょうが、 国庫支出金などの権限が中央にある事から来る 大きいための非効率性というのもいわれます。 場合によっては小さいために悪いことも出てくれば、 逆に大きいために悪いことも出てきますから、 適性な配分というのを考えないといけないということですね。 世界的に、必ずしも大きいことは良いことだというような風潮ではなく、 EUなど国家を越える連帯(マクロ化)が模索される一方で、 権限の地方委譲(ミクロ化)も同時並行で進められています。 この要因には、 (A)地方住民の生活圏において、より公正な便益を実現すること、 (B)住民・市民社会による監視を行きやすくして公共投資の効率を上げること、 (C)官僚制の単位を小さくして腐敗・効率低下を防ぐこと、 さらに、「地方自治は民主主義の学校」(ブライス)というように、 (D)日常生活の利害と民主的投票を近づけること、 (E)民主政治における議論・選択の手法を学ぶこと、 というのもあります。 ヨーロッパでは、アイルランド・スウェーデン・デンマーク・ ノルウェー・スイス・ルクセンブルクといった 人口1000万人足らずの小国の政治経済や生活水準の高まりが、 各種の国際指標で目立つようになりました。 規模の経済だけならこういったことにはなりません。 イギリス・フランス・イタリアでも最近は地方分権改革が行われています。 <II:市町村の数とそのサイズ> 色々と意見は分かれるかと思いますが、 合併の大きい目標は、全国300市程度といったところにあったかと思います。 平成の大合併で3000超の市町村が1800程度になりましたが、 このアウトラインからするとまだまだということになりますね。 また上層の行政単位も、47の都道府県ではなく 10程度の道州制というプランがあります。 自由民主党も日本民主党も道州制を政策構想に掲げています。 もしこういった単位になるとすると、行政単位は、 (1)国 (2)道州=10程度・北海道・東北など現在の地方区分に近い (3)次世代の「市」=現在の県と市町村の中間程度の大きさ (4)区 ということになります。 もっともこの辺りの役割分担がどうなっているのかについては 何とも不明確な印象を受けますが。 地方行政単位のサイズは、国によってかなり異なります。 市民の政治参画としては日常生活圏(乗用車または公共交通で容易に移動できる範囲)と 地域市民主権を行使する共同体が一体化していることが望ましいでしょうが、 都市経済学的にはもっと明確な観点が何かあるんでしょうかね。 47都道府県では自治体が日常生活圏・商圏よりもかなり大きいかと思いますが、 合併の道のりの長さ・猥雑さを考えると、傍目には 47都道府県を人工分割して作った方が手っ取り早い気はしなくもありません。 が、あまり乱暴な事をやると抵抗が強いでしょうかね。
お礼
回答ありがとうございます。 >仰る主題は、議会政治の是非というよりも、 各自治体の権限の分配の問題かというように感じます。 まさしくその通りです。人口10万人の市と1万人の町にほぼ同等の権限を与えるよりも、自治体の規模によって権限の範囲をもっと差別化すべきだとも思います。 >道州制というプランがあります。 これに関しては 例えば近畿地方と言った場合 三重県が含まれるのか含まれないのか曖昧な点がありますが、これを明確化すべきだと思います。これに関してはフランスの行政区割りが参考になると思います。
- popesyu
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効果的で効率的な政策をたてることができるかという点で言えば専制制の方が利点があることもあります。それを正しいと表現するかどうかは難しいですが。で民主制のメリットは機会を平等化させることで、参加する・投票する選択肢を全員に与えることで、その結果責任も全員で享受するというものです。その結果はプラスのこともあればマイナスのこともあり、つまりは権利と義務は表裏一体ということです。これを正しいというのはやはり正しいと思います。少数派の意見が反映されにくい、手続きに時間がかかるというデメリットはあるにせよ。 「有用性の低い施設を建築したり、観光や雇用、福祉なども小さな村や町の枠だけで考えて」いるのは町長や村長の独断だけで決まるものではありません。議会もありますし、それを選んでいるのは町民・村民です。しかも国政規模ではないので、より身近でリアリティのある諸問題です。そんなレベルでつまらないいがみあいをしているのは町民・村民の方であって、議員や代表者はその代弁者にすぎません。それが民主主義です。 村・町単位では、視野が狭くなるから、県単位、さらに国単位でと中央集権化していけばいくほど、理にかなった方向に変わるはずという根拠の前提にあるものが何なのかがよく分からないのですが、どちらかと言うと政治と日常がかけ離れればかけ離れるほど、どんどん他人事になっていくという弊害により、愚民化が進みやすくなるという傾向の方が見逃せないと思います。権利と義務、原因と結果が目に見えて分かりやすく一致すればするほど、つまらないいがみ合いをしている当事者たちもその愚を悟りやすいかと。
お礼
回答ありがとうございます。 質問でも書いたとおり、これは町村合併に付随した疑問です。例えば小さな町が大きな市に吸収合併した場合は、専制制が行われなくても「 政治と日常がかけ離れればかけ離れるほど、どんどん他人事になっていくという弊害により、愚民化が進みやすくなるという傾向」は見られると思うんですが どうでしょう?
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと見当はずれな回答に思えますが、中央集権を考えれば道州制も考慮に入れるべきだと思いますが、ここでは置いといて、都道府県の単位で考えていいです。ただ、人口が1000人未満の村に議員を6人ほど置いても隣組会みたいになるのではないかと、、、