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松尾芭蕉は衆道(男色)でしたか?
「悪党松雄芭蕉」(嵐山光三郎著)によれば、 芭蕉は衆道(男色)で、若い弟子たちと次々と関係をもっていたそうです。 「菊に出て奈良と難波は宵月夜」 では、 「菊は衆道を意味し、酒堂(弟子)にしか通じぬ暗号である」 とか、死の直前の歌仙での「月澄や狐こはがる児の供」に対して、 「児(ちご)とは男色の美少年である。宴席でいきなり衆道の句を詠む芭蕉のふてぶてしさを見よ」 と書いています。 衆道であることに手紙とか何か根拠があるのでしょうか? また寿貞は、夫と死別し子供をつれて芭蕉の妾となったが、 芭蕉の甥の桃印と駆け落ちした、としています。 本を売りたいがための持論なのでしょうか? よろしくお願いします。
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