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「五人扶持判金弐枚」とはどれほどの待遇でしょうか?
「五人扶持判金弐枚」とはどれほどの待遇だったのでしょうか? 寛政年間の「無足以下分限帳」にでてきます。 よろしくお願いします。
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五人扶持なら一日五合の扶持をもらうことです。 金弐枚は年に金二両です。 武士や武家奉公人は知行取り、蔵米取り、扶持取り、給金取りの順に身分が低くなります。
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- oska
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回答No.3
>「五人扶持判金弐枚」とはどれほどの待遇だったのでしょうか? #1さんの回答通りですね。 ただ、五人扶持といっても実際に足軽を常時雇っていた訳ではないようです。 伊予の国(愛媛県)小松藩では、一年契約で百姓の次男三男坊を足軽として採用していました。 年三両の契約です。 現在の価値に換算すれば(米価格基準で)年棒21万円でしようかね。 必要のない時は採用なしで、必要な時に必要な人数を確保する。 当時も現在の「契約社員・派遣社員」がいたのです。^^;
- Pinhole-09
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回答No.2
無足即ち具足を持たない下士(戦の時は藩が具足を貸す)で、徒士と足軽の間の下士です。 No.1さんの答えのように手取りで9石と2両の俸給ですから、知行取りに換算すると、28石取りくらいですか。