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専門家の方、ゼヒ教えてください
僕の回りにも居るんですが、守護霊が見えるとか前世がわかるとか言う人ってたまに居ませんか? そんな人の心の中では、いったい何が起こってるのでしょうか? みんなの注意を引きたいが為に嘘をついているのか、自己暗示に掛かっているのか、とっても不思議です。 それを生業としている宗教関係の方は別としても、普通の一般人で「見える」と言って憚らない方の心の中についてどなたか教えて頂けませんでしょうか アカデミックな内容でも構いませんので是非お願いいたします。
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専門家ではないのですが個人的な考えを述べてみます。 基本的には無意識による現実逃避に近いものではないかという気がします。 本人にとっては「見えたつもり」になっているわけで、つまり「思い込み」でしょう。 ご存知かもしれませんが「幻視痛」といって、事故などで失った膝から下の足が痛むという現象が実際にあります。 漠然とではなく「親指の付け根が痛い」などという感覚に襲われることもあるようです。 また、幽体離脱でしたっけ、寝ている自分から別の自分が離脱して天井から寝ている自分や看病している医者や家族を見下ろす、という感覚。 本人は嘘をついているわけではなく(中にはそういう人もいるでしょうが、これは精神疾患ですから別の話になります)、実際に見たり感じたりしたと思っているはずです。 どういうことかというと、見たり感じたりという機能は全て脳が司っているわけです。 足が無くても、足の感覚を感知する脳細胞が機能しさえすれば痛覚を覚えることは可能です。 幽体離脱にしても、脳内の神経作用にすぎないのであって、生命が危機に瀕している時にはそういった作用を促すような化学物質が分泌しやすくなっているのだと思われます。 夢を見るのと殆んど変わらない、しかし、もう少し現実感のあるような神経回路が機能するのでしょう。 守護霊が見えると言う人は神経が繊細とか良く言われているようですが、繊細というよりは神経回路の一部が何らかの原因で支線につながってしまいやすい人ではないかという印象があります。 なぜ支線につながってしまいやすいかというと本線を辿ることを嫌うからで、それが冒頭に述べた「現実逃避」ということです。 自分の脳内で起こる現象は本人にとっては世界的な事実と同義ですから、他人にうそをつくつもりはおそらくないのでしょう。 脳科学の専門家の方であれば、おそらく詳しい理論付けができるような気がします。 前世がわかるというのはまたちょっと異なり、一種の精神疾患者だろうと思われます。 科学的な偶然ということを認めることができず、「たまたま当たった予想」と事実を混同してしまうというわけです。 論理的に、あるいは確率的に偶然の重なりや連続も存在し得るわけですが、それを自身の力と勘違いしてしまうのでしょう。 これもある種の思い込みの部類に入ると思われますが、ここに見られるのは「自分は他者とは違う人間だ」という、いわゆる自己愛性人格障碍という疾患を抱えている人であろうと推測されます。 テレビで活躍している? 人の中にも同類は多いはずです。
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#5です。 >子供達を危険から護る為、わかりやすく学術的な説明を探しております。 そういう事ですか、それなら【本気で信じている人には近づかない】 これに尽きると思います。 このような事を本気で信じている人は普通では有りません、という事は何をするか分からないという事です。 直接危害を加えられなくてもおかしな事を吹き込まれれば困ります。純粋な子供さんたちはそのような異常人間を無批判に受け入れる事がありますから。
ANo.4さんのようなまっとうな方がいらっしゃる事に安堵の気持ちを隠せない思いです。 ところで守護霊が見えるとか前世がわかるとか言う人のお気持ちを想像してみると 1、幻覚を見ている、見た事がある・・・脳の異常ですね。 2、目立ちたがり屋・・・事実なんて興味なし、とにかく自分が中心に居たい、対象は何でも良いがなるべくウソがばれない事柄が良い・・・その点霊はうってつけ。 3、見えるという事に疑問を抱かない、その矛盾を理解できない・・・単なる無知、科学的な論理的な思考法が身に付いていないお気の毒な人。 4、趣味の一種、信じる信じないは個人の問題だ、とやかく言われたくない、と言う人がそれ、趣味ですからお好きにどうぞってね。 これらを脳内現象と理解できれば何の問題も有りません、しかし現実の問題と考え有ろう事か写真に写るとか霊が音をたてるとかの物理現象を伴うと言う人さえ居ます。これはもう話しても無駄ですね、理解力の無い人には何を言っても聞いてもらえません。 霊の特徴が確立された自然科学の様々な法則に反しても「この目で見たんだから確かだよ」と言って譲らないのです。21世紀の科学よりご自分の体験が正しいと思っている人、とんでもない自信家ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私もそのように考えておりますが、世間では小数派らしいですね。 子供達を危険から護る為、わかりやすく学術的な説明を探しております。 ありがとうございました。重ねて御礼が遅れました事をお詫び申し上げます
案外そういう人は場所柄を弁えていて言わないほうが良いという時には言わないのではありませんか。不特定多数の人を相手にいつもそんなことを言っていたら社会から排除されてしまうと思います。あなたはその人にとってそれを言っても良い人と思われているのではないでしょうか。目的になるとあなたを一時的にでも支配できるような感じを持つ為ではないでしょうか。
お礼
大変興味深いご意見ありがとうございます。 参考にさせていただきます。
普通の一般人でも見える人はみえるそうですよ。生業の人でも結局見える時にそう見えるだけであって本当のすがたを見ているとはいいがたいです。 プログラムされたソフトを立ち上げているに過ぎません。本来はプログラムそのものが正しいのであって画面に見えているものはその変換後の形となっています。 それが足だったり手だった幽霊だったりするわけです。 まず見えないのに見えるといっている人は単純に願望というのもあるのかもしれませんが違う世界があると直感的に感じてるのではないでしょうか?理論的に考えてもこの世がすべてと考えるのは逆に疑問に思います。そのように考えれば理論的直感が鋭いと言っていいでしょう。
お礼
どうもありがとうございます。 たしかに今見えている物だけが全てではありませんよね。
- toganoyua
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両方の人間です。 『みえるひと』で、大学で心理学を専攻している者です。 クソ面白くない科学的に、事象の一割二割しか解明していない科学的に言わせれば、精神的にか、肉体的にか、欠陥がある人なのでしょう。 肉体的の場合、ロボトミー手術だったかな、それで切除する部分が、異様に発達しているとか、感覚的に鋭すぎる人が、『視える』と言うそうですね。 精神的の場合、差別語になりますが、『キチガイ』扱いしていると。 ですけどね、心理学的に見れば、『認識』の違いなんでしょうね。 例えば、林檎って、赤いのと緑色のありますよね? 緑色のが普通の地域の人に、その赤いのを見せても、林檎だと認識されないように、同じモノを視ていても、違うモノをそうと認識することとある種同意かと。 或いは、ここまで高位の思考形態を持っているのに、何故全て『同じ』だと言えるのでしょう? そもそも、心理学って昔の医学よりも、発展途上ですしね。 答えはあって無きが如し。 嘘をついている人に関しては、見えの部分・・・虚栄が多いでしょうけれど。 ご参考までに。
お礼
ぬぬぬっ 見える人でいらっしゃりながら心理学を専攻なされている方ですか 僕には「反戦論者の志願兵」のように聞こえますが、見えるが故にそのジャンルを学んでいらっしゃるのでしょうか? う~ん 興味深い。 貴重な御意見誠にありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございます。hakobuluさんのような方のご意見を頂くと安心します。 このサイトのいろんなカテゴリーを見ていると、つくづく科学と宗教は混同されているんだなーと思い、自分のような者は社会的にマイノリティーなんだ、と少しへこんでいます。 まぁ、実社会でも「あー厄年だもんね!」とか、「アタシA型はムリ、ゴメン」とか、「俺が洗車すると必ず雨が降る」とか、憚りもなく言う人達に囲まれて生活していますので自分のマイノリティーぶりは日頃から実感していますが。