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教育基本法の歴史的背景について

教育勅語から教育基本法への変遷の歴史と、それぞれの社会へ与えた影響や役割についておしえてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

教育基本法の内容は 「アメリカ教育使節団報告書」   (村井実翻訳 講談社学術文庫) の日本語訳と言っても良いくらいこの報告書の内容そのものです。 もともと、武力で白人諸国に立ち向かえる唯一の非白人国として、アメリカは日本の存在を煙たがっておりました。そこで連合軍総司令部(GHQ)が、日本の国民から牙を抜きさることを至上命令として、27名の教育使節団を派遣し、この報告書をつくりあげました。 文化の違いとは価値観の違いです。そして文化とは本来多様なものであり、その国の成り立ちや歴史に深く根ざしております。文化の違いが国々の個性を形作っているわけであり、そしてその多様性が人類をこんなにも豊かで複雑で楽しい存在にしているのです。 教育の最も重要な役割は、この多様性を理解し、自分とは同じでない個性の存在を許し、「和して同ぜず」の人間を造り上げることです。ですから、教育のあり方に影響力を持つ者は、その国の文化や歴史、あるいは個性を十分に理解していることに自信がある者に限ります。教育とはどうあるべきかを決して外国人が押し付けるべきではありません。 悲しいかな、日本は敗戦の悲劇でその「あってはならない」ことが起こってしまったのです。それが日本の「教育基本法」の悲しい歴史です。 大分前になりますが、ある新聞の調査で「もし日本が外国から侵略されたら貴方はどうしますか」という質問に対して、「外国に逃げる」と答えた若者が結構な割合でいた(その割合の詳しい数字は忘れました)との記事を読みました。アメリカの深慮遠謀が見事に功を奏しているような印象を受けました。 もちろん、日本の文化を深く知らないアメリカ人の作った(あるいは彼等に押し付けられた)「教育基本法」の中にも、部分的には「人類としてこうあるべきである」という理想的な内容が含まれてはおりますが、教育を考える時にはそれでは不十分です。くどいですが、日本人の個性とは何かまで考えなければ駄目なのです。 浮き草のような「国際人」ではなくて、他国から見て「そんな個性」が世界を豊かにしてくれたと喜ばれるような人間を造り上げることができる「教育基本法」を、日本人もいつか持ちたいものですね。

その他の回答 (2)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

#2です。 書き忘れたことがあります。「アメリカ教育使節団報告書」がつくられたのは1946年です。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.1

課題が膨大すぎます。 もう少し、ポイントを絞ってください。

Bamiyan303
質問者

補足

ありがとうございます。 では、教育基本法がどうして出来たのかと、教育勅語との違いについておしえてください。

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