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最古の防弾ベスト(チョッキ)

最初の防弾チョッキは「中世の日本」において絹で造られたそうで 史実なら恐らく対マスケット用途の世界最古のモノになるのですが 「日本国内の文献資料」を何方かご存知ないでしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC http://www.ncjrs.gov/pdffiles1/nij/189633.pdf

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  • caesar-x2
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回答No.2

ウィキの「最初の防弾チョッキは中世の日本において絹で造られた」という記述は、完全な誤訳です。そんなこと出典のなかに書いてありません。 (原文) One of the first recorded instances of soft armor use was by the medieval Japanese, who used armor manufactured from silk. 史上最初の”ソフトアーマー”の一つが中世の日本で使われたシルク製のものであるという内容ですが、ソフトアーマーは防弾チョッキのことではありません。 よく考えたら分かりますが、銃がない時代に防弾チョッキもないでしょう。 「Selection and Application Guide to Personal Body Armor」のこの段落の趣旨を考えると、20世紀初頭のアメリカで考案された防弾服よりも前に、日本でも似たようなもの(つまり絹製の防具)があったという感じで例示されてますが、だからそれがすなわち防弾チョッキの起源は中世日本であるとは解釈できません。論旨が違いますよね。 前の段落をみると16世紀には従来の鎧の防御力は効果的でなくなったと書いてありますから、どうしてウィキ書いた人は間違えたんでしょうか? もしかし読んでない・・・? ちなみにこの日本の絹製のものというのは、普通の鎧のことではないかと思います。大鎧など、和の鎧は多くの絹製部品が使われてますから。言うならば日本や中国では紙製の鎧もつかわれていんですが、body armorの趣旨から外れるので書いてないのでしょう。 要するにこの部分は次の導入にすぎないんで、何かの出典にできような記載じゃないのです。 この引用はあきらかに不適切ですね。 あとマスケット銃の時代には防弾チョッキはありません。 防弾チョッキが有効になるには、繊維加工の分野で進歩がなくてはだめなので、18世紀には不可能だったからです。 単に金属をつかったものではものすごい重量になるうえに、大砲があるんで、意味ないのです。

その他の回答 (2)

noname#49020
noname#49020
回答No.3

 真綿(絹)は、結構強いものです。下のURLには戦時中に「真綿の防弾チョッキが作られた」と出ています。恐らく本当のことでしょう。近距離の小銃弾にはダメだったでしょうが、遠距離のタマや破片にはある程度の効果があったと考えられます。  戦時中、近所のお爺さん(日露戦争従軍)が、空襲警報が鳴ると真綿の布団を頭から被っていました。直撃弾にはダメだが、雨戸を突き破って舞い込んでくる爆弾の破片には有効とのことでした。  真綿を手にとって見てください。大変強いということが実感できると思います。真綿を何層にも重ねると、かなりのものができると思います(もちろん最近の新素材にはかなわないでしょうが)。  その他ご参考までに↓ http://sugar.lin.go.jp/silk/info/mame/0709mame.htm#0

  • buchi-dog
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回答No.1

「最初の防弾チョッキは「中世の日本」において絹で造られた」 「絹で鉄砲の弾丸を防ぐ」ことがいかなる方法でも不可能である、もしくは他の方法がずっと効率的であるのは少し考えればわかることで、ウィキペディアのその記述は「間違い」です。 なお、恐らくその話は、「母衣」(ほろ)のことを誤解しているのだと思われます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3 母衣とは、本来、背中方向からの流れ矢を防ぐ目的だったと言われていますが、戦国時代後期には「騎乗の武士の装飾具」になっていました。上記URLに記載がありますが、総大将と前線の侍大将との連絡に当たる「使い番」の武士が着用したりと、実用性より「目立つこと」が着用理由だったようです。 戦国時代後期に普及した、鉄砲の弾丸にある程度耐えるための前後2枚の鉄板を合わせて作った胴(二枚胴)であれば、流れ矢程度は当然跳ね返せます。 鉄砲が普及する以前に普通であった、革や鉄製の「小札」を連ねて作る胴は、槍や矢といった刺突武器に割合弱かったようです。目で見て避けることの出来ない「背面からの流れ矢対策」として、背中に母衣を背負うのは、遠戦兵器が弓矢しかない時代には意味があったのでしょう。